3-5 交渉 ー Negotiation

「あーあ、あの白いパラソル、気に入ってたのにな」


 祈りの塔の最上層。ユウジが新しいパラソルに文句を言う。


「気に入らないなら買ってくればいい」

「パラソルがどこで売っているのかなんて知らないよ。ハッキングAI『メビウス』のせいでネット通販なんて壊滅状態だしね。パラソルを注文したら代わりに山盛りのクッキーが届いたりして」


 ユウジの大袈裟な素振りにソラは笑い出す。そんなソラを見てトワもほおを緩める。

 超電磁砲レールガンの直撃を受け半壊状態だった祈りの塔は、瞬く間に復旧した。

 多分に政治的な意味を持つ祈りの塔は下手を打つと国際摩擦の火種になりかねない。都心上空で炸裂した砲弾による被害への対応と世論の押さえ込みで手いっぱいの政府上層部は、これ以上新たな火種を抱えたくない、とばかりに最速での復旧を指示した。


「為政者と既得権益層を味方につけておけば、怖い者は何もないのさ」


 マカロワはゆるゆると煙を燻らしながら楽しそうにそう言った。

 トワもユウジも怪我は大したことがなかった。Torgielは半壊したがトワは額に切り傷を負った程度で済んだ。超電磁砲の直撃を受けたかに見えたユウジは、ステッキで砲弾をそらしたおかげで気絶しただけで済んだ。重傷を負ったユーリも身体中の変成癌細胞のおかげですぐに復帰した。

 唯一、ソラの心の奥に疑惑の芽だけが残された。

 自分たちはなぜ、超人的な力を与えられたのか?


「楽しそうだな、外はえらい騒ぎだというのに」


 疑惑への回答を持つマカロワはいつものように気だるげに煙草をくわえ、一人離れて下層階へと続く階段の手すりにもたれている。その距離が気持ちの距離を表しているようでソラは落ち着かない。


「安心なんてするなよ?摩天楼"Freedom"と祈りの塔の半壊。"Freedom"には多くの欧米国籍の富裕層が住む。祈りの塔は震災被害に遭った多くの移民の象徴だ。二つの建造物の破壊は新たな災いを呼び込む」

「具体的には?」

「祈りの塔が攻め込まれる」


 涼しい顔をしたソラの言葉に誰もがぎょっとする。


「—根拠は?」

「面子の問題。米国からの技術導入で完成したMightyMouseが完膚なきまでに叩きのめされた上に、欧州の技術の粋を集めて作り上げた”Freedom"が半壊。死傷者こそ出ていないけれど、欧米の面子は丸つぶれ。このまま黙って引き下がれるはずがない」

「祈りの塔は近隣諸国からの移民の慰霊碑だ。そこに攻め込むなんて・・・」

「そんなのあの国々には関係ない。多国籍軍を派遣するくらいのことはやる」

「やったのはこの怖い顔したお姉さんだよね?この人を差し出せば全て丸く収まるんじゃないのー?」


 ユウジはにこやかにユーリを示す。ユーリは気にする風でもない。


「差し出さないわよ。不老不死のユーリこそ先端技術の塊。この研究機関も日本政府も、ユーリを差し出すくらいならユーリの細胞を暴走させて殺しちゃうんじゃない?ね?」


 マカロワは深く吸った煙を一息に吐き出しソラの言葉への同意を示す。


「正気?多国籍軍相手にかなうわけないでしょ。ジェスター、勝率は?」

『米軍および欧州各国の連合軍正規部隊相手にこのメンバーで勝利できる確率は0.000001パーセント』

「完全に0じゃないことが奇跡だね」


 トワが初めて口を開く。ソラを守ると言いながらナギとトワの接触を許した自分が許せず、トワは落ち込んでいる。でもトワは慰めなんて必要としていない。そのことは誰もが分かっている。


