4-2 見えない敵 — Invisible enemy

「行動適合率85%。予測誤差5%以内。違法行動未然防止法の適用条件をクリア。抑止モードに移ります」


 無機質な機械音声を響かせて小型自動車ほどの六本足の無人自律制御機、通称「働きアント」が新宿駅前を疾走する。多関節の足は路上に放棄された廃車を悠々と乗り越え、逃げ惑う人々に紛れ込もうとする一人の若い男目がけてアーム上部から麻酔弾を放つ。

 左足の付け根に麻酔弾を受けた男はしばらくもがいていたがすぐにおとなしくなり、駆け付けた公安の自律型無人機に拘束されて黒ずくめの磁気浮上車ホバーの荷台に積み込まれる。

 磁気浮上車ホバーが走り去ると人だかりは消え、路上に取り残された「働き蟻」の胴体上部の円盤が高周波音を立てて回転し始める。ヴィルタールを脳と目とするなら、「働き蟻」は手と足。ヴィルタールを構成する衛星群からの指令を受信して対象人物を拘束する役割を担うのが「働き蟻」だ。こうした「働き蟻」が日本国内には一万機以上配置された。政府と公安の本気度がうかがえる。

 旧市ヶ谷駐屯地跡に設置されたテロリスト予備軍事前校正プログラムのプログラムオフィスで働き蟻No8307のカメラ越しに新宿駅前の大捕り物を見つめていたナナミは、働き蟻No8307が男に麻酔銃を撃ち込んだところで一つ息をつく。公安部隊からは男の自宅から少量の爆発物、さらにPCから自律型無人機の改造コードとテロ計画書が発見されたと連絡が入った。

 ヴィルタールシステムの投入およびプログラムの開始から十日目。プログラムは順調に成果を上げ続けている。しかしそれでもナナミの心は晴れない。個人認証IDタグー通称IDタグに蓄積された生まれた時から現時点までの生態および行動ログを分析し、テロリストの行動パターンと一致するログを持つ人物を特定、束縛する本プログラムの特徴は、「テロリストの事前排除」を目的としていることだ。そしてそれがナナミの心に、いや日本中の人間の心に釈然としないものを与えている。

 将来テロリストになるかもしれない、という理由で、現時点でなんの罪も犯していない人間を拘束してよいのか?

 この当然の問いに、政府は「問題ない」と簡潔に答える。拘束した人間の所有物や自宅からは例外無くテロ行為に関連した証拠品が見つかっているとも発表している。


「そんなわけ、ねえよな」


 煙草をくわえたヤスダはコーヒーカップをナナミの前に置く。マツカワがいなくなってから一回り痩せ、現役時代の鋭さを取り戻しつつある。


「この十日間で日本全国での検挙人数は六十三人。その全員がテロ計画を示唆する証拠品を保持していると発表されている。しかし誰がどんな取り調べをしているのか、その情報がほとんどこちらには伝わってきていない。疑わしいにもほどがある。俺の意見を聞かせてやろうか?政府、公安ともに焼きが回っている。公衆の面前で大捕り物のショーを繰り広げていれば必ずバッシングが出てくる。しかし政府にはそれを気にしている余裕がない、ということだ。やつら、何をそんなに焦っている?」

「なりふり構わずに捕まえなければならないテロリストがいる、ということでしょうか?」

「そんな相手は自由の翼しかいない。ナギこと薙澤零司の懸賞額は桁違いだが、そんなの昔からだ。おそらく他にも何かある」

「働き蟻が捕らえたテロリスト予備軍の所持品と共通点を探ってみます」

「それが近道だろうな。誤認逮捕も含まれているかもしれないが、そればかりではないだろう。幸い証拠品の情報には我々もアクセスできる。やってみてくれないか?」

「任せてください」


 ナナミは手を動かしながら不思議な親近感をヤスダに抱いていた。自分にとっての親友で、ヤスダにとっての部下であったマツカワ・カエデ。彼女の存在が私たちを結びつけている。自分は幽霊としてはもう戦えない。しかし情報工学の知識は役に立つ。先日、黒い幽霊と同じ強化金属外装に組み込むハードボディ用の行動予測アルゴリズムを開発したのもナナミだ。人の命を危険に曝すこと無く成果を上げるための自律無人兵器、その最新鋭機である第九世代の自律無人兵器「Xcure(ゼクスキューレ)」のプロトタイプは塔の上の住人、世界最高の格闘性能を持つ超人、ユウジに対して優勢を誇っていた。

 ナナミの指が高速でキーボードを叩き始める。全面的にAIの助けを借りた簡易検索であれば脳波を使ったイメージスキャニングで事足りる。しかし検索領域の微細調整が必要な詳細検索ではイメージスキャニングでは時間がかかる。やはりタイピングが必須だ。


「—いったい俺たちの敵は誰なんだろうな」

「はい?」


 ヤスダの問いにナナミは上の空で答える。


「テロリストなのか、塔の上の住人なのか、はたまた—」

「『国民なのか』、なんてことは言わないでしょうね」

「それはないさ。ただな、マツカワはいったい何を守ってあんなことになっちまったんだろう、なんて考えちまうんだよ」


『ヒットしました』

 ナナミのタイピングの結果に端末が回答する。検索にはヴィルタールと連動したAI、「ジェスター」が大いに役に立った。塔の上の住人たちのおもちゃにしておくにはもったいない性能だ。

 結果を覗き込んだヤスダとナナミは言葉を失う。そこには都内での大規模テロの発生確率と、その推定被害規模が記されている。一月以内のテロ発生確率、七十五パーセント。推定被害者数 二十万人。テロの手段は推定二十三種類。テロの実行母体は自由の翼。これだけの犠牲者が出たら、都内は壊滅状態に陥る。政府も躍起になるはずだ。


「やはり薙澤零司か」

「ここを見てください」


 ナナミの指の先にはジェスターの人的ネットワーク解析結果が導き出した名前がある。

 クレイ・クライン。


「なんだこれ?偽名か?」

「偽名か本名か、なんてことは意味がありません。問題なのはこの男—女かもしれませんが—が薙澤零司と同じように最重要人物だ、ということです」

「アジトは?何か情報はないのか?せめて方法でも分かれば—」

「戦術核でも使うのかもしれません」

「それはない。核を使えば東京は人の住めない街になる。それではナギにとって意味が無い」


 ナナミはさらに検索を続けるが、それ以上有益な情報は得られない。ナギの思惑にはめられているのかもしれない。しかしそれでも乗るしかない。

 クレイ・クライン。

 この名前をターゲットにナナミとヤスダは検索を集中させる。

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