3-32 接触 — Contact

「データってのは厄介でな」


 ナギは東京湾岸—品川近くの倉庫に置かれた、コンテナルームで足を伸ばす。祈りの塔のほど近く、この特注のコンテナルームはナギたちのアジトであり、前線基地であり、スイートルームだ。いざとなればトレーラーに積み込むことも出来る。ミネラルウォーターを口に運びながらナギは続ける。


「本人以上にその人間自身を語る。脈拍や心拍数、消費カロリー、起床時間、睡眠サイクル。そうしたあらゆるデータがその人の生い立ちやライフサイクル、その人が現在どのような状態にあるかを語る」

「つまり—?」


 カザミはナギの足の上に横になり、アイグラス上でゲームに勤しんでいる。三つに分けた髪は青く染まり、口の周りには真新しい幾つものピアス。敵キャラを倒すたびに口元に酷薄そうな笑みが浮かぶ。


「IDタグにはそれらの情報が全て蓄積されている。生まれてからの全ての情報だ。だからその人の死後にそのIDタグを取り出せば、その人となりがわかるし、個人を特定することも出来る」

「でもあのデータセンターの破壊で私らのIDは消去されたんだろ?いま私のIDはいけてない三流小説家のものだし、ここにいる全員が他人のIDを使ってる。だったら私らを特定されることなんてあり得ない」

「特定されることは無い。しかし、我々がそのIDの持ち主じゃない、ってことが特定される。ナギはそう言いたいんだ」


 巨大な立体映像の前でクラインが振り返る。スキンヘッドにサングラスの顔には優しい笑顔が浮かぶ。


「IDタグに蓄積された情報とその戸籍情報を照会すれば、明らかにおかしなIDを特定できる」

「でも、これまでは特定されることはなかった」

「マシンとシステムの能力の問題だ。軌道衛星群ヴィルタールの起動が確認されている。公にされていないが、地政学的にリスクの高い場所に位置するこの国では、リスクヘッジのために軌道上に自国のデータベースとシステムのバックアップを置くことにした。その管理統括を行うのが本来のヴィルタールの役割。つまりあれを使えば膨大なリソースを活用できるということだ。あのとき襲撃したデータセンターの比じゃないぞ。だからヴィルタールのリソースを使ってID識別システムを走らせれば『我々が我々ではない』と認識されるのも時間の問題だ」

「ってことはなに?当面はまた地下暮らし—?」


「いつまでも地下暮らしってわけにはいかないだろ?」


 コンテナルームの扉を引き揚げて、男が一人足を踏み入れる。男の背後では、見張りの男が倒れている。


「俺がなんとかしてやってもいい」


 長身痩躯の優男は部屋の中を一瞥するとナギを認め、足を踏み出す。その足取りはおぼつかず、二、三歩進んではよろよろと体勢を崩す。


「なんだお前は」


 ナギの前に立つボディーガードが優男の肩を掴む。


「邪魔だ」


 軽く身体を揺すっただけで肩を掴んだ男は壁まで吹き飛び、コンテナルームを大きく揺らす。


「よくここがわかったな。死にかけでベッドの中と聞いていたが」

 ナギは微笑を浮かべる。カザミもクラインもユウジを一瞥しただけですぐにゲームとホログラフィックビジョンに目を戻す。

「レイカに聞いた」

「口の軽い女は好きじゃない。が、いまさら故人をどうこう言うつもりも無い」

「レイカはまだ死んじゃいない」

「ああ、そうだったな。生物学上はまだ生きているんだった。それよりも、『なんとかする』ってのはどういうことだ?」

「お前らの居場所を突き止めれば政府は必ず『十二人の幽霊』を送り込んでくる。あいつらは俺が相手してやる」

「戦力不足に悩む俺たちにとっては願ってもない申し出だな。だがどんな風の吹き回しだ?レイカに手を下したのは俺たちの仲間のワタナベだ。正直、俺はお前が俺たちを殺しにきたのかと思ったよ」

