4-7 正義のヒーロー — Hero of justice

 白く明るいオペレーションルームの沈黙を破ったのは壁面ディスプレイに大きく表示されたALERTの文字。ユウキ・イェルツァードとアシュレイ・サカザキは小走りに部屋を飛び出すとハンガーに向かい、黒塗りの輸送ヘリ、ブラックウィドウに乗り込む。対電磁塗装とアンチフェイズバイブレーターによりレーダーにうつることのない機体は二人を乗せて音も無く東京の空へと飛び上がり目的地の旧四ッ谷駅前に向かう。通報から二分半。ここ練馬のベースからはあと数分で目的地だ。


「疲れは無いか?」


 コクピットの後ろで上官であるユウキがアシュレイに語りかける。シートに座った二人をレーザーがスキャンして位置を測定し、ヘリの天井から吊るされたロボットアームが次々と強化装甲「黒衣」で二人の身体を覆っていく。


「無い、と言ったら嘘になりますけど、仕方ないですよね」


 アシュレイは金髪を掻き揚げて笑う。Zycosの光学兵器を受けて大きく損傷した装甲は取り替えられ、傷ついた内蔵も、失われた左手も、iPS細胞で復元された。それでも心に残された傷と、蓄積された疲労は拭えない。


「ブレインサポートは?」

「あれは受けたくありません。ケアとは言うけれど、あれって洗脳みたいなものじゃないですか?気持ち悪いです」

「—そうだな」


 心的外傷後ストレス障害(PTSD)の緩和医療法としてブレインサポートは成果を上げつつある。しかし電磁刺激や薬といった外的刺激により脳を最適な状態に整えようというブレインサポートの試みは、「脳をいじくりまわされる」としてアシュレイのように受診を躊躇う者も多い。

 装甲を装着し終えたところでマスク内にウインドウが開き、ブリーフィングが始まる。統制活動中だった働き蟻、コードNo3576が暴徒に襲撃され炎上。動作停止に追い込まれた。テロの可能性も高い。至急現場に急行せよー。街中に設置されたカメラは炎上中の働き蟻と、市民の姿を映し出す。ヴィルタールシステムによれば、働き蟻の周囲に千人規模の人々が集まり始めている。気が滅入る状況だ。


「なんでお前は「幽霊」なんかになろうと思ったんだ?」


 摩天楼CHITOSEの整ったフォルムを遠くに見ながらユウキが何とはなしにアシュレイに声をかける。


「私には二人、兄がいるんです」

「ああ」


 アシュレイの経歴に関するデータは、兄が二人いるという情報も含めて、ユウキの頭の中に入っている。確か二人とも日本育ちで軍人のはずだ。


「小さい頃、兄たちとよくテレビを見ていました。ヒーローが悪と戦う、あの番組です」


 アシュレイの挙げた名前は日本人ならみんな知っている番組だ。その脚本とデザインに惹き付けられるファンも多いと聞く。


「この装甲を身につけた姿って、あのヒーローに少し似ているじゃないですか。だから憧れていて。私を選んでくださいって上層部に直訴して。選ばれたときは本当に嬉しかった」


 マスクをつけているので表情はわからない。でもアシュレイが子供っぽい笑顔を浮かべていることは容易に想像できる。


「これで悪と戦える、本物のヒーローになれる、って。でも最近ではよくわからないんです。我々が拳を向けているのはテロリストと目された一般市民です。テロリストかもしれないけれど、悪の怪人でもない、我々と変わらない一般市民なんです。泣き叫び、怒っている市民を相手に拳を振るい、時に銃弾を放っている。これじゃあヒーローじゃないよなあって」

「我々の行っていることは、正しいことだ。疑うな。疑えばそこに隙が生まれる」

「—はい。ただ、やっぱり感謝されたいんです。当たり前ですよね?我々だって人間なんだから。世界平和の役に立って感謝状をもらうよりも、目の前の人の役に立ってありがとうって言ってもらえる方がよほど嬉しい」


 ユウキは答えない。アシュレイの言葉は真っ当だ。明確な悪のいない世で、我々はどこに正義を見いだすべきか。これは辛い質問だ。答えは無いが、その辛さを乗り越えなければ、動くことは出来ない。


「もう着くぞ」

「了解」


 機械のような冷静さを取り戻したアシュレイは、マスクの下で今、どのような表情をしているのか。ユウキにはもうわからない。


 高度三十メートルでホバリングするブラックウィドウから飛び降りた「幽霊」たちを待ち受けていたのは、千人を超える一般市民の手荒い歓迎だった。ひび割れたアスファルトに降り立ったユウキとアシュレイ、さらにナナミが開発したAI搭載型の二機、Xcure(ゼクスキューレ)の前タイプOctas(オクタス)をあわせた四体の幽霊には罵声と、汚物やゴミが投げかけられる。


