4-26 最後の一つ — The last one
雪に覆われた山を、男と二人、ライフル銃を担いで歩いていた。
自分の身体は小さく、銃が重く感じる。初めて持った銃の重さは新鮮で、担ぎ方もぎこちない。銃がどんなものかは知っている。でも恐怖は無く高揚感を感じる。使い方を誤らなければ、銃は大きな力になってくれる。そのことを前を歩くあの男—父から教わった。
先を行く父は時折振り向いて自分のことを確認する。その動作に安心する。父が自分を気にかけてくれている。それだけで心が少し温かくなる。
場面が切り替わる。
場所はどこかの戦場。
そこで自分はひたすら銃の引き金を引いていた。
弾を込め、照準を合わせ、息を止めて引き金を引く。その動作を機械のように繰り返していた。陽光降り注ぐ、市内で最も高い建物—ラジオ局の屋上。そこに腹這いになり、熱く湿った風に身体を撫でられながら、倒壊した建物の陰から覗く敵の狙撃手や、ロケットランチャーを隠し持ち一般人に偽装した敵兵を淡々と殺した。
雪山で父と歩いていたときに感じた温もりはきれいさっぱり消え失せ、全てに投げやりな気持ちで、ゲームのポイントを稼ぐように殺戮に没頭した。狙撃手は敵兵から最も忌み嫌われる存在。キュルキュルと音を立てて現れた戦車の砲弾に撃ち抜かれ、ラジオ局は倒壊。吹き飛んだ自分の足を見ながら気を失った。
簡易ベッドで目覚めたとき、最初に感じたのは「撃ちたい」という欲求だった。
砲撃によって吹き飛ばされ手足を失った自分がなぜ生きているのか、その理由を医師たちから聞かされたが、そんなことはどうでもよかった。撃ちたい。引き金を引きたい。その欲求だけがふくれあがっていた。
身体が元通りになると世界の数多の戦場を駆け抜けた。
引き金を引くごとに狙撃の腕は上がり、組織が自分の見る目も上がった。最初は純粋に嬉しかったが、時と共に喜びは薄れ、狙撃はただ生活の一部となっていった。眠る、食べる、撃つ。それだけだった。それだけで満足だった。恐怖や悔恨など感じたことも無かった。
自分だけが年を取らない事実に気がついたのは、自分を担当していた若い医師が、老衰で亡くなったと聞かされたときだった。
仲間もなく、家族もなく、いつも一人だったが、それが嫌だと感じたことは一度もなかった。
「人は生まれるときも死ぬときも、一人なんだよ」
誰かの言葉が脳裏に蘇る。それは父の言葉かもしれないし、面影さえ忘れた母の言葉なのかもしれない。
一人は楽だ。
自分に責任をとれればそれでいい。この肉体も、この心も、自分のものであり他人のものではない。罪も罰も私一人のものだ。最後には全てを抱えて死んでいけばいい。そう思うと心は軽くなった。でも少しだけ、本当に少しだけ、心の奥底で疼くものがあった。その疼きの名前を自分はまだ知らない。きっと永遠に知ることはないのだろう。
「やっとお目覚めだ」
目を開くと、そこには見慣れた優男の顔があった。潮風に曝されて顔がべとつく。起き上がろうとしてそれが叶わないことを知り、身体から力を抜く。
「ユーリ…」
崩れかけた祈りの塔。折れ曲がった塔の外壁に引っかかるようにして自分は横たわっていた。眼下には大海原。目を上げると巨大なスマイルマークを浮かべたアームドスーツを背にし、トワに肩を抱かれたソラがいた。二人は心配そうにユーリを見つめている。
「姫、無事だったか」
「ユーリ、身体が…」
「分かっている。もうすぐ私は死ぬ。お前と最初に会ったときと、逆だな。あの時はお前が死にかけていた」
ソラは泣き腫らした顔に精一杯の笑顔を浮かべて頷く。風になびく髪を押さえる仕草は既に大人の女のものだ。
「ユーリ、悪いが死ぬ前にもう一仕事、頼みたい」
下半身のないユーリをユウジは片手で抱き上げる。逆の手には漆黒の狙撃銃。熱した銃身からは煙が立ち上がっているが、ユウジは気にすることも無く銃身を掴む。
「こんな姿になってもまだ私をこき使うのか?ヴィルタールは沈黙した。全ては終わったはずだろ?」
「まだ終わっていない。あれが見えるか?」
そう言ってユウジは眼下を示す。夜明け前の海、東京の街の光に照らされて、MIKOTOは波間で見え隠れしている。その表面で赤く蠢くラプラスは、もうその姿を隠そうともしない。黒い球体の表面で蠢く赤い瞳。禍々しさを湛えたその輝きにユーリは眼を細める。
「ナギか」
「そうだ。あいつで最後だ。あの赤い光を撃ち抜けば全てが終わる」
「—私はもう、銃を持てない」
「銃なら俺が持ってやる。お前は狙いを定めて引き金を引けばいい」
