1-4 バッドエンド ー Bad end
東京都の湾岸区域—倉庫街の一画にあるその施設への突入は、あっけないほど簡単に成功した。
廃油の溜まったドラム缶、風雨にさらされた工作機械、今にも崩れ落ちそうなトタン作りの建屋、錆と油の臭い。そんな外観とは裏腹に、錆びついて開かない耐火シャッターを引きちぎって中に入ると、そこには白く磨かれた床と天井、防音壁に囲まれた空間が広がっていた。洗浄用薬剤の匂いに、塵一つ落ちていないフロア。カモフラージュされた最先端のデータセンターだ。
ケンジたちは警護用の自律型無人機械を重機関銃で撃ち倒して警備室を占拠した。警護を請け負う民間軍事会社(PMC)のセキュリティセンターに連絡が入っているはずだが、都内の爆弾騒ぎですぐに対応はできないはず。時間は十分にある。
−こいつはいいや。
アームドスーツの力は素晴らしい。迫りくる第三世代の自律型警護機械を素手で鉄くずに変え、侵入者排除のための強襲用無人機(ドローン)の銃撃を弾きながらケンジは自分が超人になったような感覚に酔いしれた。ケンジだけじゃない。その場の全員が、絶対的な力と暴力の味に興奮する。
−今回の仕事が終わったらこのスーツをいただこう。
ケンジは右腕に取り付けられた大口径機関銃を斉射しドローンの四枚の羽根をきれいに撃ち抜く。
−断られたら腕づくで奪えばいい。簡単なことだ。
「私はここを確保する。お前ら、先に行け」
No.01と肩に印字された深紅のアームドスーツがインカムを通じてケンジたちに指示を出す。スーツを着ているのはナギの脇に控えていた紅い髪の女。後方確保は自分に任せておいしいところを持って行け、ということなのだろう。ケンジたちは女を残し、スラスターを吹かして遠慮なく奥へと進む。
認証キーのついた扉を力任せに突破する。アクセスポートが断線し、アラームが施設内に鳴り響くが気に掛ける者は誰もいない。行く手を防ぐ自律型無人機械はたちどころに蜂の巣だ。
運悪く居合わせたメンテナンス要員も同じ運命をたどる。アイグラス越しとは言え生身の人間をミンチにするのには気が引けたが、白い廊下にぶちまけられた赤い血はケンジたちを興奮させた。暴力の世界にしか生きられないなら、とことんそうして生きてやる。このスーツがある限り自分たちは無敵だー。
やけに巨大な扉を抜けた先で、機械のスーツを着こんだ革命軍は足を止める。四方が分厚いガラスで仕切られただだっ広い空間。ガラス越しに見えるのは満たされた水と、その中で揺らめく無数の黒い筐体。天井から差し込む光に照らされた筐体は水の中で揺らめき、筐体表面で赤い光がチカチカと点滅している。水槽はとてつもなく巨大で、ケンジたちは暗い海の底にいるように錯覚する。
「これが−」
「そう、これが君たちが探していたものさ」
振り向くといつの間にか部屋の中央に男が立っている。
痩身で背が高く、高級そうな純白のスーツを身に着けた優男。手には金属製の細身の杖。顔には貼り付けたような笑み。その笑みにケンジは直感的に理解する。この男は自分たちと同じ、暴力の世界で生きる人間だ。
「テックジェン社の最新鋭データサーバー群だ。新しい磁性体を記憶媒体に応用していて、ここにあるサーバー群だけで、十年前に全世界で蓄積されていたデータ量と同等量のデータを保存できる。ーとんでもない広さだろ?もとは工業用ロボットの生産工場さ。今は見る影もないが当時はこの広大な敷地に人と資材が溢れ返っていたらしい。前時代の名残を活用しているのさ」
男は杖をブン、と一振りする。アームドスーツのアイグラスに赤の危険表示。空気の流量変化から推定された杖の重量は、軽くトラック一台分の重量を超える。
−ありえない。誤表示だ。
ケンジはちっと一つ舌打ちをする。メンテナンスめ、手を抜きやがって。
「死ぬ前に聞いておこう。何者だ?」
No.02が銃を向ける。
「ユージン・ガエリウス。お前たちを止める者だ」
九体のアームドスーツの重火器が一斉に火を噴き、轟音と硝煙があたりを包む。
「人が話しているのに、それはないだろう?」
間近で聞こえた声に、ケンジは咄嗟に後ろに跳ぶ。目の前に突如として優男の顔が現れ、ケンジの横にいたNo.08のスーツの腹部にうなりを上げる掌底を見舞う。胃の中身を全てスーツの中に吐き出しながらNo.08は背後のガラスの壁に激突し、崩れ落ちる。時速百キロで走る車の衝突にも耐えられるスーツが全く用をなさない。後ろに跳ぶのが一瞬遅れていたら、掌底を食らっていたのはケンジだった。
「なんだこいつは!」
「撃て!撃て!」
銃弾が集中するが優男の姿はもうそこにはない。
「この部屋の壁面に使われているのは従来の防弾ガラスの数百倍の強度を持つ特殊強化ガラスだ。僕がここで待っていた理由さ。ここなら僕が少しくらい暴れても部屋に傷をつける事もない。ああ、同じ理由でサーバーを破壊しようとしてもこの部屋からは無理だ。この部屋を抜けて上層階に一端上がり、そこからアクセスするしかない。まあ、もっとも僕がそんな事はさせないが」
