3-4 コルポサント ー Corposant

「助かったわ、ユーリ」


 ソラがTorgielの肩の上で髪を押さえながらアイグラスの向こうのユーリに話しかける。セントラルパークの破れたハッチの上は風の吹きすさぶ外壁だ。複合機能ガラスのキラキラとした輝きが見上げる先にどこまでも続いている。


『そこからゲストハウスのある屋上までは外壁の緊急通路を辿りながら上がれる。いいか、私の援護が必要だと思うなら必ず祈りの塔が視界に入る位置で動け』


 緊急通路の階段を上り、最後にTorgielのスラスタを吹かしながら屋上に降り立つと、そこではユウジが待っていた。自慢のスーツがずたずたに破れているのに妙に機嫌がよく、くるくるとステッキを回している。

 屋上階にも草木が多く、そのところどころにシンプルだがよく手入れされたゲストハウスがいくつかある。Freedomに住む富裕層の中でもさらに上位の富裕層の保有物だ。

 トワは最上層の外縁部から目の前の白く煙った東京の街並を見下ろす。アームドスーツの操縦訓練の合間にアイグラスで見た、地球の裏側にあるという空中都市の情景によく似ている。数百年も前に作られた都市と同じものを今も作ろうとしていることに素直に驚く。結局のところ人の欲望や想像力はいつまでたっても変わらないものなのかもしれない。


「ターゲットの状況は?」


 ユウジの言葉に現実に引き戻される。ナギは今頃、米国籍ダミー企業「FreeFlow」の重役と会談中。東京という海を見下ろせる摩天楼の端の小高い丘、FreedomHillの上のゲストハウスにいるはず。セントラルパークのメインエントランスからなら直通エレベーターで五分。大きく遠回りすることになったが作戦に支障はない。


『ギギギ…奴さん、実に上機嫌だ。米国国防省のお偉いさんと取引できる、と思い込んでいるからな』


 ゲストハウスも米国ダミー企業も全て偽物。政府特務機関のスタッフがダミー企業の重役になりすまし、ゲストハウスは政府が借り切った。摩天楼のゲストハウスは一日貸し切るだけでも下層界の人間の生涯賃金では足りないほどの金がかかる。先日のデータセンター襲撃や摩天楼での爆破事件を受け、政府は対抗措置としてテロリズムへの圧力を強めている。普段は資金援助を渋りがちな政府がILAMSの活動を積極的にサポートしている理由だ。


『もうすぐ調印が終わる』


 マカロワの声が響く。調印が終わったらそこで政府の特務部隊がナギの身柄を押さえる。その後、ナギの身柄が摩天楼を離れるまで、特務部隊を援護する。手はず通り。”Freedom”の住人が騒ぎ出さないか、それがマカロワの懸念事項。”Freedom”の上層部に住む人間には権力者が多い。揉め事になると面倒だ。


 契約書の文面を読みながら、ナギはぼんやりと生と死について考えていた。

 目の前で小太りな米国ダミー企業の代表が早口で自分たちと契約することの利点をまくしたて、隣ではエージェントの神崎洋子がナギの顔と代表の顔を見比べながら愛想の良い笑顔を浮かべて頷いている。

 二人が政府特務機関のメンバーであることをナギはとっくに見抜いている。ウェブサイトやその他一般情報はよく偽装されていてデータマイニングにも引っかからない。しかしクラインが中心となってナギのチームが開発した判別法によれば米国企業FreeFlowは完全に黒だ。

 一通り話し終えて、企業の代表—ユアンと言ったか—は握手を求めてくる。洋子も頷きながらサインを促す。

 昨晩、ベッドの中で目にした洋子の肢体は美しかった。バランスがとれていて、白く、絹のような滑らかさがあった。しかし洋子は今から数分後にはもの言わぬ死体となり、その美しい体は永遠に失われてしまう。

 もったいない。

 しかし止めるわけにはいかない。生は一時であり、死は永遠。そんな陳腐な言葉がナギの頭に浮かぶ。

—駄目だな。想像力が足りない。陶酔している場合じゃないというのに。

 自分に呆れて首を振るナギに、勘違いしたのかユアンと洋子は表情を曇らせ、慌てて説明を重ねる。

—頃合いだな。

 化かし合いも好きだが、やはり血と硝煙の匂いの魅力には敵わない。ナギは二回まばたきを繰り返すと、コンタクトレンズ型のアイグラスを通じてカザミに決行のサインを送る。


 ドン、という鈍い音がゲストハウスの中で三度響き、その直後、地面が震え出す。

 計画にはない状況の変化に、ユウジたちは即座にプランBに移行しゲストハウスへ向けて走り出す。摩天楼”Freedom”の最上部に位置する木製の洒落たゲストハウスの壁が破られ、中から一機のアームドスーツが滑りでる。片方の手に機銃を、逆の手に幅広の刃を備え付けた小ぶりの機体。銀色の機体の前面は返り血で赤く汚れている。