ナギはゼノニウム合金製の長大な弾丸を取り出すとレイヴンの銃身に込める。その弾丸は、弾丸というよりも杭だ。超重量の弾丸はユウジの力が無ければ持つことさえ出来ないだろう。
「人使いが荒いな」
「今に始まったことじゃないだろ?それに—」
「それに?」
「全て片付けてから死んだ方が気分がいい」
「それは、間違いないな」
ユーリは気付いていた。ユウジも既に限界を超え、身体を構成する生体用複合強化金属が崩壊し始めている。おそらくあと数時間で身体は崩れ落ちる。つまり死ぬ。
「トワは姫を連れて退避しろ。万が一、俺たちがあいつを仕留め損ねたら可能な限りここから離れろ。原発の暴走の巻き添えになるぞ」
「大丈夫。ユーリがしくじるはずないわ」
低い振動音が聞こえる。視線を眼下に移すと、無数の
「時間がない。やるぞ」
ユウジはユーリを抱きかかえたままレイヴンを構える。ユーリは右手を引き金に沿え、照準を覗く。ユウジはユーリのわずかな腕の動きにあわせて銃身を動かす。二人とも血にまみれているが、顔は驚くほど穏やかだ。EX-Humanとして生きた人生もこれで終わる。これで終われる。その思いは二人に共通だ。
ドローンの大群が動き始める。折れた祈りの塔をゆっくりと上りながら銃弾をばらまき始める。一機一機は大した戦力ではないが、その数は圧倒的だ。瞬く間に祈りの塔に無数の弾痕が刻まれていく。
ユーリが引き金を引く。
鈍い音と共に放たれた銃弾は、圧倒的な速度でドローンの大群を切り裂き、MIKOTOを覆う強化プラスチックに突き刺さる。衝撃と共にプラスチックに亀裂が走るが、その内側までは届かない。ドローンの大群が盾の役割を果たしている。
「駄目だな。ドローンを排除しない限り何発撃っても同じだ」
ユーリはにっこりと笑い、ユウジを見上げる。
「長い人生の最後が失敗とは、ゆくゆくついていない。残念だ」
二人の身体がドローンの射程に入る。ユウジは身を挺してユーリをかばう。ユウジの身体に弾丸が突き刺さるがもはや血は流れ出ない。まだ生きているのが奇跡だ。
黒い雲のようなドローンの大群が二人を飲み込もうとした時だった。
雷が落ちたような衝撃と轟音。二人の目の前でドローンの大群が切り裂かれ、パチパチと爆ぜる音を立てて焼け焦げた数十機のドローンが海に落ちていく。祈りの塔の外壁の上をつむじ風が舞い、巻き込まれたドローンは制御を失って外壁に激突する。
「まだ死んでもらっては困る」
二人の前に、光学迷彩を解いた黒衣の女が姿を現す。面に酉の文字が刻まれた黒い幽霊。その足からは青白い電光が迸っている。
「お前—」
「お前はカエデの仇だ。それを許した訳ではない」
言葉の最中に足を蹴り上げる。一蹴りで数機のドローンが制御を失い落ちていく。
「それでもカエデなら—あの子ならこう言ったはずなんだ。『この街を守って』ってな。正義の本質は『守る』ということ。それをあの子は知っていた」
ドローンの大群が銃弾を撒き散らす。三人の前に光学迷彩を解いた巨躯の幽霊が立ちふさがり、身をもって弾丸から三人を防ぐ。弾丸は巨躯の幽霊を傷つけることなく全て弾かれる。
「その銃はお前にしか撃てないんだろ?そしてその銃弾でしか、あいつは壊せないんだろ?だとしたら死んでもその引き金を引いて、的に当てろ。道は俺たちが作る」
見ると、祈りの塔のあちこちで黒い幽霊たちがドローンと戦っている。圧倒的な数の差をものともせずに、かつて敵だった幽霊たちは二人のために道を作ろうとしている。
「—行けるか?ユーリ」
ユウジは再びユーリを抱えるとレイヴンを支える。
「私を誰だと思っている?」
口元だけで笑顔を作ると、ユーリは引き金に指を添える。顔は死人のように青白い。しかし照準を覗く瞳は爛々と輝いている。
半身をもがれたユーリは黙ってそのときを待つ。ユウジはユーリの身体とレイヴンを支え、ユーリの微細な腕の動きにあわせて銃身を動かし続ける。ドローンと幽霊の戦いは激しさを増す。幽霊たちは着実にドローンの数を減らし続ける。一方で損傷も目立ち始めている。幽霊の一体が数十機の自爆用ドローンに取り付かれて爆発する。しかし誰も気にも止めない。MIKOTOの表面の赤い輝点は輝きを増し、その輝きに呼応してドローンの攻撃も激しさを増す。戦う人間たちをあざ笑うかのように。
鳥型の高性能ドローンが戦列に加わり、さらに戦いは激しさを増す。時と共に黒い幽霊たちが数を減らし始める。二人をかばい、数百発の弾丸を浴びて黒衣を撃ち抜かれ、外壁の上で原形を留めぬ肉片となる者。飛翔型のドローンに腕を食いちぎられ、断末魔の悲鳴と共に海へと落ちる者。限界はとっくに超えているはずなのに誰も手を止めない。その一瞬を作り出すために、死力を振り絞る。