言い終わらないうちに男は杖を大上段に振りかぶって突進し、すさまじい速度で振り下ろす。よける間もなく頭部に渾身の一撃を食らい、No.04は頭部を胸までめり込ませて沈黙する。スーツの中がどうなっているのか、想像したくもない。
「おい、なんだよこいつ!化け物か!」
「失礼な奴だな」
男が杖を振り回す。空気を切り裂くその音に誰もが怯えて距離を取る中、No.02が巧みに杖をかわしながら男の間合いに入る。
「へえ?」
驚きつつも、優男の余裕の表情は変わらない。No.02は元自衛隊員だと言っていた。格闘技の経験もあるのだろう。臆することなく男の間合いに飛び込むと、男の腕を掴み、そのまま背後から羽交い絞めにして全力で締め上げる。
すさまじい出力にNo.02のスーツから白煙が立ち上る。磁気浮上車ならば一瞬で鉄くずにしてしまうほどの出力。しかし男はNo.02の腕をゆっくりと押し広げていく。その顔には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
「走れ!先に行け!」
No.02の声に逡巡する他のアームドスーツたち。男はついにスーツを押し広げきると、その腕を掴み小枝のように容易くねじ折る。バキン、という鈍い音と鋭い悲鳴。その音に弾かれてケンジたち残された六体のスーツは走り出す。
「行かせないよ」
男はNo.02の腕を握り締めたまま、もう片方の手で走り抜けるスーツたち目がけて杖を投げる。
「させるかよ!」
No.02は渾身の力で男の腕を引き寄せる。男は態勢を崩し、投げられた杖は狙いを大きくそれ、うなりを上げて天井に突き刺さる。轟音。続いて猛烈な砂埃と滝のように降り注ぐ土砂。堪らず顔を覆う優男は土砂の中に埋もれていく。アームドスーツの戦士たちは、センサー越しに、土砂の向こうに屋上へと抜ける大きな穴が開いたことを感知する。
「行け!速く!」
土砂の雨の向こうから聞こえるNo.02の声。しかしその声は続く金属を引き裂くような高い音ののち、ぷつりと途絶える。六体のスーツは迷うことなく屋上へと飛び上がった。
飛び上がった先は建物の屋根の上だった。屋根は金属製でだだっ広く、一面、錆びついている。差し込む日の光に思わず眼を閉じるが、すぐにスーツの視覚センサーが光量を調整する。
「おい−」
「待て」
No.10がスーツの環境認識フィルターをオンにすると、たちまち足元は黒々とした太陽光発電パネルに変化する。床面に仕込まれた立体画像発生装置(ホログラフィックディスプレイ)による偽装だ。
透かして見るとパネルの下には先ほどの水槽が広がり、無数の筐体が沈んでいる。太陽光発電パネルから太いケーブルがその筐体へと伸びている。高効率発電パネルによる完全自己発電システムだ。
「こちらNo.03。目標地点に到達。予定外の交戦で三機がロスト。ターゲットの位置情報の転送を頼む」
『了解、少し待て』
肩にNo.03と刻まれたアームドスーツを着たケンジが、ナギたちのいる本部と会話する。冷静さを保とうとするが震えが止まらない。あの男はなんなんだ?生身の身体でアームドスーツの性能を上回るなんて信じられない。土砂に埋もれるところは見たが、死んだとは到底思えない。距離を稼がなければ、次にやられるのは自分かもしれない。
「ナギ−」
そこまで問いかけてケンジは口をつぐむ。
ナギは質問は禁止だと言った。質問したらそこで仕事を下りたとみなす、と。聞きたいことはいろいろとあるが、それはこの仕事が終わり、報酬をもらってからだ。それまでは、少なくとも今は、生き延びることに集中すべきだ。
『情報を転送する』
ナギの右腕、鋼のような筋肉を持ついかれたスーパーハッカー、クラインからの短い回答の後、各スーツのアイグラスに赤いマーカーが表示される。マーカーで指示されたターゲットサーバーを破壊すればミッションは終了だ。
六体のアームドスーツはスラスタを点火させ、マーカー目掛けて屋根の上を滑るように走り始める。赤いマーカーが示す筐体は遠くない。重機関銃でパネルごと破壊して、脱出すれば仕事は終わり。あとは冷えたビールで乾杯だ。時速百キロを超える速度で移動しながらケンジは夢想する。仕事終えたら、報酬とこのスーツを使って一山あててやる−。
「悪いな、思い通りにならなくて」
ケンジの斜め前を走っていたNo.05がいきなり吹き飛んだ。
横倒しになった勢いで手足はねじれ、そのまま沈黙する。
「No.05、応答しろ!」
虚しい呼びかけがインカムを通じて流れ込む。追い越しながら見たNo.05の首の付け根には大きな穴が開き、首がちぎれかけている。もう二度と立ち上がることはないだろう。
『脳信号伝達器官に致命的損傷』
ケンジのスーツのアイグラスに、画像から分析されたNo.05の損傷具合が表示される。巨大な穴はおそらく銃弾によるもの。機関銃の銃弾さえ跳ね返すアームドスーツを一撃で行動不能に追い込むとは、並の銃撃ではない。AI搭載の第七世代戦車か、要人暗殺に特化した無人飛行銃撃機か。
「狙われてるぞ!」
No.07の甲高い声が響き、疾走するスーツたちは一斉に光学迷彩機能をオンにして周囲の環境と同化する。
—どこだ?
