3-7 守護者の責務 — Obligation of guardian
目を開けて最初に見えたのは抜けるような青空だ。空の色も風の匂いも懐かしい。父さんや母さんと空を見上げた日を思い出して、思わずあたりを見回す。
その次に目に飛び込んできたのはぐちゃぐちゃの顔をしたトワだった。強がろうとしているのに顔が涙で腫れぼったくて、身体中、傷だらけだ。トワの感情が伝わってきて思わず涙ぐみそうになる。トワの私への思いは私を安心させ、強くする。
「—終わったの?」
ソラの問いにトワは無言で頷く。立ち上がろうとすると先ほどまで感じていた狂気の気配がきれいに消えている。
周りを見ると白衣を着た人間が行ったり来たりしていて、頭を反らせると祈りの塔の姿が見える。ILAMSの敷地内だということはわかったが、ここは何だろう。
「簡易的な野戦病院だよ。戦闘によって負傷者が出たことを対外的にアピールする必要があるんだって。そうしないと戦果があがっていない、ってことになって、欧米連合軍の面子が潰れるんだってさ。安心して。負傷者はほとんどいない。ユウジもユーリも僕も大丈夫。ユウジとユーリは姿を見せるとまずいから、ってILAMSの施設の最下層に潜っているよ」
立ち上がろうとしたソラをトワが押しとどめる。
「もう少し寝ていた方がいい」
「私はもう大丈夫よ」
「無理しちゃダメだ」
トワにいつもと違う感情を見つけてソラはトワの瞳を覗く。そこに見慣れた愛情とともにあったのは憐憫の情だ。
なぜ私を憐れむの?と問いかけようとしたソラは思わず口を手で覆う。トワの足元、ベッドの下から手が伸びる。からからに乾いてひからびた手。死者の手。
「—ああ!」
ソラは頭をかきむしる。よく見ればそこら中に手はあった。振り返ったトワの身体にも手が巻き付き、腐臭を撒き散らしている。
「落ち着いて、ソラ」
見ると、トワの身体に巻き付いていた手は全て消えている。
「なに?なんなの?」
「どうした?何か見えたのか?」
白衣を着たマカロワはソラの瞳を覗き込み、脈拍を測る。
「手がたくさん。死んだ人の手があちこちに」
「脳への負荷が高すぎたのだろう。幻覚だ。心配するな。ここに死者はいない」
「嘘。確かに死んだ人の臭いがした。私が流れ着いたあの浜の臭いよ。間違えるはずが無いわ。トワ、あなた『負傷者はほとんどいない』って言ったでしょ?なのに今の死者は?あのテロリストたちは?生け捕りにしたんじゃないの?」
マカロワはソラのこめかみに小型の体温計のような機械の端子をあてがうと、そのモニターの数値を確認する。その数値に満足したのか一つ頷くとソラに向き直る。
「手術は完璧に成功。凄まじい適応力だ。他者の感情への同調が強すぎて、視覚や嗅覚にまで影響が出始めている。あの海でお前だけが助かったのは偶然じゃない。必然だな」
マカロワの襟元を怒りの表情を浮かべてトワが掴む。しかしマカロワは気にする事なく煙草の煙をトワに吹き付ける。
「ソラ、お前が見たのが何か、少しはわかってきたんじゃないのか?」
ソラはゆっくりと息をしながら辺りを見回す。狂気の代わりに祈りの塔のそこかしこに残されたのは死の気配、死者が最後に残した断末魔の雄叫びだ。それが塔や島のあちこちにこびりついている。その強すぎる死の気配は繊細すぎるソラの神経を強く刺激する。視覚に影響が出るほどに。
「大丈夫?ソラ」
マカロワから手を離すと、トワはソラにおずおずと手を差し伸べる。ソラの見ている前でその手がひからび、指先から血が滴り出す。その強い死の臭いにソラは吐き気を覚え、咄嗟に口を押さえる。
「ソラ、結論から言うと坊主とユウジは突撃してきた部隊のほとんどを殺した。でも坊主を責めるなよ?仕方の無いことだ。二人の守っていた祈りの塔の最下層を突破されていたら、お前やユーリたちの命も危うかったんだからな。ユーリが戦闘不能にして捕らえた捕虜たちもことごとく自決したよ。みな口々にナギへの忠誠を誓ってな。とんでもないカリスマだ」
びくりと震える手。わかっている。トワは自分たちを守るために戦い、殺した。でも—。手の先から立ち上る腐臭は黒く、ソラの視界を覆う。アームドスーツを着ることを選んだトワの手は汚れてしまった。怨嗟だけが取り残された手に怯え、ソラは立ち尽くす。差し出された手が下ろされる。俯いたトワがどんな顔をしているか、ソラにはわからなかった。
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