4-12 終わりの始まり — The end of the world

 CHITOSEの上層部、都内テロ対策委員会のプロジェクトルームは水を打ったように静まりかえっていた。円形に並べられた机の中心には刻一刻と変わりゆく都内の状況が立体映像として映し出され、議長席に座る安浦はじっとその様子を見つめている。

『Blue Islandへのテロ部隊の侵攻を確認。米軍の無人機械部隊によって即座に鎮圧』


「まずいぞ、米軍に介入の口実を与えてしまう—」

「テロリスト部隊は想定以上にやる—」


 状況を知らせるMIKOTOの電子ボイスを受けて、ざわめきがさざ波のように室内を走る。しかし安浦は微動だにしない。沢木の前で見せた顔とは異なる、喜怒哀楽を表に出さない公の顔。思考を読ませないその顔は、諸外国と渡り合う中で身につけた安浦の武器の一つだ。

 さらに十五分後、新しい情報がもたらされる。


『テロ部隊『自由の翼』の指導者、薙澤零司の無力化に成功。繰り返すテロ部隊『自由の翼』の指導者、薙澤零司の無力化に成功』


 おおーというどよめき。詳細を伝えるMIKOTOの声とともに室内の緊張が弛緩する。しかし握手を交わす高官たちの中でも安浦の表情は変わらない。


「MIKOTO、暴動の状況は?」


 安浦の声に室内のざわめきが止む。


『暴動は依然として拡大中。都内三十五箇所で計三十万人以上の暴徒が集結し『働き蟻』や『幽霊』と戦闘中。一部暴徒の摩天楼への侵攻も確認』


 室内中央の立体映像が都内各所に設置された監視カメラの映像へと切り替わる。鉄パイプや木材を手にした男たちが叫びながら働き蟻をめった打ちにしている。働き蟻の周囲には麻酔弾により無力化された暴徒。女が一人、泣きながら動かない男を引きずっていく。路肩にはへし折られたパラソルと粉々になったガラス。そのすぐ脇の路上では何かが燃えている。

 次に高空を飛ぶドローンに搭載されたカメラの映像に切り替わる。瀟洒な中世ヨーロッパを模した建築物が建ち並ぶ摩天楼 ESPERANZA、その麓からいくつもの黒煙が立ち上がっている。拡大された映像にはESPERANZAに押し寄せる数万もの暴徒の姿。その最前線では、防衛用の自律型機械に鉄パイプを振るう男たちの姿が見える。鉄パイプでは対テロリスト用の自律型機械兵器に敵うはずも無い。男たちは徐々に押し戻されていく。すると劣勢の男たちに代わり、暴徒の後ろからマントとフードで素性を隠した巨躯の男たちが現れた。巨躯の男たちは最前線でESPERANZA防衛用の自律型機械を少しずつ押し戻していく。男たちをスキャニングしたドローンの解析結果はレッド。巨躯の男に見えるのは、自由の翼が都内各地に潜り込ませた自律型機械だ。


「暴徒たちの中に自律型機械が紛れ込んでいるのか!?」

「薙澤零司は無力化されたはずだ!」

「薙澤が死んだ後も、自己判断に従って暴動を拡大しているのか!誰か止められないのか!」


 『死ぬ』という直接的な表現を使った防衛幕僚の一人を安浦は一睨みで黙らせる。


「おい見ろ!」


 次の瞬間、ESPERANZAの高層階から蜘蛛のような姿の自律型機械が群衆たちに向けてロケット弾を放つ。放たれたロケット弾は群衆の中に着弾し周囲を炎に包む。おそらく今の一発だけで数十人の犠牲者が出ている。その映像に室内からどよめきがあがり、さすがの安浦も顔色を変える。


「なぜ暴徒に向けて発砲している!?すぐに止めさせろ!」


 官房長官の声が響く。


『ESPERANZA内は欧州連合の治外法権領域であり、止めさせるには外交ルートでの申し入れが必要。この手続きに必要とされる時間はおよそ五時間二十八分』

「時間がかかりすぎる!公安の自律型機械に治外法権領域を出たところでロケット弾を撃ち落とさせろ!」

「駄目だ!欧州連合への干渉は外交問題の引き金となる!」

「国民が犠牲になっているんだぞ!?何が外交問題だ!」

「問題なのは暴徒の方だ!」


 怒号が飛び交う室内で安浦はアドバイザーとして同席させているマカロワと沢木と視線を交わす。何かを決断しようとしている安浦の表情にマカロワは沢木と視線を交わし、即座に首を横に振る。安浦はマカロワに向けて微笑を浮かべ、口を開く。


