1-3 抵抗 ー “ I’m here ”

「『破壊や暴力からは何も生まれない』、っていう言葉があるだろう?ありゃ嘘だ」


 目の前の白髪の男ーナギの言葉はケンジを高揚させる。身に着けたアームドスーツ”Apocalypse”は五感も拡張するのか、聴覚の損なわれた左耳にもナギの声はよく届く。

 ナギのような人間に出会えたことは、ケンジにとっては幸運だった。暴力に彩られてきた自分の人生を肯定してくれる彼のような人間こそ、上に立つ者としてふさわしい。


「人は自分に影響を与える人間の言葉しか聞かないんだ。わかりやすいのは声の大きな人間さ。聴覚を刺激する大きな声を持つ人間の言葉には誰でも耳を傾けるだろう?自分より権力や富を持つ人間もそうだな。権力や富を持つ人間は自分に大きな影響を及ぼす可能性がある。だから耳を傾ける」


 ケンジは同じ言葉を口にした家族のことを思い出す。自分のことを厄介払いした兄と両親。彼らに抱く感情はもう何もない。

 とどまることを知らない人口減少はケンジたちの住んでいた東北の小都市も直撃し、人口規模はこの十年で二十分の一になった。ケンジが物心ついた頃には周りにたくさんいた友人や親戚も、今ではほとんど残っていない。一般向けの公共回線(パブリックライン)が恒常的にハッキングAIに汚染されるようになってからはより一層、連絡がとりにくくなった。今の世の中、誰も彼もが孤立している。


「悪いのはな、政治なんだ。政治家は自分に影響を与える人間の言葉しか聞かないからな」


 故郷の街から人がいなくなるたびに口癖のようにそう言っていた父親とはたびたび喧嘩になった。もともと酒癖の悪い父親はすぐに手を出し、ケンジも自然と手を出し返すようになった。

 神様は不公平だ。

 出生時に義務付けられているIDタグの埋め込みと、遺伝子検査の結果、生まれてすぐにケンジは身体的には恵まれているが頭脳は並以下というレッテルを貼られた。財産を持つ友達や生まれつき賢い友達はそんなケンジを馬鹿にし、ケンジはそんな奴らに暴力で対抗した。体格は並だったが、ケンジには他の人間にはない思い切りの良さがあった。それは「自分なんてどうなっても構わない」という捨て鉢の考えの裏返しだということに、自分では気づいていなかった。

 気づいた時にはケンジの名前は地域で有名になり、周囲には誰もいなくなっていた。


「ケンジ、暴力からはな、何も生まれないんだ」


 父親にそう言われたケンジは、気が付くと父親の顔面を殴っていた。酔うと真っ先に手を上げていた男にそんなことを言われたことに、無性に腹が立った。しかし、父親はケンジのことを殴り返さなかった。だからケンジは父親のことを殴り続けた。

 父親は入院し、母と兄はケンジと会わなくなった。無理に会っても、話も聞いてもらえなかった。ケンジは追われるようにして東京に出てきた。

 −暴走列車だ。

 東京に出てきたケンジが、最初にこの都市に抱いた感想だ。

 見たこともないほどの人、整然と空を飛び交い物資を運ぶ自律型機械、滑るように走る洗練されたデザインの磁気浮上車(ホバー)、街角に座り込む痩せこけた新国民、天を衝く摩天楼。

 震災で甚大な被害を受けたはずなのにその痕跡はどこにも見当たらない。何もかもが桁外れで、あらゆるものが持ちきれないほどあって、足りないものなんて何もないはずなのに、誰もが何かを求めて、何かに追われて、ひたすらに走り続けている。走って、走って、走り続け、だれよりも速く走り抜けた者には富と摩天楼の上層階での栄華が約束されるが、走ることをやめた者は列車から振り落とされて、奈落の底に落ちていく。それが東京という都市だった。

 ルールも知らずに東京に出てきて、初めから走ろうともしなかったケンジはすぐに奈落の底に落ちた。田舎で生まれ育ち、IDの素性も悪いケンジのような人間に就ける職などどこにもなく、なけなしの金はあっという間に使い切り、すぐに道端を住処とするようになった。警察の自律型無人機械に追い立てられるように足を踏み入れたアンダーグラウンドで身ぐるみをはがされ、地上へ追い返された。暴力を受ける側に回って初めて感じたのは強い恐怖と怒りだった。

 誰もが身体に埋め込まれたIDタグを頼りに失業申請したが家庭状況や年齢、犯罪歴から認められず、行き着いた役所から斡旋されたのは新国民のマフィアと繋がる東南アジアへの密輸業社だった。

