3-31 ヴィルタール — Villetard

「システムへのアクセスを開始します」


 祈りの塔の麓、研究施設の本丸であるB棟の最下層。立体映像ーホログラフィックビジョンが多重に並ぶ制御ルームでマカロワは、壁にもたれて煙草をくゆらせながら電子音声のアナウンスを聞いていた。室内は禁煙だがマカロワは気にもしない。

 ホログラフィックビジョンの精彩度に影響するため室内は白を基調としたシンプルなデザインで統一されている。AIへの依存度が高いためスタッフの数は少ない。スタッフの衣服もシンプルで淡いデザイン。知らない人が見たら、制御ルームではなくデザインスタジオと思うかもしれない。


「カウントダウン。三、二、一、アクセス開始」


 ビジョンの一つに軌道上に浮かぶ人工衛星が映し出されている。ヴィルタール。主構造に沿って二十四枚の太陽電池パネルが展開されたその姿は羽を広げた鳥が連なっているようにも見える。太陽光を反射したパネルの輝きに、マカロワは軽く目を細める。


「アクセス確認。続けて侵入インベンションスタート」


 別のビジョンで、見たこともない文字列が凄まじい速度で流れ始める。その場のスタッフの視線がそのビジョンに集中する。


「従来のシステム記述言語と異なるシステム記述言語の体系を一から作る、か。聞いたときは夢物語だと思ったが、実際にこの短期間で成し遂げてしまうところが天才たる由縁だな、マカロワ」

「恐れ入ります」


 ヴィルタールからの音声通信はしわがれた男の声。ヴィルタールという衛星の名付け親にして、マカロワたちが所属するILAMSの創始者。マカロワも直に会ったことは無い。マカロワがILAMSで働くようになったときには既に軌道上にいた。事故で瀕死の重傷を負い、治療法が見つかるまでという期限付きで軌道上に上がったまま、一度も下りてきていないらしい。年齢はユーリの倍を超える。生存の仕組みはマカロワでさえも知らされていない。光合成かそれに近い仕組みだろうとマカロワは読んでいる。


「侵入、あと少しで終わります。三、二、一、侵入成功。Take over開始」

 軽い歓声の後、再び沈黙。ビジョンの上では新システムの乗っ取りTake Over状況が数値で表されている。数値は刻々と増えていて、不安材料は何もない。当然だ。このやり方はマカロワが考えたのだから。

 ヴィルタールというのは一機の衛星を指す名称ではなく、全部で四十八機の衛星から成る衛星群のことを指す名前だ。ヴィルタールシステムは、全地球測位システム(GPS)と同じように地球周回軌道上に配置されることで地球上のあらゆる情報を吸い上げることが出来る。理想的な情報収集システムであり、世界中の誰もが生誕時に腕に埋め込まれることを義務づけられている生体IDタグと組み合わせることで絶大な効果を発揮する。しかしそれもシステムが問題なく動作してのことだ。ネットの海がハッキングAIのスープと化したこの世界では、タグ情報を読み込もうとした瞬間にハッキングAIにシステムを乗っ取られて軌道上のゴミと化す。

 しかしそれもシステム体系ごと完全に入れ替えてしまえば話は別だ。生身の肉体を機械の身体に置き換えるようなもの。どれだけ人への感染性の強いウイルスだろうと、機械の身体に伝染するはずも無い。


「『人間』というのはどこまで行っても興味の尽きない観察対象だ」


 ヴィルタールの独白。百年以上にわたって軌道上からたった一人で下界を見下ろしてきた男の言葉にはそれなりの重みがある。


「個々の人々の営みは違えども、大局的に見れば人間の歴史は常に同じスパイラルを描いている。破壊と再生。文明の始まりである太古から現代まで、これは全く変わらない。宇宙へと足を伸ばし、地球を何度も滅ぼせるだけの力を手に入れたというのに、人は未だに人であることの呪縛からは逃れられていない」


「だからこそのEX-Humanプロジェクトなのですよね?」


 マカロワの言葉に返答は無い。頷いたようにも、首を振ったようにも感じ取れる。

 『人類の次の進化の段階は何か』

 長年にわたり学会を騒がせてきたこの問いに一つの答えを提示したのが米国の歴史学者ジェームズ・C・ウォレスと仏の科学者 A・ヴィルタール。二人とも伝説的な人物だ。


 「人類は進化の果てに巨大な脳を獲得し、目覚ましい発展を成し遂げてきた。しかし人類は未だに争いと再生のスパイラルから抜け出せないでいる」


 「争いと再生に関する本能的欲求から逸脱し、恒久の平和をなし得た時こそ、人類は次の進化の段階に進んだと言えるだろう」


 恒久の平和。

 この甘い言葉に多くの者が魅せられ、この説は異論も無いままに承認された。そしてスタートしたのが人類を進化の次の段階に推し進めるための試み、EX-Humanプロジェクトだ。