「ヴィルタールの出力を最大にしろ。ヴィルタールで宇宙から暴徒をスキャンしてIDタグを読み込み、暴動に加わっている人間のリストを作るんだ。文部科学大臣、先技研長官できるな?」


 頭のはげ上がった文部科学大臣とマカロワはデスク越しに顔を見合わせる。


「何のためにリストを?」


 察しの悪い文部科学大臣が首相に質問する。


「自律型機械にリストを送付し、排除させる」

「首相!」

「都内各地で暴動の起きている今はこの国最大の危機だ。しかし逆に暴徒を根こそぎにするチャンスでもある」

「何十万人もの国民を殺す気ですか!?歴史に汚名を残すことになる!」

「彼らはこの国で生きているが、この国のルールに従うことを拒んでいる。それではこの国で生きていくことは出来ない。そのことを教える必要がある」


 安浦は議場を見渡す。


「どうした?速く動け。この国の危機だぞ?」

「しかしー」


 文部科学大臣が抵抗しようとしたところでMIKOTOの電子ボイスが室内に響く。

『CHITOSE最下層の第一次防衛ラインを暴徒が突破。自律型機械も多数混在。防衛線第二十一層まで後退。映像を映します』

 声とともに映像が切り替わる。場所はCHITOSEの最下層。国道から通じる日本の美を表現した鳥居型の飾り門は打ち倒され、その奥、重々しい金属製の両開きの門は大きく開け放たれている。暴徒があちこちで狼藉を働いたのだろう、国道に面した飾りガラスは全て壊され、中に飾ってあった極彩色の扇やかんざしといった民芸品は、全て姿を消している。

 門の内側には制服を着た幾つもの死体。自律型機械兵器の軍事利用を認めていないこの国では、国の再重要機関であっても警護にあたるのは人間だ。アームドスーツを着ているとは言え、警護用のアーリーナンバーのアームドスーツでは数万もの群衆を止めることなどできるはずもない。


「どうだ?これが現実だ。これが我々が守ろうとしている民か?奴らは後数分で

ここまでやってくるぞ。こんな暴挙を犯す連中のために、我々は命を捨てなければならないのか!?」


 安浦の言葉に文部科学大臣は慌ててアイグラスでヴィルタールの認証端末を起動する。


「マカロワ、君もだ」


 マカロワを見る者たちの眼が血走っている。マカロワの対応次第ではこの場の全員の命が消えるのだから当然だ。マカロワは室内を見渡すと力なく首を振りアイグラスを起動させる。

—こんなこと許されるはずが無い—。

 そうわかっていてもどうすることもできない。認証しなければ自分はこの場で殺される。


「よし」


 認証を解除し、ヴィルタールの出力を最大限に引き上げたところで安浦の顔に笑みが浮かぶ。


「MIKOTO、ヴィルタールと接続してシステム制御権限を奪え。その後、近隣の制御可能なあらゆる自律危機にヴィルタール経由でハッキングをかけろ。摩天楼を死守し、暴徒を排除するんだ」

『命令を正確に認識。ヴィルタールと接続開始します。…システムコードに未知のロジックおよび言語を確認。解析および接続完了まで三百十一秒』

 ハッキングAIメビウスへの感染を防ぐため、ヴィルタールのシステムコードは全て、マカロワが一から立ち上げたロジックとコードで書き直した。しかしその所員数人で数ヶ月かかったメビウスへの偽装作業を、MIKOTOは五分程度で解読しようとしている。恐るべき処理スピード。世界最速を誇る日本の技術の粋を集めた人工知能だけのことはある。


『二百七十秒…二百秒…』


 カウントダウンをマカロワは不安な気持ちで聞く。何かを忘れているような感覚。大切な何かを。マカロワはじっと考える。


『百八十秒…百五十秒…』


 メビウスは様々なコード、システムに擬態し、あらゆる箇所に潜むことのできるプログラムだ。基幹システム、ウェブサービス、AI、アプリケーションなど、様々なプログラムに潜み、自己を複製し模倣することで生き延び、人類が築き上げてきた様々なシステムをぐちゃぐちゃにしてきたハッキングAIだ。しかし、ヴィルタールはそのメビウスの災禍を逃れた。メビウスの災禍がヴィルタールに至る前に接続を遮断したからだ。

—本当にそうなのだろうか?