「落ち着いてください!」


 アシュレイやユウキの声は、涙を浮かべて興奮した人々には届かない。通りの向こうには焼け焦げて動かない働き蟻。上半身裸の男達がその上で装甲を引き剥がそうと鉄パイプを打ち付けている。

『周囲広範囲に敵対行動を認識。対敵モードに移行します』

 AI動作の二体の幽霊、Octasが電子音で警戒レベルの引き上げを宣告し、両腕を身体の前にあわせ防御姿勢をとる。その動作に市民の声はさらに大きくなる。


「落ち着いて。相手はテロリストじゃないわ。攻撃してはダメ」


 アシュレイの言葉に二体のOctasはゆっくりと防御姿勢をとく。自分が幽霊になった当初は、機械が同僚になることも、その同僚を落ち着かせることになることも想像しなかった。

 近くのビルから汚水が浴びせかけられ、アシュレイの強化装甲が濡れる。歯を噛み締めて耐える。我慢しろ。水や罵声では、プライドは傷ついても強化装甲が傷つくことはない。


「落ち着いてください。我々は治安維持のために来ました。戦闘が目的ではありません」


 外部装甲の拡声器を通じてユウキは語りかける。ユウキの声は興奮した暴徒の鎮圧に最適と選定された穏やかな女性の声に変換される。どこか間延びした声に群衆はさらにヒートアップする。


「そんな言葉には騙されない!」

「金持ちは摩天楼の上から降りて来い!」


 群衆の怒りは覚めやらない。その時、通りの向こうで爆発音。誰かがむき出しになった燃料タンクに火を放ったのだろう、再び燃え上がった働き蟻に興奮の声が上がる。

『対敵モード臨界レベルにまで上昇』

「落ち着いて!」


 叫んだアシュレイのすぐ隣で突然ユウキが吹き飛んだ。


「え?」


 ユウキはそのまま二十メートルほども吹き飛び、アスファルトを削り取って路上に転がる。アシュレイは即座に黒衣のアイグラスを生体モニター表示に切り替える。生態反応はグリーン。命に別状は無い。しかしユウキは動かない。不意打ちに気を失っている。

『強化ライフル弾による狙撃を確認。識別No.084、ユウキ・イェルツァードは戦闘可能状態にありません。繰り返します—』


「いいから、私と隊長を守って!」


 アシュレイの言葉に二機のOctasは即座に反応する。

『戦闘モードへの移行指示を確認。即座に防御行動に移ります。なお防御行動の一環として敵対対象は即時排除しますー』

 言葉が終わらないうちに一機がアシュレイの前で素早く手を振る。鈍い音とともに幽霊によって叩き落された弾丸が廃ビルの壁面に突き刺さる。もう一機が群衆の中に入り、腕を振るう。わっという声と共に人垣が崩れ、散っていく。


「民間人を傷つけないで!」


 幽霊が振るった腕の下には、破壊された自律型機械。小柄でぼろをまとったその体躯は、一見、人間の子供のように見える。しかし伸びた腕の先にあるのは拳ではなく銃身。群衆に容易に紛れ込む自律型機械。その意図は明白だ。


「自律型機械を群集に紛れ込ませています!敵は混乱を生み出すつもりです!」


 アシュレイの言葉と銃声が重なる。通りの向かい、崩れかけた廃ビルの屋上に襤褸をまとった二機の自律型機械。四本の腕、それぞれに取り付けられた銃身がアシュレイに弾丸を浴びせかける。しかし弾丸がアシュレイに届く前に一機のOctasがカバーに入る。


「うわ!」

「ぎゃっ!」


 カバーに入った幽霊の身体で跳ねた弾丸が群衆を襲い、犠牲者の数が増えていく。あちこちに血溜まりができ、若い男や年老いた女性の動かない身体が転がっている。


「援護を、救援を要請します!」


 ユウキの身体を助け起こしながらアシュレイは叫ぶ。ビル屋上の二機の自律型機械に向けてOctasが飛び上がり、逃げ惑う群衆の中に潜んでいた新たな自律型機械が飛び上がったOctasに銃弾をばら撒き始める。

—こんなの違う。

 アシュレイはユウキを背負って走りながら呟く。混沌の度合いは増していく。一度は逃げた群衆たちが手に手に物騒な獲物を持って集結しつつある。幽霊や正体の判明した自律型機械との距離を詰めながら、人々は手に持った獲物を投げつけだす。

—なんでこんな。

 群衆に紛れ込んだ自律型機械が投げた手投げ弾が、アシュレイの頭部を直撃する。爆音と共にアシュレイは炎に包まれる。

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