『ギギギ…対人制圧特化型のアームドスーツ”Majesty”だ。人に「荘厳で偉大なる」死を与えることに特化した殺戮のためのアームドスーツ。あいつが出てきたってことは、ゲストハウスの中の人間は生きちゃいないな』


 Majestyの背中のバックパックの上で銀髪の男がユウジたちに向けて軽く手を振る。清々しいまでの笑顔。


『ユウジ、トワ!あいつを絶対に逃がすな!』


 言われる前にトワはTorgielのスラスタ出力を最大に上げる。片手を失っているが、それでも機動性ではまだTorgielに分がある。トワは見る見るうちにMajestyとの距離を縮めていく。


「悪いな、思い通りにならなくて」


 どこかで聞いた台詞、と思う間もなかった。地響きが最高潮に達し、Torgielが足を踏み出した地面が広範囲に渡り陥没する。穴の縁でなんとか踏みとどまったTorgielの前に穴の中から姿を現したのは巨大な主砲に分厚い装甲を備えた機械。過去の遺物とされたあの戦車だ。


「トワ、平気か?」


 追いついたユウジと、トワの目の前でMajestyは摩天楼の外縁部から姿を消す。追ってくるつもりならこいつを倒してみな。そう、この戦車はナギからのメッセージだ。


『…識別完了。旧ドイツ軍のⅧ号戦車、Mouseに酷似。データベースに該当機種情報はなし。周辺情報から欧州資本下の有力軍事企業により開発された地上兵器のプロトタイプと推定』


 ジェスターが機械的に識別結果を読み上げる間に、主砲の砲身を青白い雷光が包みだす。

 —なんだあの光はー?

 答えが出る前に主砲が火を噴く。弾丸はユウジを直撃し、轟音と共に遥か彼方へと吹き飛ばす。


超電磁砲レールガンだよ!あんなの食らったら、ひとたまりもないよ!」

『電磁気の力で銃弾を加速する超電磁砲。その威力は通常弾の遥かに上を行く。実用化されていたとは驚きだ。さすが薙澤零司。欧米軍の虎の子の軍事機密情報を掴んだ上にハッキングして自分の支配下に置くとはな』

「敵をほめている場合かよ!撤退するぞ!」


 Torgielはソラを抱えたまま後退する。驚くべきことにMouseはキャタピラーをフル回転させて穴を登り出す。Mouseのエンジン音にFreedom全体が震える。動くことさえままならなかった初代のMouseとは全く違う動き。おそらく似ているのは外観だけで駆動系も兵装も全て当時のものとは別物だ。

 全速力で逃げるTorgielを、穴をよじ上り終えたMouseの主砲が捕らえる。主砲の砲身を再び青い雷光が纏う。

 次の瞬間、落雷のような轟音が屋上に響き渡った。咄嗟に身を伏せたTorgielの脇を超高速の弾丸が、地面を焼き肩の装甲を削り取りながら通り過ぎる。

「—外した?」

 伏せていたソラが身を起こす。見るとMouseの砲身の先に、黒い弾丸が突き刺さっている。あの弾丸が砲身をわずかに曲げたおかげで、主砲は的を外したのだろう。


『ガラス張りのそのフロアなら私の射線が通る。そこのレーザー防衛システムも対策済みだ。時間を稼ぐ。今のうちに退却しろ』


 ユーリの声が響いたと思うと、弾丸の雨がMouseを襲った。狙撃銃から放たれたとは思えない弾数。連射に特化しているためか、Mouseの装甲には傷一つつかない。しかしそれでも何発も降り注ぐ弾丸は、Mouseの走行を妨害し、砲塔の回転を妨げる。


「サンキュー、ユーリ」

『勘違いするな。おまえのためじゃない。姫のためだ』

「わかってる」


 姫と呼ばれたソラは顔を赤らめる。ソラを抱えたまま疾走し外縁部に到達したトワは、遥か遠くの祈りの塔を一瞥すると、そのまま飛び降りた。


「さてと、私の役割はこれで終わり—」


 Torgielの離脱を確認し、レイヴンの引き金から指を離したユーリは、咄嗟に身をよじった。Mouseの主砲から放たれた弾丸が、轟音と共に一瞬前までユーリの伏せていた部分を削り取る。飛び散る瓦礫を頭を抱えながらよけると、ユーリはそのままレイヴンを構える。


「ねずみごときがやるじゃないか。そうこなくっちゃな。とことん付き合ってやる」

『ユーリ、あいつは見た目こそMouseだが中身は全然別物だ。かつて私とナギがたわいない会話の中で話していた新世代のMouse、MightyMouseだ』

「太っちょねずみか?ねずみに変わりは無いだろうが」

『なめてかかるなよ。最新鋭の特殊武器を幾つも装備しているあいつは、一機で一軍を相手できる戦力だ』

「そんなものテロリストに渡すな!」


 二人の会話など知る由もなく、数キロ先でMightyMouseの砲身がユーリを向く。主砲から雷光が消え、次の弾丸が装填される。ユーリはあらためてMightyMouseの全貌をレイヴンの照準越しに見つめる。