 新宿の雑居ビルの一角にある事務所にはケンジと同じように暴力の世界で生きる者たちが多く集っていた。そしてそんな中でケンジは暴力の世界にも序列があることを理解した。ケンジのような頭もよくなく、半端な暴力しか振るったことのない者は決して序列の上位に上がれない。上に行くのは賢い者か、暴力を極めた者。結局、ここでもケンジは半端者だった。

 数年の間にケンジは何度も殴られた。でも、それ以上に殴り返した。人を殺めたこともある。前科が幾つもつき、つまらないいざこざで殴られた左耳はもう聞こえない。

 ある晩、いつものように警察の自律型機械に追い回され、虎の子のダミータグジェネレーターを使ってようやく逃げ切った先の川崎港近くの路上で、ケンジは疲れ果てて大の字になり、月を見上げていた。見上げた月は故郷の月と何も変わらなかった。自分のしていることもあの頃と変わらない。そしてこれからも変わらないだろう。

 自分はどうなるのか。

 いつものように漠然とした不安がケンジを襲った。

 自分は普通に暮らしたかっただけだ。息を大きく吸って、上を向いて、のんびりと故郷でみんなと暮らしたかっただけだ。でも今のこの国ではそれは許されない。前を向け、努力しろ、走れ、走れ、全力で、振り落とされるな、振り落とせ。止まるな、休むな、命の限り、走り続けろ。そう言われていつも追い立てられている。

 持っている者は生まれながら遥かな高見からちりばめた宝石箱のようなこの都会を見下ろし、ケンジのように何も持たない者は地の底で死ぬまであがき続けるしかない。ここではどれだけ努力してもそのルールから外れられない。ケンジは心の奥底が冷たくなっていくのを感じていた。


「よお」


 寝転がっていたケンジに声をかけたのがナギだ。

 ナギのことはそれまでにも何度か見かけたことがあった。銀髪の精悍な若者。ケンジたちのボスもナギには敬意を払っていた。


「あんたケンジだろ。聞いてるぜ。あんたのこと、探していたんだ」


 他人から必要とされたのは初めてのことだった。ケンジの胸にはその言葉だけで誇りが生まれた。それから数日のうちにケンジはナギと行動を共にするようになった。



「−破壊や暴力っていう行為はそれと同じなんだ。富も権力も、大きな声も持たない、語るべきことがあっても言葉にすることのできない人間の最後の抵抗さ。『俺はここにいる』って示してやるんだ。お前たちを見捨て、無視し、ないがしろにしてきた人間たち全員にな。俺は『ここにいる』、ってよ」


 ナギの言葉にケンジたち、十体のアームドスーツが無言でうなずく。 Alphabettersと称されるアームドスーツの二十六種類の機体。そのプロトタイプであるApocalypseは中世の騎士鎧のような姿をしていて、筋電位の変化を感知して身に着けた者の力を何倍にも増幅する。資材運搬用のホバーぐらいなら持ち上げられるし、表面を覆うケブラー繊維複合強化プラスチックは軽機関銃の弾丸くらいなら軽々と跳ね返す。旧式とは言え、軍事用途で開発された軍の正式装備をなぜナギが持っているのか。理由はわからないがそんなことはどうでもいい。アームドスーツを身につけているのはケンジと同じような境遇の、居場所を失い、声を届ける事のできない人間たち。彼らにとって重要なことは声を上げるのに十分な力を自分たちが今、手に入れたということ。それだけだ。


「いま、俺の仲間が都内のあちこちで騒ぎを起こしている。煙と音が派手なだけの爆発とも呼べない代物だが時間稼ぎにはなる。時間!そう、必要なのはまさにその時間さ!」


 そう言ってナギは笑う。何もかもが楽しくて楽しくてたまらない。きっとこの男は人を傷つけるときも、自分が傷つくときも、同じように笑うのだろう。


「いいか、標的が無人管理のデータセンターだからと言って気は抜くなよ?国の最重要施設だ。警備は万全のはずだし、無人といってもメンテナンスで詰めている運の悪い奴らもいるはずだ。いいか?一部ーほんの一部でいいんだ。サーバーの一部、指定した場所を破壊すれば、それだけでお前たちのことを国は無視できなくなる。ないがしろにされてきたお前たちの声がこの国のてっぺんにまで届くんだ。今こそ声を上げるときじゃないか、そうだろ?」


 アームドスーツを着た誰もが頷き、言葉の代わりに足を踏み鳴らす。その音はいつまでも終わらない。そう、今こそ声を上げる時なんだ。『俺たちはここにいる』。

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