3-26 経験 — Experience

「長く生きていると体験が蓄積されていく。いや、経験と言ってもいい」


 祈りの塔の最上層。珍しくユーリが自ら口を開く。燦々と降り注ぐ陽光の下、レイヴンを抱えたまま膝を立ててコンクリートの床に直に座るユーリの姿は黒い影そのものだ。


「素晴らしいわ。私も色々な経験をしてはやく大人になりたいもの」 


 ソラはそう答え、二人から等距離離れた場所に座るトワも軽く頷く。ソラはとっくにトワの血の臭いに慣れた。トワが誰のために、何のために殺したのか、ソラはもう理解しているが、それでもトワはソラに近付くことを遠慮している。


「経験する、ということは『知っていることが多くなる』ということだ。『こんなこと以前にもあったな』そう思うことが多くなるんだ。つまり何かが起きてもそのことに対して驚きが少なくなる。つまり反応が鈍くなる。そして、最終的には反応がなくなる」

「死、っていうことね」

「死ならまだいい。しかしその存在が死ねないとしたら?」

「—機械のようになるしかない。もしくは植物のような、と言った方がいいかもしれない」

「そうだな。電気信号に対して動作を返す。風に吹かれて梢を揺らす。最低限の入力に対して最低限の出力しか返すことができない存在。それが私なのさ。命令に応じて結果を返す。つまり命じられたターゲットを殺すだけ。そこに何の感情も無い。後悔もない。嘘みたいな話だが、本当に何も無いんだ」


 ソラは首を傾げるが、数多の命を奪ってきたユーリがなぜソラの隣に居られるのか、トワには理解できた気がする。


「かわいそうな人。なぜ今、そんな話をするの?」

「どうしてかな。一つ理由を挙げるとすると、お前たち二人という、話を聞いてくれる人ができたから。マカロワはこんな曖昧な話に耳を貸す女じゃないしな。もう一つ理由を挙げるとするなら『いま話しておいた方がいい』と私の勘が囁くから、だ。それと私はかわいそうじゃない」

「かわいそうよ。でもユーリがそう言うのならそうなのかもね。ーユウジのことも関係あるんでしょ?」

「師匠が?」


 ユーリは座ったまま下界を見下ろす。吹き付けた風がユーリの髪を揺らす。


「あいつのことは生まれる前から知っている。態度は適当だが、無意味に人を傷つけたりルールを破るような奴じゃない。今回は相当な決意を持って消えたはずだ」


 そう言ってユーリはレイヴンの銃身を撫でる。


「まさか師匠を?ダメだそんなの!」

「私もそうならないことを願っている」


 マカロワが階下から悲壮な表情で現れ、手にしたメモをその場の全員に見せる。そしてそのメモを見た瞬間、その場の全員が動き出す。

 ソラは目を閉じて意識を下界に集中させる。トワは階下のアームドスーツ用ハンガーに走る。そしてユーリはレイヴンを手に、東京の街並を見下ろせる定位置で狙撃の準備を始める。

 今日、また誰かの命が失われる。

 その確信が重しとなってそれぞれの心を締め付ける。しかしその中でもユーリだけは表情を変えずに淡々とレイヴンを整える。

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