1-8 自由の翼 ー Terrorists

「いくらなんでも手際よすぎだろ?」


 古びた倉庫を改造した即席のアジトで、筋肉隆々のクラインは砂糖をたっぷり入れたカフェオレを、特大のマグカップでうまそうに胃袋へと流し込む。震災直後は遺体置き場として使われ、その後廃棄されていた広い倉庫では多くの人間が各々の仕事に集中している。

 目を惹くのは銀髪のナギと、燃えるように赤い髪のレイカ。その髪と同じ色のアームドスーツを着て突入部隊を指揮していたレイカは、プラン通り突入早々に撤収している。

 彼らの目の前にあるのは量子コンピューターに接続された馬鹿でかい壁面型ディスプレイ。クラインはそのディスプレイに眼にもとまらぬ速さで情報を展開していく。蜂の巣をつついたような騒ぎの国会中継は既に百を超える言語に翻訳され、世界中の動画サイトにアップロードされて視聴者の数を伸ばし始めている。マスメディアと政府は完全に後手に回り、AIによる隠蔽工作が世間に暴かれてひどいバッシングを受け始めている。世界中のメディアが今回の騒ぎを扱うだろう。


「襲撃を手引きした男が即座に喚問されるわ、遮られることのない過激な発言の数々、止められることのないテレビ中継、持ち込まれるはずのない拳銃—いくら金属検知器に引っかからないプラスチック製だとしても、だ。内通者がいたことくらい俺にでもわかる」

「今の政府のやり方に不満を持っている人間がそこら中にいる、ってことさ。マスコミに手は回してある。論点を外した記事による意思誘導や芸能ゴシップによる新規話題の提供、国民の意思誘導について彼らはあきれるほどの知見を持っている。議論は全て『情報統制局一課長の発言の真偽と自殺の真相』に集約されるようになっている。俺たちの関係を疑う者は誰もいない。何も問題ないさ」

「−相変わらず用意周到ね」

「『勝負の行方は戦いが始まる前に決まっている』、さ。その言葉が真実なら、戦いが始まる前にこそ、全力を尽くすべきだろ?」

「ターゲットの破壊は?もう私たちは自由なの?」

「それについてはどうだ?クライン?」


 ナギの声に再びクラインは幾つもの映像を壁面ディスプレイに展開する。クラインにとっては立体映像よりも旧世代の二次元ディスプレイの方が仕事がしやすい。個人ナンバー、戸籍、預金口座など個人情報を取り扱うサイトが次々に表示され、クラインはそれぞれのサイトで、その場にいる人間の個人情報を次々と打ち込み、検索をかけていく。数秒の後、画面に表示されたのは”No Matching(該当なし)”の赤い文字列。その表示にわっと言う歓声が沸き起こり、続いて皆が笑顔で肩を叩き合う。

 「該当データが見当たらない」。それはつまりその場にいる人間の情報が、世界中のデータベースから消去されたということだ。


「俺たちは自由だ!」


 再び歓声が上がり、誰もが手にしたグラスを高く突き上げる。

 戸籍、犯罪歴、病歴、学歴、遺伝子配列といった個人情報は生まれた時に体内に埋め込まれ細胞と同化するIDタグと紐付けて管理される。こうした個人情報は、テックジェン社の強固な多重データサーバーに格納され、個人情報を必要とする世界中のシステムは都度このデータベースに問い合わせている。

 多重データサーバーと暗号鍵を組合わせたシステムはウイルスやハッキングに対して万全の強さを持つ。情報を削除するには、物理的に破壊するしかない。


「クラスターサーバーだろ?別拠点に存在する複数サーバーを一度に破壊するなんて不可能だろうにどうやった?」

「そこらへんは先生が事前にうまくやってくれていた」


 ナギの言葉にクラインは再びディスプレイを操る。情報が色とりどりの渦をなしてディスプレイの上を流れていく。クラインは没入型のUIを介して情報と一体化し、情報の海を泳ぎながら目的とするデータを探す。ビーコンを打って検索をかけるが反応はない。


「データは残されていない。クラスターサーバーによる多重データ管理の仕組みは一時的に解放されていた。高度なアクセス権を持つ情報統制局課長だからできたことだろう。完全消去はどれだけ高い権限を持っていても不可能だが、多重化処理を一時的に凍結して情報を特定のサーバーに集約させることくらいは出来る。最後に残されたデータをサーバーごと物理的に消してやれば、情報はこの世界から奇麗さっぱり消滅だ」

「ーこれで私たちは、本当に自由ね」


 レイカは艶やかに笑う。


「個人情報を持たない俺たちは、この社会システムの中では幽霊(ゴースト)と同じだ。IDログを偽装すれば、どこにでも現れることができるし、どこの誰にでも成り変わることができる。なんだってできる」

「ナギ、いいのか?IDログの偽装は重罪だぜ?」


 スーツを着た眼鏡の爆弾魔ーワタナベが口元に笑みをたたえてナギに話しかける。その言葉は真面目にも不真面目にも解釈できる。


「お前のように誰もが無個性になれるわけではないからな。ゆくゆくはIDログなんて無粋なもののない世界を築き上げてやるさ。それまではばれないようにしとけ」


 ふっと一つ笑うと、ワタナベは集団の中へと消えていく。

 ナギは仲間たちを振り返る。様々な人種、年齢の男女がお互いに肩を叩き合い、システムの管理から解き放たれた喜びに浸っている。


「いいか、お前ら!」


 ナギの声にざわめきが収まる。誰もがナギの言葉を期待して待つ。


「まずはじめに、俺たちのために犠牲になってくれた十人の仲間に祈りを捧げよう。特に天谷先生は俺たちの目指すべき方向を共に真剣に考えてくれた。彼の尊い犠牲なくして今の俺たちはない」


 その場の誰もが目を閉じ、思い思いのやり方で祈りをささげる。


「彼らのおかげで俺たちは翼を持つことができた。俺たちはこれから『自由の翼』と名乗る。そして、システムの管理から世界を解放する。まず手始めにこの国からだ」


 ナギの言葉にその場にいたものは歓声でこたえる。

 下地は整った。ここまでは順調そのもの。その場にいる誰もが、これから始まる戦いに胸を躍らせていた。

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