3-8 つまらない世界 — A worthless world

 旧東京駅近くの地下、アンダーグラウンドの一角にあるだだっ広い空間でアイグラス越しに祈りの塔の状況を見つめていたレイカは、最後の一人がアームドスーツPLUTOの銃撃に倒れたところで回線を切った。旧都営地下鉄の駅を改造したこの空間は『自由の翼』の拠点の中でも最大の規模を誇り、旧地下鉄路線を使って様々な物資が日本各地どころか世界各国からこの拠点に流れ込んでくる。


 薄暗くだだっ広い空間のあちこちで男たちがアイグラス越しに世界各国の関係者と連絡を取り合っている。使用している回線は富裕層が使用するプレミアムラインよりもさらに秘匿性の高いブラックライン。一般には存在さえ知られていない回線だ。


 ナギは倉庫の一角で、クラインと共にこの地域のアンダーグラウンドの住人のリーダーと親しげに会話をしている。リーダーの顔はマスクで覆われて表情は見えない。しかしナギのことを嫌う人間などいるはずも無い。アンダーグラウンドの住人たちは『運び屋』として自由の翼に大いに貢献してくれている。


 『世界平和こそ人類共通の望み』


 そんな言葉が嘘っぱちだっていうことは、ここにいるとよくわかる。世界が平和になったら食いっばぐれて行き場を失う人間が山ほどいる。だから戦争はなくならないし、なくしてはいけない。戦争で行き場を失う人間よりも、戦争がなくなることで生活できなくなる人間の方がはるかに多い。


 世界を支配するのはきれいごとではなく、金と市場原理。今の時点で日本という国がまだ国という形態を保っていられるのは東西の大国の狭間に位置しているという地理的条件と、これまでの政府の絶妙なバランス感覚のおかげだ。『ないよりはあった方がマシ』という程度の存在価値に落ち着かせてきた外交努力には敬意を表するが、その結果、日本は世界のどの国からも見下げられ、呆れられる存在となった。唯一の存在価値であった経済的貢献が出来なくなって久しいのだから当然と言えば当然だが。


「ナギ、ちょっと」


 会話が一段落したナギにレイカは声をかける。ナギはいつものように余裕のある笑顔を浮かべたまま歩きまわり、各人の作業の進捗を確認していく。


「どうした?レイカ」


 自分の名前を呼ばれただけで、かつてのレイカはナギに親しみを感じた。おそるべきカリスマ性。しかし時を経てナギという人間を知るにつれてレイカには別の感情が芽生え始めていた。


「祈りの塔への強襲部隊の件なんだけど」

「ああ、さっきクラインから聞いた。全員、任務を達成。生存者なし。計画通りだ」

「なぜ彼らに突撃を?あの程度の人数と装備ではILAMSのEX-Humanたちに歯が立たないことくらいわかっていたはず」

「彼らが志望したんだ。ぜひともあなたの役に立ちたい、戦果を上げるまで戻らない、ってね。止めたが無駄だった」

「嘘。あなたが行かせたんでしょ?」


 ナギの能力を使えば、ナギのために自らの命を捨てさせることなど容易い。レイカの指摘にナギは肩をすくめて振り返る。


「レイカ—」

「強襲部隊のリストを見たわ。最近、自由の翼に入った人ばかり」

「ああ、俺への忠誠心と世の中への不満の強さしか取り柄の無い者たちばかりだ。だからその取り柄を生かしてもらったのさ。皆、俺の役に立てると聞いて涙を流して感激していたぜ?」

「あなたは自分を慕う者たちを捨て駒にして、心が痛まないの?」


 レイカの言葉にナギは両手を上げる。お手上げの素振りだ。


「おいおい鉄血のレイカがいつからそんなセンチメンタリズムに浸るようになったんだ?あのデータセンターの爆破事件以降、自由の翼に入りたいって人間は後を絶たない。しかし組織っていうのは大きくなれば必ず質が下がるし、欠陥も生じてくる。俺の目の行き届く範囲の人数で十分だ。理想や信念に浸っている連中って言うのは、誰かがなんとかしてくれる、って考えがちだし、下層界に住む人間に高等教育を受けた者は少ない。使いどころの無い人間を置いておく余地は無い。いいか?それにあいつらは捨て駒じゃない。ソラという名の少女ーEX-Humanの能力発現の礎になったんだ。言わば人類進化の可能性を切り開いた、とも言える。あいつらの死は決して無駄ではない」