有効探索範囲三百メートルを誇るアイグラスにも反応はない。熱センサーも、電磁センサーも反応しない。ケンジたちアームドスーツ部隊以外に移動体の反応はない。
アイグラスの探索範囲外?−まさか。三百メートル以上離れた場所から、時速百キロメートルで疾走するアームドスーツの一点を正確に撃ち抜くなんて神業だ。AIによる予測技術で補正しても不可能だ。
ドン。
空を切り裂く衝撃波とともにケンジの少し前を走っていたNo.07が姿勢を崩して転倒する。転倒に巻き込まれてNo.10も体勢を崩す。その直後、No.07の頭部が吹き飛び、No.10の胸には大きな穴が開く。光学迷彩がまったく役に立っていない。
「散れ!固まっていると思うつぼだぞ!」
インカムらからの声に、残された三機はばらばらに動き出す。アームドスーツの急激な方向転換に耐えられず、床のパネルがひしゃげ、火花が散る。遠巻きに独自のステップを踏みながら三機各々がターゲットのサーバーに近づいていく。
「射程圏内!」
蛇行するように疾走していたNo.06が腰から円筒形の手榴弾を取り出し、振りかぶる。
ドン。
「うわあああ!」
No.06の腕が吹き飛び、握りしめていた手榴弾は空中で爆発する。爆発に巻き込まれたNo.06はひとたまりもない。No.06の残骸をかわしながらケンジとNo.09は走り続ける。止まれない。ここで止まることは死を意味する。
「一定のパターンで動くな!変化をつけろ!」
No.09の声にケンジは不規則なステップを踏んでからターゲットに向けて跳ぶ。このまま撃ち抜けばミッションは完了だ—。
ドン、ドン。
轟音と鋭い痛み。空中で手と足を撃ち抜かれ、ケンジはターゲットサーバーの真上に落ちる。パネルがひしゃげ、水槽から漏れでた水がケンジのスーツを濡らす。手にしていた機関銃は遥か遠くに転がっていってしまった。
「あ…。ぐわぁ…」
眼を上げると首から上を失ったNo.09が膝から崩れ落ちるところだ。眼に見えない狙撃者の前に、一軍をも制圧できるアームドスーツ部隊が壊滅だ。
—これで終わりか—。
覚悟を決めてケンジが見上げた空は透き通り、どこまでも青い。故郷で見上げた空と同じだ。涙がこぼれ、頬を濡らす。
—あれは…?
ケンジは、見上げた空を白い一筋の線が切り裂いていることに気付く。アイグラスが望遠モードに切り替わり、それが人工の建造物だと分かる。この国で最も高い人口建築物、祈りの塔。その頂上付近で何かが動いた。
—まさか。
その可能性に思いを巡らせ、ケンジはようやく理解する。
—初めから、自分たちは捨て駒だったのか。
ケンジは愕然とし、悔しさと、怒りがこみ上げてくる。何も持たない自分たちは、結局どこにもいくことができない。ここから這い出ることができない。いいように使われて消えていくだけだ。
「畜生!」
ケンジは激しく悪態をつく。燃え上がるような怒りは腕と足を失った痛みすらも凌駕する。いったい、俺はどうすればよかった。こんなバッドエンドを迎えないためには、どうしていればよかったんだ!
「畜生!畜生!ふざけやがって。畜生!」
ケンジの怒りに呼応するようにスーツの温度が急激に上がっていく。その温度は生命が耐えられる温度をやすやすと超える。自分の人生をじっくりと振り返る暇さえ与えられず、ケンジは白い光に包まれる。
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