地鳴りとともに東京の街が激しく揺れる。原発が臨界を迎えている。あと数分で大深度地下施設の原発がメルトダウンを引き起こし、都内は放射能の渦に席巻される。勝利の確信に、MIKOTOの表面でラプラスの赤い光が揺れたときだった。
待ち続けていた瞬間が訪れた。
コンマ数秒もない瞬間。死力を尽くした黒い幽霊たちと、勝利の確信に溺れたナギの傲慢が生み出したその瞬間を逃すこと無く、ユーリは引き金を引いた。
ドン。
くぐもった音と共に弾き出されたゼノニウム合金製の弾丸はMIKOTO表面の強化プラスチックを突き破り、赤い輝点—変異型ラプラスに突き刺さる。しかし赤い輝点—ナギの怨念はまだ消えない。鋼鉄の杭に絡めとられたラプラスは苦悶の雄叫びを上げるかのように明滅する。
次第に赤い輝点は二つに分かれ出す。プログラムが停止する前に自分の複製を作るべく、プライドを捨てたナギが最後の悪あがきを見せる。
「ユーリ!もう一発だ!」
ユウジの言葉に答えはない。見ると、口から血を吐き、ユーリはレイヴンの引き金に指をかけたまま目を閉じている。その横顔には安堵の笑みが浮かんでいる。何かを信じきったかのような横顔。
「ユーリ!」
赤い輝きが激しさを増す。自分を縛る杭—ゼノニウム合金製の弾丸から逃れようとラプラスの光はさらに激しさを増す。その姿は怒りに荒れ狂う巨人の眼のようだ。
赤い輝きが二つに分かれ終えようとしている。分裂したら全てが振り出しに戻る。
「なんとかしろ!」
ユウジが天に向かって吠える。
ユウジの声に呼応するかのように、天から現れた巨大な拳がゼノニウム合金製の弾丸をさらに強くMIKOTOに押し込む。自分の身体を強く貫く杭に、断末魔の悲鳴のような高周波の振動音を残し、二つの赤い輝点は黒い球体—MIKOTOに吸い込まれるように消滅していく。ラプラスは自身の複製を作り終える前にその宿主であったメインCPUと補助記憶装置とともに完全にその機能を停止する。
制御を失ったドローンたちが次々と海に落ちていく。
死者も、生き残った者たちも、誰も、何も喋らない。生者たちは疲弊し、しゃがみ込む。ユウジはユーリの身体を抱いたまま、惚けたように動きを止めたMIKOTOを見つめる。
気がつくと、都内を覆っていた地鳴りは止み、揺れも収まっている。静けさが街に戻り始める。陽光が街に差し込み、東京の街がいつもの朝を迎えている。
インカムにマカロワの歓声と、原子力発電施設が暴走を止めたという情報が入ってくる。世界が救われたはずなのに、その朝は静かで、あまりにもいつもと変わらない。
ユウジは胸に抱いたユーリの顔を見つめる。朝の陽光に染め上げられたその白い頬はいつもと変わらず、眠っているかのようだ。
どこからともなく、歌が聞こえてくる。
白く煙る東京の下層界と、そこに突き出た幾つかの島、摩天楼。摩天楼がその影を東京の街に落とす。Freedomの外壁が朝日を浴びてキラキラと輝いている。
何も変わらない。
今日の危機を乗り越えても、明日にはまた新しい危機が訪れるかもしれない。今日、手を取り合えても、明日には銃を向け合っているかもしれない。人は人である限りいつまで経っても、いかに進歩しても、戦いと平和の繰り返し—連鎖から逃れることはできない。そこを乗り越えてしまったら、人は人でなくなり、そんな存在をきっと自分たちは嫌悪するだろうから。
続いていく。
今日の次に明日が、明日の次に明後日が。この世界が存在する限り時は続く。時が続く限り絶望は忍び寄ってくるし、いつかはその絶望に絡めとられることもあるかもしれない。しかし絶望と同じくらいに希望も存在するはずだ。
ヴィルタールが言った、人を超える力。その最後の一つ、憎しみと殺戮の連鎖を乗り越える力。それは一人で成し遂げられるものではない。でももしかしたら、いつかは乗り越える日がくるかもしれない。その日こそ、我々が人という種の枠を乗り越えることが出来た日なのだろう。
歌に合わせて海鳥の鳴き声が聞こえてくる。陽光は等しく誰の上にも降り注ぐ。東京の街に今日も明日も陽光が降り注ぐように。
何も変わらないかもしれない。しかし、せめて危機を乗り越えた今この瞬間くらいは、喜びたい。そう、MIKOTOの上に立ち、杭に拳を突き立てたあのスマイルマークのアームドスーツのように。今この瞬間だけは笑っていたい。
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