 そう言うとナギは仲間の一人に軽く頷き、そちらの会話に戻っていく。

 取り残されたレイカに手を上げて挨拶する者がいる。KATANAを操るレイカの同僚の一人。レイカも片手を上げて返す。気のいい律儀な男で、以前は自衛隊の制圧部隊に所属していたが上層部のやり方に反発し、いろいろともめ事を起こした結果、レイカと肩を並べることになった。そんな彼も下層界の出身だ。


 レイカは息苦しさを感じ、一人になりたくて地上に上がる。瓦礫だらけの荒廃した街にかつて栄華を誇っていた痕跡はどこにも見当たらない。代わりにあるのは満点の星空。煙草を吸いながらぼんやりと空を見上げ、遥か彼方の世界に思いを巡らせていると少しだけ楽な気分になる。


 欧州、米国、ロシア、中国。今、世界各国の政策を決定しているのは各国の所有する人工知能だ。莫大な量のデータが日々作成されるようになり、世界の経済、政策、外交の変化の速度が閾値を超えたある日、とある国のシンクタンクは膨大な情報から次の政策を考えることはもはや人間には不可能だという結論に達した。今から数十年前のこと。そしてその時から世界各国では膨大な量の情報を分析し、次の政策を考え出すための知能ー政策判断、意思決定のための人工知能の開発に力を注ぐようになった。世界各国の動向、国家間のやり取り、為替の変動、金の流れ。そうした機密情報を蠅よりも小型のドローンを使って入手し、集めた情報を過去の例をもとに育成した人工知能にかけて分析する。そこから導き出される政策は最初の頃こそ稚拙なものだったが開発に着手してから二十年を過ぎた頃には人の判断と大差ないものとなった。


 人工知能が政策決定に役立つ—そのことがわかった頃から、各国ともに人工知能の開発に莫大な費用を投じるようになった。人工知能の専門家の教育が各国で進み、一流の専門家は超VIP待遇となった。国家間での人工知能専門家のやり取りを巡って血なまぐさい事件に発展したことも一度や二度ではない。


 人工知能の能力を決定するもの、それは人工知能を搭載するハードウェアのスペックと、投与したデータの質と量、そして人工知能自体のアルゴリズムだ。そしてそのどれもが、金で買うことができ、結果として多くの金を持つ国が最良の人工知能を持つことになった。


 金を持つ国が技術を持ち、技術を持つ国が最高の人工知能を持ち、最高の政治的な判断を下すことができる。つまり金を持つ国は最良の政治的判断が出来るため豊かで安定した暮らしを国民に提供でき、結果としてさらに金を稼ぐことができる。一方で金を持たない国はいつまでたっても貧困から抜け出せない。強い者、持つ者はさらに強くなり、さらに持つようになる。弱い者は弱いまま。つまりはそういうことだ。


—つまらない世界だな。


 星明かりの夜空に煙を吐き出しながらレイカはぼんやりと考える。生まれた瞬間からシステムに適正を判断され、人工知能が下す政策判断に従って生きる世界。正しいかもしれないが窮屈で息苦しい。エリートに生まれながらも道を外してここに居るのはナギの持つ奔放さに惹かれたからかもしれない。しかしそんなナギも今ではシステムの側に立っているようにレイカには感じられる。


—つまらない。


 その言葉を頭の中で捏ね繰り回していたレイカの頭に浮かんだのは、Freedomでの激闘だ。殺すか殺されるか。その刹那のやり取りの瞬間、レイカは確かに生きていた。システムや身分、立場、そんなもの関係なく、同じルールの枠の中で命をかけていた。EX-Humanの一人であるあの男もそうだ。しかし、人の力を超えながらあの男は、どうして刹那に楽しみを見いだすような生き方しか出来ないのか。レイカはふと、あの男と話してみたい、という衝動に駆られた。


 衝動。刹那。そんな言葉こそが今の自分にふさわしい。

 レイカは一人、誰にも告げずに紅のKATANAを駆って東京駅を後にした。

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