3-6 狂気 ー Madness

「ねえ、ユーリは何をしている時が楽しいの?」


 スコープを覗くユーリの隣で、新しいジェスターを抱いたソラは問いかける。今日の多国籍軍侵攻が決まったのは一昨日。侵攻はB棟と祈りの塔の第一階層まで。略奪は禁止。その条件と引き換えにユウジの肉体の機密は米軍の手に渡った。空には数機のドローン。認識コードから報道機関のドローンとわかる。もう情報が漏れている。いや、意図的に誰かが漏らしたのだろう。


「任務を遂行しているとき」

「あとは?」

「—美味いコーヒーを飲んでいる時」

「よかった。ユーリにも人間らしいところがあった」

「言うようになったな。この島に流れ着いたお前を最初に抱き上げたのは私だぞ?どれだけ長い時を生きようとも、私が人であることに変わりはない」

「怒らないで。ほっとしたの。今度、私が美味しいコーヒーを淹れてあげる」

「私の評価は厳しいぞ?簡単には『美味しい』なんて言わない」

「勉強するわ。練習もする」


 ソラはユーリの肩にもたれかかる。ユーリの体温と匂いがソラの気持ちを落ち着ける。ここが私の居場所。私を慕ってくれるトワには申し訳ないけれど、その気持ちは変わらない。


「ダミーにしてもかなりの規模だ」


 水平線の向こうから続々と欧米国籍の輸送機が飛来している。スコープをつけないソラにも尋常ではない規模の軍が展開されていることがわかる。自律型無人戦車やアームドスーツも多い。もし本格的な戦闘になれば非戦闘員の多い祈りの塔はひとたまりもない。


「みんなは?大丈夫?」

「もうとっくに逃げ出している。ここに残っているのは我々四人だけだ。我々も適当に相手をしてさっさと引き上げるぞ」


 ユーリたちの見ている前でアームドスーツの陸戦部隊が洋上からゴムボートで上陸し拠点を築いていく。その動きには迷いがなく、よく統率がとれている。


「おかしいな」


 見ると、研究施設の本丸であるB棟を占拠した陸戦部隊が、祈りの塔に向かってくる。


「計画の中に戦闘は含まれていない。この塔の制圧には小規模の部隊で十分のはずだ」


 祈りの塔に向かう部隊はアームドスーツも含めて五十人ほど。確かに塔の制圧には多すぎる。物陰に身を隠しながら徐々に包囲網を縮めてくる彼らは明らかに塔の上からの狙撃を気にしている。他の部隊は彼らに見向きもしない。


「欧米の連合軍は見て見ぬ振り、か。これは売られたな」

『売られた?どういうことだ?連合軍はテロリストたちと取引をしたって言うのか?』

『連中のハッキング技術は脅威だ。なにせ連合軍の虎の子のMightyMouseのハッキングにも成功している。MightyMouseにはハッキングAI”メビウス”の影響を受けない、プレミアムラインの技術を応用した自律型AIが積まれている。それさえも支配下に置いている、ということはすなわち世界中のありとあらゆる兵器がハッキングの脅威にさらされていると言っても言い過ぎじゃない』


 この国の政府関係者が詰める、『日本で最も安全な摩天楼』CHITOSEからマカロワはユウジたちに語りかける。


「だから俺たちを売ったってことか?」

『売った、というよりも脅迫された、という言い方が正しいだろうな。『祈りの塔での破壊行為を見逃せ。そうすれば連合国の兵器をハッキングの対象にはしない』。そんなことを言われたら手を出せるはずが無い』

『怖いねえ』

「ネットワークにAIにハッキングか。おそらく人類の歴史上、ここまで個人が強い力を持てた時代はなかったのだろうな。全てがプログラムで動き、汎用品を組み合わせれば大抵のものが量産できる今の時代、おそろしく頭の切れる人間なら少人数でも大国を脅かすことができる。金と人を集める力と、抜きん出たプログラミング能力があれば、大げさではなく個人が世界を支配下に置くことだってできる。そしてそんな人間たちは決して世界の表舞台には出ようとしない」


 ソラは”Freedom”で出会った男のことを思い出す。あの男は世界を支配下に置きたいのだろうか。そんな風には見えなかった。


「認めない、そんなこと」


 トワの澄んだ声がソラの耳に届く。


「たとえ少数が世界を支配下に置くとしても、それはあんなテロリストたちじゃない。俺たちが選んだ人間が上に立つべきだ。でなきゃ下の人間はいつまでたっても不幸の連鎖から抜け出すことはできない」

『不幸、か。不幸な人間に不幸という言葉を教えない。自分が不幸だと気付かせない。そんなやり方もあるかもしれないけど?』

「師匠の言いたいことはわかる。でもそれはきっと違う。今の自分に満足したら、きっと人は生きていけない。俺もあの国の生活に満足していたら、きっと今頃は道ばたで冷たくなっていた」

『トワの言いたいこともわかるけどね。でも現状に満足しない限り争いは続き、誰かが犠牲になる。僕のように』


 答えのない問いだということはソラもユウジも気付いている。でも問わずにはいられない。そして考えずにはいられない。薙澤零司は何のために戦っているのか、と。


「くるぞ。おしゃべりは終わりだ。理由が何であれ、我々は銃口を向けられたら戦わざるを得ない。そして我々はその力を持っている」


 警告を無視して迫る部隊に対して最終通達となる威嚇射撃を行い、それを部隊が無視したところで戦闘の開始は決まった。『自由の翼の実態を知るためにテロリストを生け捕りにしろ』というマカロワの意見をいれてユーリは狙いを手足に集中させる。