 MightyMouse。Mouseとは旧ドイツ軍が作り上げた超重量戦車のこと。情報操作のために最大級の戦車ながらつけられた名前は”Mouse(ねずみ)”。そしてMightyMouseは第二次世界大戦時代の遺物の外見ながら、中身はハイテクの塊。懐古趣味と先端テクノロジーの悪趣味な融合だ。

 砲塔がきりきりと音を立てて回転し、主砲がユーリを向く。主砲の向こうに、いるはずのないナギの視線と嘲笑を感じ、ユーリの心は限りなく冷えこむ。恐怖ではない。絶対零度の怒りだ。

 主砲が火を噴くと同時にユーリも引き金を引く。超高硬度合金の銃弾はやすやすとMightyMouseの砲弾を貫き、都心の空に巨大な火炎の花が咲く。


『被害が広がる!爆破させずに無力化しろ!』


 マカロワの絶叫。ユーリは無言でレイヴンに次弾を装填し、MightyMouseの主砲が装填を終える前に引き金を引く。しかし弾丸はMouseの手前で真っ赤になって燃え尽きる。先ほどの狙撃で、Mouse自体が持つレーザー防衛システムが展開されている。何発か狙撃するが、弾丸はすべてレーザー防衛システムに焼かれ、無効化される。


『あれをかいくぐるのは無理だ。主砲発射のタイミングでコンマ数秒だけ防衛システムが解除される。その隙を狙え』


 次の弾丸を装填。しかし装填を終える前にMightyMouseの主砲が火を噴き、再びユーリは身を翻す。

 大音響と共に祈りの塔の上層階が傾き、パラソルとテーブルが塔から滑り落ちていく。祈りの塔が激しく揺れ、砂埃が舞い上がり視野を遮る。


『衛星画像より確認。祈りの塔の最上階に着弾。塔上層の三分の一が弾けとんでいる。ユーリを狙うのではなく、祈りの塔そのものを吹き飛ばしにきたか』

「レイヴンの弾速を超えている。六本木からここまで五キロ以上あるのに一瞬だ。戦車ってのはみんなああなのか?」

『あいつは百年前の骨董品じゃない。主砲は超電磁砲に置換されている。弾丸、いや砲弾は一秒でここまで届く』

「科学の進歩万歳、だな」


 傾いた最上階でユーリは巧みにレイヴンを固定し、痛みに顔をしかめながらスコープを覗く。吹き飛んだ瓦礫が直撃した肋骨と足の骨はおそらく折れている。

 スコープの向こうでは主砲斉射の反動でMightyMouseの足場も崩壊し始めている。撃てるのはおそらくお互いあと一発のみ。


『Freedom周辺区域の避難は完了した。好きにやれよ、ユーリ。お前の本当の力を解放しろ』


 ユーリは集中力を増していく。スコープの向こうでMightyMouseが不気味に鳴動する。巨大すぎるレイヴンを支えきれず、照準が定まらない。

 ユーリはさらに集中する。

 スコープの向こうでMightyMouseの主砲がこちらを向く。主砲の中心、暗い穴に意識を集中する。ガコンという砲弾が装填される機械仕掛けの音が聞こえる。暗い穴の向こうに闇をまとった砲弾が見える。

 さらに集中を増す。

 暗い穴に沈んだ砲弾の先端が見える。馬鹿でかい砲弾。外しようがない。外す方がおかしい。

 いつしかユーリの眼から紫色の光が漏れだす。燐光のようなその光は陽の光よりも明るく周囲を照らし、空へと溶けていく。

 普通の人間の何倍もの時間を「狙撃する」という一つのことに費やし続けたユーリの集中力は、人の限界を悠々と超える。ユーリの神経系統は常人の何倍も活性化し、特に対象を捉える目の周囲の神経伝達系は常人の数万倍も活性化する。電気シグナルの交換が肉眼で確認できるまでに高まった結果があの燐光。


『コルポサントだ』


 別名セントエルモの火。

 尖塔の先端で輝く聖なる光。

 ユーリの眼は主砲内部で装填された砲弾表面の凹凸まで捉えていた。超高感度カメラよりも優れた眼が発した信号は、そのまま指先に伝わり、当然の帰結として引き金を引く。ユーリのために作られた世界に一羽の大烏レイヴンは鋼鉄よりも硬い弾丸を音速の十倍以上の速度で吐き出す。

 ドン。

 鈍い音と共に巨大なタンクの砲塔が吹き飛ぶ。レーザーセキュリティシステムが無効となる瞬間をとらえた弾丸は、狙い過たずMightyMouseの内部で砲弾を炸裂させ、その上半分を吹き飛ばす。バランスを崩した超大規模戦車は土煙をまき散らしながら、崩壊した足場と共に自由という名の摩天楼から東京の巨大な海へと沈んでいく。

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