3-33 転換点 ー Turning Point

「今回の予算申請の承認、ありがとうございます」


 旧東京駅近くにある摩天楼 CHITOSEの最上層、VIPしか入ることの許されない来賓エリアにある展望レストラン。海外の要人や王族をもてなすためにも使われるそこで、二人の男がテーブル越しに向かい合い食事をとっていた。全面ガラス張りの部屋からは霊峰富士の遠景が目に入る。この展望レストランの売りの一つだ。もちろんガラスは硬質防弾ガラス。戦車の砲撃でもひびひとつ入らない。


「私は承認しただけで判断を下したのはMIKOTOだ。つまりはMIKOTOが承認するようにうまくストーリーを作った君の成果、ということだ」


 財政担当トップの沢木創と向かい合うのは内閣総理大臣、安浦仁。今日の会食は軌道衛星群ヴィルタールのシステム修正予算投入決定のお礼にと、沢木がセッティングした。いかに沢木でも首相である安浦と会う機会などそうそうあるはずもないが、お互いに同じようなことを考えている者として以前から話をしてみたいと思っていた安浦は、沢木の申し出に快く応じてくれた。


「以前は寝る間もないほど忙しかったが、判断をMIKOTOに任せることでだいぶ余裕ができた。だからこうして君の誘いにも乗ることができた訳だ」


 内閣府直下の「人工知能の有効利用に関する検討委員会」での検討からスタートし、最終的にはヴィルタールの開発費と同等規模の予算が投入されて完成したのが政策策定AI、MIKOTOだ。ヴィルタールシステムとMIKOTOの開発で国家予算はパンク寸前まで追い込まれたが、マスメディアの情報操作と安浦自慢のバランス感覚でなんとか乗り切ってきた。

 安浦は好物である和食に舌鼓を打つ。下層界では合成タンパク質から作り出された魚もどきを刺身として販売しているが、ここの刺身は正真正銘、国産の天然物。当然、比較にならないほど高額だ。


「恐れ入ります」

「嘘をつけ。恐れ入ってなんかいないだろう?君もそのうち選挙に出ると聞いている。私のあとを虎視眈々と狙っていると噂だぞ?」


 そう言って安浦は豪快に笑う。

 公にはされていないが、内閣の業務のうち、判断を要する仕事の大半はMIKOTOに任されている。国際問題における過去事例、諸外国の体制、各国間の微妙な利害関係、主要国要人のパーソナルデータやバックグラウンド、そうした膨大なデータと国家間関係から将来まで見越した最適な政策を判断することは人間にはもはや不可能だ。人間はMIKOTOの調整と、投入するデータの選定、関連因子の重みづけ、マスコミへの対応、あとはせいぜい失言にさえ気を付けておけば問題ない。

 直近の政治的課題や財政状況、世相について一通り意見を交わしたところで、安浦が切り出した。


「礼を言われたからというわけではないが、一つ君に頼みたいことがある。ヴィルタールだが、あれをもっと政治的に有効活用したい」

「と、おっしゃいますと?」

「ハッキングAI『MEBIUS—メビウス』が世界を席巻している今、世界中のあらゆるシステムは公衆回線から切り離さざるを得ない。ワクチンはあるが、一定時間しか役に立たないしな。そんな中、従来と全く異なるシステム言語で構成されたヴィルタールは今では世界に唯一の公衆回線にアクセスできるネットワークシステムだ。この意味は大きい」


 —またか。

 それが沢木の心の中に浮かんだ言葉だ。ヴィルタールの技術的優位性をもって、斜陽国家となった日本の国際的な発言権を強めたい。その安浦の気持ちはよくわかる。

 しかしその「技術的優位性をもって他国への発言権を増していく」という方法は、これまでこの国が取ってきた方法そのものだ。そしてことごとく失敗している。

 客観的に見ても、一つの技術的な優位性ーたとえそれがヴィルタールのようなずばぬけたシステムだったとしてもーだけでその国際的な地位を挽回することはいまや不可能だ。外交面での折衝力や圧倒的な指導力、そうしたものが欠けたこの国ではシステムを公にした途端にその機密を他国に吸い上げられて終わりだ。

 そんな思案をする沢木を安浦はじっと見つめる。


「きみの言いたいことはわかる。たった一つの技術的な優位性だけでは、もはやこの国の地位は覆らない。そう言いたいんだろ?」


 沢木は顔を上げてまじまじと安浦を見つめる。


「顔色で考えていることを悟られるようではまだまだ君に後を任せるわけにはいかないな」


 安浦は再び豪快に笑うとつづける。


「なにもヴィルタールのシステムを政治的な駆け引きに使うわけではない。私はあれを世界規模にまで拡大したいと思っているのだ」

「世界規模?」

「そうだ。IDタグの埋め込みは国連で決議されたことであり、世界人口の七十パーセント、先進国に至っては九十八パーセントの人間が使っている。それだけの人間のパーソナルデータを取得し解析できればどんなことができると思う?」


 世界経済の動き、軍事的緊張地域、先進国の政策動向、人の流れ、エネルギーの流れ。世界中の人間のパーソナルデータを国際情勢というバックデータと掛け合わせれば今後の世界の動きを今よりもはるかに高い精度で予測することができる。


「そうだ。そして世界の動きを一足早く予測することができれば、あらゆる面で先手を打つことができる。それはつまり、世界の国々に対して主導権を握れるということだ。素晴らしいだろう?ここまで明確にテクノロジーの進歩が政策と結びついた時代はかつてなかった」

「しかしパーソナルデータの解析による将来予測は先進国各国が既に検討し、倫理面での問題が多いとして手を引いています」

「倫理面というのは言い訳に過ぎない。彼らが手を引いたのは、ヴィルタールを持たなかったからだ。自信満々の大国にはわからないだろうな。高齢化と少子化により人口が急激に減少し、かつての繁栄を夢見て人間の限界を超えることについて思いを巡らし続けたこの国だからこそ、為し得た技術。それがヴィルタールであり、EX-Humanたちなのだよ」


 沢木は目をしばたかせて頭に手をやり、自分の今いる位置を正確に見極めようとする。日本の最高権力者の正面、新しい時代の最前線フロントライン、歴史的偉業のはじまり、世界的な混沌カオスの幕開け—。

 どれもが正解であり、どれもが誤りでもあると感じる。

 確かなことはいま自分のいる場所は歴史的な転換点であるということ。そして歴史の前では個人など無力に過ぎないということだ。


「わかりました。具体的には何から取り掛かりましょうか?」


 自分の声を他人の言葉のように聞きながら、沢木は思う。歴史的な決断とはいつの時代も容易く行われ、取り返しのつかない結果を生み出す。

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