 しかしあらかじめ狙撃を警戒していた部隊はアームドスーツJammerを展開し、煙幕弾でユーリの視界を妨げる。


「ジェスター、熱センサー起動。ソラはユージとトワに状況を知らせろ」


 熱センサーの映像がユーリのアイグラスに転送される。ユーリは感知した熱源に次々と弾丸を撃ち込むが、タイムロスは大きい。ユーリの狙撃を生き抜いた部隊の大半は祈りの塔の一階層へと殺到する。


「トワ」

「−俺のことを名前で呼ぶなんて珍しいっすね、師匠」


 祈りの塔の二階層。祈りの塔は中央部の吹き抜けが天井の強化ガラスまで続いていて、その周囲をらせん状に階段が囲んでいる。エレベータは塔の東側に一基あるが、今は動いていない。五階までは塔の円周に沿ってフロアが配置されていて、いつもは管理部隊が詰めているが、いまは島外に退避していて無人。二階層の階段からユージと巨大なアームドスーツPlutoに乗ったトワがエントランスを見つめている。


「もうLatter11を操れるようになったんだな」

「Latter11の第一番目です。まだまだです」


 アームドスーツの型式はAから始まるAporonからZで始まるZycosまで、その頭文字によって定義される。初歩的な汎用機体の"A"から、一軍に匹敵する性能を持つ"Z"まで、アルファベットの後半になるほどその性能は上がるが操作も難しくなる。特にPで始まるPlutoからZで始まるZycosまでの十一機種は"Latter11"と呼ばれ、Torgielのような飛行性能に特化した例外はあるものの、総じて高い戦闘力を持つ。世界各国で共通した定義。製造は米国系の巨大軍事企業が一手に引き受け、日本ではライセンス契約に基づき製造しているという話だ。

 しかしそんなアームドスーツの中でもZycosだけは特別だ。基本理念は明かされていたが、実現性はついこの前まで疑問視されていた。それが完成したとなると、対抗し得る機体はほとんどない。Zに続く性能を持つXとYのイニシャルを持つ機種くらいだろう。その二機種も今のトワではまだ扱うことは難しい。


「Latter11、Individual5、3Stars、そしてPhantom1。いくら気の利いた呼び名をつけても兵器は兵器だ」

「でも名前は重要です」

「そうか?」


 Plutoの中のトワは落ち着いている。ソラからのメッセージは既に聞いた。危険な状況にあることはわかったが、怖くはない。脳に直接響くソラの声は心地よく、トワを高揚させる。


「その杖には名前はないんですか?」


 ユウジが携えたステッキ。ユウジにしか扱うことのできない大質量の杖。運動エネルギーは質量に比例する。武器の重さはそれだけで相手にとって脅威だ。


「ないな」

「なら俺が付けてもいいですか?」

「好きにすればいい」


 トワが口を開こうとしたところで、窓からスモーク弾が撃ち込まれ、第一階層を白煙で包む。煙幕の使用は既にジェスターの予測内。Plutoの赤外線感知レーダーが襲撃部隊のメンバーの体温とアームドスーツの動力源をさらけ出す。


「ソラ」

『了解』


 ソラの声が頭の中で響き、同時にユウジとPlutoが動く。Plutoが暴き、トワが認識した襲撃部隊の映像はソラの脳を経由してユウジの脳に投影される。


「たまんないな」


 舌なめずりしながら白銀に輝く杖を振りかぶり、ユウジは白煙の中に飛び込んでいく。


「まったくなってないな」


 煙幕が晴れつつある祈りの塔への突入部隊へ向けてためらいなく引き金を引きながらユーリはつぶやく。祈りの塔の最上層から襲撃部隊までの距離は一キロメートルに満たず、ユーリにとっては児戯にも等しい距離。引き金を引くたびに突入部隊のメンバーは手足を撃ち抜かれ、戦闘不能に陥っていく。

 ユーリの隣でソラは必死に集中している。ソラの能力は、人に自分の思念を伝えることができるまでに進化している。情報伝達が生死を分ける戦場で、その能力は貴重だ。

 襲撃部隊の一部は祈りの塔に突入し、二人の真下から煙が噴き出る。二人とも動かない。ユウジとトワの状況はソラの脳を経由してユーリと共有される。聞くまでもなく階下の状況は手に取るようにわかる。

 レイヴンが火を噴くたびに襲撃部隊は数を減らしていく。ユーリは決して的を外さない。それはつまり、狙われた者は確実に戦闘不能に陥る、という意味だ。それでも行進を止めない部隊の狂気は、ソラの神経を侵していく。


「—前へ!」


 ソラが呻きながら立ち上がる。眼は正気を失い、憑かれたようにふらふらと立ち上がる。突入部隊の強い感情がソラの脳を浸食し始めている。

 ソラの隣では相変わらずユーリが引き金を引き、レイヴンが火を噴く。痛みと恐怖と怒りと使命感。突入部隊の強い感情に背中を押されるようにソラが足を踏み出す。祈りの塔の最上階で、風に体がゆらめく。

 ユーリは祈りの塔から足を踏み出そうとしていたソラの足首を掴み、後ろに投げ飛ばす。ソラはそのまま最上層の床に転がり、意識を失う。


「お姫様はお休みだ。男たち、死に物狂いで姫を守れ」


 アイグラスに接続されたインカムにそれだけ言うと、ユーリは再び引き金を引き続ける。

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