4. 永遠を生きる女 — A woman with Eternal Life

4-1 天上の星々 — Celestial artificial stars

「くだらないな。結局繰り返しだ」


「知らなかったのか?人の世はいつまでたっても同じことの繰り返しさ」


 祈りの塔の外縁部に位置する研究所B棟の最深部。真っ白な集中治療室の中央に置かれたオートテーブルの上でユーリは苦しそうに呼吸しながらもマカロワに人の世の道理を説く。暴走した細胞を新しい細胞と置き換えるために集中治療室の細胞培養槽に放り込まれたユーリは、棺桶から顔だけ突き出しているように見える。もっともその顔もマスクで覆われ、表情は窺い知れない。

 Zycosの光学兵器によって無数の穴が空けられた祈りの塔は半壊状態。ユーリは生死の境を彷徨っていた状態から復帰したばかり。ユウジも全身の損傷が激しく動けない。トワは半壊のZycosにいいように弄ばれてプライドをズタズタに引き裂かれふさぎ込み、ソラは相変わらずぼうっとして屋上から空を見つめている。現時点でのEX-Humanたちの戦力はゼロだ。


「その繰り返しを、負のループを終わらせるために我々は作られた。長く生きたい。頑強な肉体を手に入れたい。地球の外で暮らしたい。言葉を交わさなくてもわかり合いたい。我々はそんな人類の希望を体現する存在、希望そのもののはずだった」


 オートテーブルに取り付けられた高感度マイクはユーリの小さな声を拾い、ノイズを除去してクリアにコントロールルームのマカロワに届ける。


「昔の話だ。人は争いの連鎖からはどうしても抜けられない。人類の希望はそのまま一部の人間を利するための兵器に転換されて、絶望へと変わった」

「人の歴史は技術の発展の歴史だ。技術の発展とともに人は様々なことを可能にしてきた」

「衣食住を得ることが容易になり、遥かに生きやすくなった。しかしそれと同時に他人の命を奪うことも容易になった」

「かつては腕力に頼らなければならなかった。しかし今、私は指先を軽く動かすだけで数キロメートル先の人間の命を奪うことが出来る」

「権力者たちはもっとすごいぞ。ボタンを一つ押すだけで都市を消し去ることも出来るそうだ」


 マカロワが自嘲気味に笑う。


「一個人が機械の軍隊を組織し、一国と相対することも出来るようになった」

「国、大企業、コミュニティ、個人。情報とアプリケーションが浸透して、あらゆる規模の組織が同等の力を持てるようになった。優秀な個人ならAI搭載の自律無人兵器を量産してテロを起こすこともできる。小規模の集団でも国と戦える」


 オートテーブルの上でユーリは少し笑う。表情は見えなくても息づかいでマカロワにはわかる。


「随分と楽しそうだな」

「熱心なお前の姿を見ていたらつい、な。私の知っているマカロワはいつも熱意を持って持論を語っていた」

「学生の頃のこと。もう何十年も前のことだ」

「私にとってはつい昨日のことのようだよ」

「なあ、ユーリ」


 コントロールルームと集中治療室を隔てる強化ガラスに映し出されたユーリのバイタルサインを見ながらマカロワはふと問いかける。


「お前は私が生まれて物心ついたときに今と同じ姿だった。もう何百年も生きている。ヴィルタールを除けば、真に人という種を超えた初めての存在だ」


 ユーリは動かない。眠っているように見えるが、話は聞いている。マカロワにはわかる。


「お前はいったい今、何を考えながら生きているんだ?」

「—まるで珍獣扱いだな」


 短い沈黙の後にユーリは答える。


「珍獣じゃない。例えるなら神だ。神が存在するとしたら、いったいこんな不毛な世界で何を考えるのか、それが知りたいんだ。人をどうしたい?生かしたい?殺したい?人を愛しているのか?愛していないのか?」


 再びの沈黙の後、ユーリは呟いた。


「なにも」

「なにも?」

「まず初めに私は神じゃない。それでも私が何を考えているのか知りたいというのなら、ひと言で言うしかない。私は何も考えていない。トワとソラにも話したが、ただ与えられた使命を全うする。それだけだ」