 マカロワはアイグラスを起動し、自身の研究データをローカルのアーカイブから呼び出す。メビウスが世界中のシステムを浸食し出してから、ヴィルタールとの接続遮断の決定がなされるまでに要した時間は八分二十九秒。その三分十三秒後には地球上のあらゆるシステムはメビウスによって汚染された。例外は、インターネットと完全に切り離された独立系システムと、メビウスが入り込む余地のない極小容量のローカルシステムのみ。あと三十秒遅ければヴィルタールもメビウスに感染していた、と言われている。


『百二十秒…』


 本当にそうなのだろうか?

—もしヴィルタールが既にメビウスに感染していたら?

 しかし感染を示す証拠はどこにも無い。システムを書き換える際、ヴィルタールのシステムは外部からスキャンした。結果はオールグリーン。メビウスの感染は認められない。走らせたスキャンプログラムの信頼度は限りなく百パーセントに近い。なのになぜだ?なぜ不安を感じる?


『九十秒…』


 室内では人の動きが慌ただしい。暴徒の襲来に備え、出来る限りの対策をとろうとしているのだろう。無駄なあがきだ。暴徒の数は軽く千人を超える。こちらが銃火器を保持していたとしても、絶望的なまでの数の差だ。自律型機械が対人モードに移行しない限り、いずれは突破されて全員が撲殺される。

 マカロワは部屋の中心の映像を見つめる。子衛星がとらえた、軌道上に浮かぶヴィルタールシステムの主衛星の映像。その中に座るシステムの生みの親、老ヴィルタールは巌のような身体を折り畳み、ヴィルタールのセントラルシリンダーの内部で眠りについている。シリンダに触れる手足や身体の皮膚からは神経系統がセントラルシリンダーを伝い、アウターパネルに設置された量子コンピューター群やバッテリーパネルへと伸びている。老ヴィルタールは、自身の身体の一部を機械に渡すことで真空で温度差が数百度にも及ぶ宇宙空間での生存を可能とした。ナノマシンと生体細胞のハイブリッドである老ヴィルタールはEX-Humanプロジェクトの第一被験体でもある。

 人間の可能性と欲望の到達点。老ヴィルタールの、衛星内に聳える老木のような体躯を見るたびにマカロワはそれを思わずにはいられない。

 マカロワの眼の前で、老ヴィルタールの耳のあたりが小さく輝いた。


「止めて!拡大して!」


 瞬時にMIKOTOがマカロワの意図を読み取り、輝点を拡大する。ヴィルタールのシステム解析にかなりの計算リソースを割いているはずなのに、いささかの遅れも無い。日本政府自慢のAIだけのことはある。


『五十秒…』


 マカロワは老ヴィルタールの耳のあたりーこめかみ付近の輝点を見つめる。瞬く光は老ヴィルタールの頭の中から、皮膚をすかして漏れ出ている。どこかで見たことのある光ー。記憶を辿っていたマカロワはすぐに思い出す。

 コルポサント。別名セントエルモの火。

 ユーリが極限まで能力を解放した際に見せる瞳の輝きと似ているのだ。頭の下ーつまりは脳が極限まで活性化され、シナプスの伝達の光が骨と皮膚をすかして漏れでている。

 マカロワは老ヴィルタールの顔に視線を移す。眼は閉じられたまま。バイタルも睡眠中のものであり、脳の異常活性化の兆しはどこにも見当たらない。スリープモードから覚めるにはまだ三時間と二十五分速い。

ーまさか。

 一つの仮説にマカロワは怯える。?脳に擬態し、その活動を模擬し、システム全体を真似る何かだとしたら?検査プログラムによるスキャンを逃れるため、システム外の何か、つまりは人間の脳の一部に退避したのだとしたら?


『三十秒』


 ありえない。メビウスの感染から逃れるため、ヴィルタールは一から立ち上げたシステム体系で再構築リビルドし直した。既存のシステム体系を基盤とするメビウスでは、このシステム内では生き残れないはず—。その時、マカロワの脳に一つの言葉がよみがえる。

ー君と私の思考体系はよく似ている。システムへの考え方、体系的な捉え方もそっくりだ

 あの後だ。あの後、あの男は何を言った?マカロワはなんとかその先の言葉を思い出す。


『十、九、八、七…』


—私はいつも君の真似をするばかり。ただ最後には私が君の一歩先を行ってしまうんだ。


「だめ、接続を止めて!」

『二、一、〇。接続完了』


 静けさに満ちた軌道上、ヴィルタールのセントラルシリンダーの中で老ヴィルタールの眼がかっと見開かれる。次の瞬間、ヴィルタールを構成する衛星群がどくん、と一つ脈打ち、それで全ては終わった。

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