3-14 服従 — Obedience

「どういうつもりだ?」


 膝を組み頬杖を突いたナギは問いかける。顔にはいつもと変わらない笑み。しかし言葉の端に少しだけ余裕のなさが表れている。この男でも動揺する事があるのだ、と少しだけほっとする。


「私が他の男と寝た事がそんなに気に入らない?言ったはずだけど?私はあなたの思い通りにはならない。居たいときにはここにいるけど、居たくないときには離れるって」


 そう言ってワインを口に運ぶ。摩天楼”Blue Island”の最上層。レストラン”アルタイル”は世界的に有名なシェフのプロデュースした店だ。AIやオートメーションとは無縁の、全てが人の手による創作料理は富裕層たちの間で好評で、半年先まで予約は埋まっている。ナギが富裕層の間に築いた人脈は、電話一本でその店に今晩の予約を入れられるほどにまで成長している。


 ワイングラスを手にする姿に動揺はもう見当たらない。見下すような笑みを見て理解する。この男はもう私の事を切り捨てている。ワインの香りを楽しみながら私が抜けた後の組織構成を練り直している。


「レイカ。データセンター制圧の首尾は見事だった。お前は我々の自由の担い手、現代のジャンヌ・ダルクだ」


 びくりと背筋がしびれる。名前を呼ばれるだけで鳥肌が立つ。この男に従いたい—その欲望を必死に抑えつける。


「最後には私を火あぶりにする気?」

「まさか。お前が誰と行動をともにするか、それはお前が決める事だ。私の周囲の人間みなそうだ。自主性を尊重する」


 自主性を尊重する?レイカは心の中で薄く笑う。自主性などない。誰もがこの男の能力—桁違いのカリスマ性に魅せられているだけだ。レイカはそっと周囲のテーブルを見回す。柱の影や他のテーブルに見知った顔が数人。戦闘になっても—。

「気にする事はない。彼らは私の護衛だ。君をどうこうするつもりはない。それに—」

「戦闘になっても、きみなら彼らを。そうだろ?」

 

レイカは思わず目を見開く。しまった、と思うがもう遅い。ナギの口の端の笑みが広がる。


「レイカ、君の自主性は尊重する。しかし我々の情報をリークされては我々が困った立場になる。だから君とはしばらく距離を取らせてもらう。まあ—」


 ナギは立ち上がるとレイカの肩に一つポンと手をつく。



 振り返る事は出来なかった。振り返ってしまったら、そのまま泣きながら彼の足元に身を投げ出し、許しを請いていただろう。

 汗と涙が止まらない。心が揺らぐ。

 これで良かったのか。

 私はとんでもない間違いをしでかしたのではないか。

 組織に戻る事は出来ない。しかし組織の内情を話す事も決して出来ない。彼はそのカリスマ性で、肩に置いた手で私の心に永遠に鍵をかけた。あの男の寂しげな笑みが浮かぶ。二人で見上げた巨大な摩天楼とその先の月を思い浮かべる。心にあの夜を思い浮かべ、足がかりにしながら、レイカは震える足でその場を後にする。

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