「まともにぶつかったって勝ち目があるはずがない。だから大人の手を使う」

「大人の手?」

「交渉」


 マカロワの眼鏡の奥の瞳が輝く。


「米国および欧州連合の上層部とILAMSの上層部および政府の外交筋が非公式の会談を続けている。向こうの提示条件を飲む代わり、祈りの塔への侵攻はポーズで終わらせる」

「条件って?」

「生体用炭素繊維強化金属の人体適用データと超高密度高硬度合金の製造手法の提供」

「それってつまり僕を売る、ってことかい?」


 両手を広げてユウジがにこやかに問いかける。


「売るんじゃない。交渉の材料に使うんだ」

「僕の希少性が失われちゃう」

「仕方がない。開示しても問題ないデータはお前のデータだけ、という結論に至った。ユーリや姫のデータはお前のデータよりもはるかに秘匿性が高い」

『俺も計算した。ギギギギ、残念だったなぁユウジ。お前のデータがあの国に渡れば、お前みたいな連中がばんばん作られるぜぇ?』


 言い終わらないうちにジェスターは椅子ごとユウジのステッキに叩き割られる。


「落ち着け、ユウジ」


 ユウジはステッキを握り締めるともう一つ大きく、床に叩きつける。轟音にソラは飛び退る。見るとコンクリートの床に大きな亀裂が走っている。

「—生まれつき、俺は四肢が動かなかった」

「ああ」

「それが、あの技術のおかげでこうして動けるようになった。動けるだけじゃない。人間を遥かに超えた身体能力を手に入れた」

「お前は一軍に匹敵する。無敵のスーパーマンだ」


「あの技術が米国の手に渡ったら、四肢が動かないまま生まれた人間は、みんな僕のような人生を歩むようになるのか?」


 沈黙がその場を支配する。


「答えろよ。あの病気の患者数は全世界で一万人だ。彼らは皆、俺のような人生を歩むことになるのか?人を殺し、何かを破壊するだけの人生を?一万人の病人は一万人の殺人者になるのか?」

「そうだ」


 言葉に振り返るとユーリが射るようにユウジを見つめる。ユウジは超重量の杖を叩き付ける。ユーリの足元に亀裂が走る。


「違う、と言ってもらいたいのか?」

「ユーリ!」

「わかっているだろ?『寝たきりのままベッドで一生を終えるのか?今の人生よりよくなるぞ』って囁かれて、病人は生きた兵器に生まれ変わるんだ。驚くほどの話じゃない。見慣れたSF映画のストーリーと同じだ」


 ユーリの言葉にユウジは力なく首を振る。


「ったく腐ってるな」

「格差の問題だ。ハッキングAIと自己進化型ウイルスのせいでネットは使い物にならない。しかしそれは下層だけだ。摩天楼の上に住む人間たちはワクチンデバイスでウィルスを中和し自在にネットで情報を得て金儲けに励んでいる。下界は土壌と大気の汚染が深刻でろくな食い物さえないが、摩天楼の上層部の連中は下界の人間が食ったこともない豪華な食事に毎日ありついている。わかるだろ?持つ者はさらに持ち、持たない者は寿命を削って生きるしかない」

『ゲゲゲゲゲ、何も特別なことじゃあない。人間の歴史なんてそんなもんだ。お前が一番よく知っているよなあ?ユウジ?アンダースタンドゥゥゥ?』


 壊れかけのジェスターにさらに杖を叩きつける。機械仕掛けの人形は中身をまき散らして沈黙する。

 国民を上層と下層に二分するならば、祈りの塔の住人は明らかに上層の人間だ。国の秩序を守るために戦い、その報酬として何不自由ない生活を手に入れる。

 ユウジはそれが許せない。

 下層民の代表として権力と戦っていたかったのに、気が付けば権力を守る側に立っている。だからユウジは刹那の戦いに快楽を求める。自分の立ち位置を冷静に見つめてしまうと、生きていることさえもつまらなくなってしまう。


「交渉はもうすぐまとまる。ダミーの侵攻計画は数日のうちにまとまるだろう。それまではゆっくり休んでろ」

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