「人の限界を超える。EX-Humanプロジェクトではこのための具体的な目標を五つ設けた。一つ、人の生活圏である地球圏を逸脱する。二つ、人の寿命の限界を超える。三つ、人の身体能力の限界を超える。四つ、人の意思疎通の限界を超える。そして五つ、これはなんだったかな。もう忘れてしまった。私も年を取ったな」


 嘘だ。最も重要な五つ目の限界を忘れるはずがない。しかしマカロワは敢えてそこには触れない。


「五つのうち四つの限界は超えることに成功した。しかしそれでもまだ、人は人であることの呪縛から逃れられずに争いと再生を繰り返している」


 ヴィルタール、ユーリ、ユウジ、ソラ。人の限界を超えた四人の超人ーEX-Human。しかし彼らを持ってしてもこの傾きかけた小国にさえ平和をもたらすことは出来ていない。

 人はどこまで行けば、人であることの呪縛から抜け出せるのか。


「おしゃべりが過ぎたな。お前たちが私にコンタクトを取ったのは無駄話をするためではなかろう?ジェスターからの報告を聞いておればその理由は察しがつくがな」


 シシシシシとかすれた笑い声。ジェスターの口の悪さは何処に行っても変わらない。


「ナギが率いるテロリスト集団の居場所を、特定したい」

「薙澤零司のことか?あれもまた実に興味深い観察対象だ」


 手術を受け、人の心を理解することを放棄し、代わりに人の心を魅了する術を手に入れたナギこと薙澤零司。研究者でありながら被験体となった超人たちのプロトタイプ。都内で数多のテロを首謀していながら、今では珍しい純粋な日本人の証である漢字表記の名前を持つ男。


「東京都内で発生したテロリズムの大半にナギが絡んでいる。あいつを止めることが出来れば、この国は平和に一歩近付く」


 しばしの沈黙。ある時期に自身でカメラを外してしまい、ヴィルタールの内部にカメラは無い。スタッフたちは固唾を飲んでヴィルタールの次の言葉を待つ。


「終わらんさ、テロは。テロの根源が世界を覆う『格差』にあることくらい、お前さんにもわかるだろう?薙澤零司はきっかけにすぎない。摩天楼に住む富裕層と、地べたを這いずる下層民。彼らの境界を壊さない限り、第二、第三の薙澤零司が現れるだけだ」


「だとしても、よ。ナギは特異な性質を持ったカリスマ性溢れるプロトタイプ。彼に取って代わる者はそう簡単には現れない。頭がいなくなれば自由の翼は瓦解する。束の間の平和は訪れる。時間は稼げる」


「瓦解するはずなかろう?頭を失ったテロ集団は、無差別テロを繰り返すいくつものたちの悪いテロ集団に分裂するだけだ」


 マカロワは一つ小さく息をつく。ヴィルタールの言葉通りだ。格差は容易に憎しみや嫉妬、恨みと言った感情を生み出す。世の中から格差をなくさない限り、テロの根源的な理由はなくならない。そして今の世の中から格差を消すことは不可能だ。水は上から下に流れる。エントロピーは増え続ける。そうした世の中の理と同じ。人が一人一人違う限り、格差は決してなくならない。


「あなたの目指す、恒久の平和とやらは夢物語ね。ナギはここにいた時、言っていたわ。自分は秩序と混乱の境界線から世界を眺めたいんだ、って。まさに彼の思う通りになっているわ」


「秩序と混乱の境界線、か。彼らしい、面白い表現だ」


 再び沈黙。


「気が変わった。手を貸そう」


 ヴィルタールの言葉に制御ルームの全員が息を飲む。


「本当に?どういう風の吹き回し?」

「そうだな。お前さんたちの言葉にするなら、『嫉妬』ってやつだ」

「嫉妬?」

「『秩序と混乱の境界線から世界を眺める』か。世界を遥かな高みから見下ろすことは叶っても、そこまでの贅沢は私にはもはや叶わない。薙澤零司のその夢が叶うか、興味が出てきたのだ」

「願わくば叶わせたくないわね。どんな理由にしろありがたいわ」

「システムの更新は終わったのだろう?あと三十分ほどもあれば、全世界の人間のIDタグの照合が終わる。これで全世界のあらゆる人間の居場所が特定できるだろう。自由の翼のメンバーがデータベースから戸籍データを消去していようが、偽装IDを使用していようがそんなことは関係ない。偽装など私の前には無力だ」


 歓喜の歓声が制御ルームを埋め、スタッフ同士で抱擁し合う。マカロワの顔にも笑顔が浮かぶ。

 あと少し。もう少しでナギたちを追いつめることが出来る。

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