「契約に基づいて務めを果たす—か」

「疲れてしまったんだ」

「なに?」

「誰かを殺す。あるいは何かを壊す。私がやってきたのはそれだけだ。そのことによって喜びや嬉しさを味わうこともあったが、大抵の場合、私が味わったのは悲しみや空しさだ。そしてある時、私は気付いたんだ。私のやっていることに、実は大きな意味なんてなんにも無いんだ、って。それからは考えることを止めた。私は自分に与えられた任務を果たす。そのためだけに生き、そして死のう、ってな。例えるなら植物と同じだ。植物にも意志や感情や大義はないだろ?それと同じだ。植物が光合成をするように、私は殺し、破壊する。そうしたいからじゃない。それしかできないからだ」


 マカロワはユーリを見つめる。治療室の中のユーリは身体も顔も見えない。それでもマカロワはユーリという人間をはじめてしっかりと感じていた。


「意味が無い、なんてことはない。お前はソラを救った」

「救えなかった命や、私の関係のないところで失われた命の方が遥かに多い。最初の話に戻るだけさ。人の世はいつまでたっても繰り返し。人を超えた寿命を持ったところで、何も変わらないし変えられない」


 マカロワはガラスに投影されたタッチパネルを触りながら投与する薬剤の量を調節する。経過は順調。このままいけばあと一週間程度で戦力として復帰できる。そしてまたたくさん破壊し、殺すのだ。


「お前みたいな人間が増えれば人の歴史は変えられるのかもしれないな。争いの無い平和な世界がくるのかもしれない」


 ユーリが笑ったのがマカロワにもわかった。嘲笑だ。


「争いが無いということは、欲望もない、ってことだ。何も望まず、感情もなく生きる人間は人間じゃない。要するに争いの無い世界が来たら、そこにいるのは間違いなく、お前の知っている人間じゃない。そしてわかっているだろうが、私ももう人間じゃないんだ」


 ガラスの向こう、巨大なオートテーブルの中央に置かれた筐体を見てマカロワは悲し気に笑う。もちろんわかっている。そして確信する。ユーリは間違いなく、EX-Humanプロジェクトの完成品だ。


「じぇすたー、もう喋ってくれないの?」


 B棟の屋上でソラは膝の上の人形に問いかける。見上げた空には倒れかかった祈りの塔。Zycosの光学兵器により巨大な穴が穿たれた塔は大きく傾ぎ、その頂上は遥か太平洋上にある。その姿はまるで太平洋に向けて伸ばされた巨大な釣り竿だ。


「演算能力の98パーセント以上がヴィルタールのシステムバックアップに回されているからそのせいだろうね。新しいプロジェクトが始まるから、当分は能力を他に振り分けている余裕はないと思う」

「要するに、じぇすたーはしゃべってくれないのね」

「−さびしい?」


 ソラは激しく首を横に振る。


「さびしくない。いつでもいろんな人とつながっているから」


 トワはソラの頬に触れる。ソラはその手に気づかず、遠くの空を見つめたままだ。近くの人の心に共感を誘起するソラには、逆に近くの人間の思考も流れ込んでくる。海を挟んでいるとはいえ、百万都市東京の街はすぐそこだ。ソラの頭の中では常に膨大な数の人間の思考が渦巻き、ソラ自身の個性は霞んでしまう。


「ソラ」


 トワはぎゅっとソラを抱き寄せる。

 血の臭いを恐れて遠ざけていたトワを、ソラはいまでは気にかけない。他人の思考に心の大部分を占められ、ソラの五感は弱まり、自我も失いかけている。

 ソラは抱き寄せられたままトワの腕に爪を立てる。容赦のない力にトワの腕からは血が流れ出す。その強い力を、自我を失うまいとするソラの心の叫びのように感じ、トワは涙を流す。


「そろそろじゃない?」

「ああ」


 その言葉を待っていたかのように、天上で無数の星が輝きだす。昼でもはっきりと見えるその星々は、ヴィルタールを構成する人工衛星群。全世界を対象とした識別システムが稼働し始めたことで出力は十倍規模にまで跳ね上がり、恒星のごとき輝きを放ち出す。ヴィルタールシステムは近傍の衛星群もシステムの配下に置き、その輝きを増していく。


「見て、すごいね」


 トワの言葉に、ソラはゆっくりと首を巡らせる。紺碧の海と青く澄み渡った空、そこに煌めく人工の星々。現実離れした恐ろしいほど美しい光景に本能が反応したのか、ソラは涙を零す。その涙がトワの赤い血と混ざり、二人の肌を熱く濡らす。

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