3-20 幽霊との邂逅 — Tragedy

 世田谷区の大通り沿いを歩く。以前は膨大な交通量を誇っていた環状線も今はところどころで明滅する街灯が影を落とすだけ。夜の冷気はユウジの懐にも忍び込む。


 腕を絡めるレイカを抱き寄せ、もつれるようにして歩く。レイカは何も言わずに身体を預ける。路肩には幾台もの錆びついた廃車。震災のとき放棄され、そのまま片づける者もなく錆びついている。地中に埋め込まれた給電システムによる無線給電で動く磁気式浮上車ホバーが当たり前のこのご時世、廃車と言えどガソリンで動作する車を都内で見かけることは珍しい。


 通り沿いの崩れかかった廃ビルの奥から人の気配。おそらく夜盗の集団。額にレーザー光。ターゲットを見定めようとするその行為は、ユウジを憤激させるには十分だ。

 手近にあった瓦礫を投げつける。ユウジの腕から放たれた瓦礫はビルの壁を轟音と共に打ち抜き、夜盗の群れに襲撃を諦めさせる。


 ただ歩くだけ。それでも二人は満たされていた。

 祈りの塔からの呼び出しも、ナギからの警告も無視した。何者も二人を縛ることはできない。

 一時間近く歩き続けたところで二人は足を止める。闇よりもさらに濃い黒を纏った人型の異形が三体、いつの間にか二人を遠巻きに囲んでいる。闇に溶けるその姿はその名の通り幽霊そのものだ。

—政府の犬。

 ユウジの身体技術を外部装甲に反映することで作られた模造品。その模造品が示すあからさまな殺意にユウジの心は再び熱くなる。


「相手を間違えていないか?お前たちは俺たちの側だと思っていたが?」

『お前に用はない』


 その声にユウジは少なからず動揺する。女の声。正義感に満ちて若々しい。西洋の甲冑のようなマスクに、身体にフィットする黒衣、同じく黒色の軽鎧。動きやすさを重視した出で立ちだ。


『我々が用があるのはそいつだ』


 別の幽霊の一人がレイカを指し示す。布のような黒衣に、顔には先ほどの幽霊と同じく金属の面。忍者のような姿はやはり動きやすさを重視しているのだろう。


『テロリスト薙澤零司の側近、隈神レイカ。三鷹データセンター襲撃の首謀犯としてお前を拘束する。我々に従ってもらおう。抵抗はするな。抵抗した場合は殺害許可も下りている』

「待てよ、人違いだ」

『邪魔をするな。この二十四時間のお前たちの行動はバグが監視している。人違いなはずは無い。それにデータセンター襲撃に関してはは十分な証拠が揃っている』


 —証拠?

 ユウジは心の中で首を傾げる。

 データセンターの一件はCHITOSEの上層階の住人たちにより、もみ消されたはず。国会中継中の自殺騒ぎにマスメディアも国民も騒然となり、政府は情報統制に躍起になっている。情報の流出から世間の関心が事件に向くことを嫌がる政府が、襲撃犯の情報を現場に漏らすことはあり得ない。証拠が出てくるとすれば—。

「ナギだ。お前、売られたな」


 振り返るとレイカの顔はこわばり、蒼白だ。歯の根もあわないほどにガチガチと震えている。

 —そんなにもナギが怖いのか—。

 ナギに心を動かされているレイカ、そしてそんなレイカの表情に動揺する自分。

 ユウジは無性に腹が立った。

 音もなく包囲の輪を狭める幽霊達の前にユウジが立ち塞がる。


「野暮な奴らだ」


 問答無用で振るった拳を、轟音と共に黒い影が受け止める。黒色の金属の面に全身を覆う黒色の重鎧。無機質な金属を最も体現したその幽霊は、三体の中で最も体格がいい。

 厚さ五十センチのコンクリートの壁を砕くユウジの拳にも幽霊は微動だにしない。軽く舌打ちして距離を取ると、ユウジは腰の杖を引き抜く。


『ゼノニウム合金。超高密度、高強度が特徴の最新素材。戦車砲弾の弾頭への使用が想定されていたが、なるほど、こうした使い方もあるわけだ』

『力は重量に比例するからな。侮るなよ』


 黒い影は間合いに入ると、ユウジが杖を振るう前に、丸太のような腕でユウジの腕を掴む。壮絶な力比べ。みしみしと骨がきしむ音がする。


「ユウジ!」


 レイカの銃が火を噴く。銃弾は黒い影の額に命中するが、黒い影は身じろぎ一つで銃弾を弾き飛ばす。何の模様も無く目の位置さえわからないその面の向こうで、誰がどのような表情を浮かべたのか、レイカにはわからない。


『無駄だ。我々が身につけているこの金属はその男の身体骨格や筋肉に使用されている金属をさらに強化したものだ。この黒衣を身につけている限り、戦車の砲弾が直撃しても我々は無傷だ』


 言葉と共に幽霊はユウジを放り投げる。ユウジはそのまま路肩の廃車に激突し、廃車ごと数十メートルの距離を滑って止まる。


「逃げろ、レイカ!」


 ユウジの言葉に、弾かれたようにレイカは走り出す。


『逃がしはしない!』


 忍者のような黒い影がレイカに飛び掛かる。腕にはいつの間にか鋭い爪。装着者の神経と接続された黒衣は装着者の意志に応じていかようにも姿を変える。

 ユウジは廃車の上で身を起こすと、渾身の力で杖を投げる。杖は漆黒の夜空を切り裂き、レイカに飛び掛かった幽霊の胸に深々と突き刺さる。杖と幽霊はそのまま彼方の廃ビルまで吹き飛び、その一フロアを吹き飛ばす。


『アキラ!』


 轟音と砂埃。動きが止まった瞬間を見逃さず、ユウジは騎士面を被った黒い幽霊に前蹴りを叩きこむ。吹き飛ばされた幽霊は路肩の錆びついた車に激突して動きを止める。居合わせた酔っぱらいがペタンと尻餅をつく。

 残る一体、重装備の幽霊の反応は速かった。距離を詰めるとレイカの手にした拳銃を拳の一振りで叩き落とし、あっという間にレイカを肩に担ぐ。スタンガンのようなもので眠らされたのか、レイカはピクリともしない。


「レイカ!」


 後を追おうとしたユウジの身体を、前蹴りを食らった黒い影が後ろから羽交い絞めにする。

『仲間をやられて手ぶらでは帰れないんでね』

 騎士面の一部が欠落し、顔が確認できる。女。おそらくレイカや自分よりも若い。流れ出た血が頬を赤く染めている。

—なんで—。

 ユウジは、その言葉を最後まで言い終えることはできなかった。

 レイカを肩に担いでいた巨漢の幽霊が環状線と国道の交差点の中心に至った時だった。なんの前触れもなく、轟音と共に交差点が炎に包まれた。


「レイカ!!」


 ユウジが叫ぶ。ユウジを押さえる女にも驚愕の表情が浮かぶ。次の瞬間、再び強い衝撃が環状線全体を襲い、騎士面の女が吹き飛ぶ。

—爆弾か!

 廃車に仕掛けられた高性能爆薬。しかし正体に気付いたときには、ユウジの身体は吹き飛んだ歩道橋の下敷きとなり、意識は刈り取られていた。

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