「あの爆弾野郎のことならもう死んだ。それにあの『幽霊』たちがレイカを殺そうとしたことに変わりはない」

「いいのか?政府もEX-Humanの仲間たちも裏切ることになる」


 自分のことを『師匠』と呼ぶ馬鹿な少年の顔が脳裏に浮かぶ。しかしユウジはゆっくりと首を横に振る。


「俺は『この世界を楽しむ』ってレイカと約束したんだ。もうあいつらと一緒にいても俺は楽しむことが出来ない」

「『幽霊』を全員殺した後は?」


 ユウジはナギの胸に指を突きつける。


「お前を殺す。そして終わりだ」

「なるほど。ヴィルタールの起動によってじきに居場所が特定されるテロ集団よりも、まずは自分たちの内部の気に食わない奴らを潰したい、ってところか。世界中を敵に回したテロ集団はほっといても潰されるだろう、って読みは正しいかもしれないな。まあ、そんなに簡単に潰されるつもりはないが」

「お前らに言うことじゃないが、レイカと過ごした時間は俺にとって楽しい時間だった。今度はレイカを傷つけた政府の犬とお前らを叩き潰すことに楽しみを見いだす」


 キシシとカザミがサディスティックに笑う。


「意味わかんね。私のZycosが邪魔するに決まってんだろ?あんたにナギは殺らせねーよ」

「お前の相手は俺じゃない」

「じゃあ誰だ?」


 ユウジはにやりと笑い初めてカザミの目をひたと見据える。


「俺のバカ弟子だ。手強いぞ?」


 馬鹿笑いするカザミ。


「あんたで相手にならないのに、あんたの弟子が相手になるわけないだろ?一瞬でぐちゃぐちゃだ」

「まあいいだろう。どちらにしろ『幽霊』は我々にとっても脅威だ。ミヅキ、アーデン、こいつを介護用トレーラーにつれて行け。Bc細胞のストックがあったはずだ。あれを使え」


 ユウジは二人の女に脇を挟まれ、コンテナルームの外に連れ出されていく。


「いいのか?損傷していてもあいつの戦闘力は脅威だ」


 クラインが椅子を回してナギを振り返る。その脇で医療メンバーが壁に吹き飛ばされた男の様子を見ている。壁の一部がへこみ、衝撃の大きさを物語っている。


「『幽霊』だって生半可な相手じゃない。お互いに潰し合ってくれるのなら願ったり叶ったりだ。それにあいつでは万が一にもZycosには勝てない。だろ?」


 カザミはにやりと笑うと立ち上がってナギの頬に軽くキスをする。


「クライン、ヴィルタールへのID情報の漏洩速度をコントロールできるか?俺たちの居所が知れれば、あの優男の言う通り政府は必ず『幽霊』を俺たちに当ててくる。あいつの体力が回復するまで時間を稼ぎたい」


 クラインは肩をすくめる


「相手は政府が総力を挙げて完成させた化け物みたいなシステムで、開発者のヴィルタールは伝説の人物だ。どこまで出来るかわからないが、やってみるさ」


 クラインはアイグラスを外すと軽くウインクする。ヴィルタールに憧れMITを卒業した天才プログラマーは、世界中の名だたるシステムの中身を知りたくて天才ハッカーとなった。学生時代に世界を放浪し、筋骨隆々の肉体と大国主導の世界への絶望を得た男はナギの思想に心酔して彼の片腕となった。

 ナギは知っている。クラインに不可能は無い、必ず成し遂げる、と。そして次の計画の根幹も、やはりクラインが担うことになる。


「あの優男、いろいろな連中を道連れに死ぬ気だな」


 クラインが呟く。


「時代の変換点にはいろいろな奴が出てくる。自分の主張を押し通していろいろな人間を道連れに死のうとする奴はこれまでにも数限りなくいた。特にこの国では、な」

「迷惑極まりないな」

「知らなかったのか?過去に英雄や偉人と呼ばれた人間の多くは、すぐ側にいたら「迷惑極まりない」奴ばかりだぞ?」


 クラインは頭を一撫ですると画面に戻る。カザミは興味なさそうにゲームに興じる。ナギだけが面白そうにユウジの連れて行かれた扉を見つめている。

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