1. 塔の上の少女 ー A girl on the tower
1-1 公僕たち ー Civil servants
空調の効いた新国立劇場三階の窓から国道沿いの桜並木を見下ろしながら、ヤスダは昔のことを思い出していた。
二千年代の初頭まで桜は三月の終わりに咲く花だったと聞く。卒業や入学を祝う花として多くの人に愛でられてきた花。しかし温暖化の進行とともに開花の時期が早くなり、桜の花は日本の異変を示す象徴として取り上げられるようになった。あの揺れが東京を襲ったのはそんな桜の咲く日だった。
東京湾沖を震源とするマグニチュード八の地震と、その十年後の日本の
『班長、配置につきました』
インカムからの声とともに新国立劇場の見取り図がアイグラスに映し出される。声の主であるマツカワは女性ながら養成部の中では最優秀だった。ヤスダにはもったいない部下だ。
映し出された見取り図には「東京大震災追悼式典会場」の文字。劇場内のあちこちに赤い光点が示され、その一つに眼を移すと映像が光点の場所の様子に切り替わる。
どの場所にも小型の自律型無人機械、通称
「無粋なもんだな」
『え?』
「あの機械人形さ。桜舞い散るここには似つかわしくない」
機械の力を最大限に生かした自律型無人機械の他に、人が装着することを前提としたアームドスーツもテロ対策の最前線には配備されている。自律型無人機械がロボット工学によって生み出された兵器なら、アームドスーツは人間工学が生み出した兵器だ。人の操作が前提のアームドスーツは、自律型無人機械のような制御フレームワークがない分、ルーチンワークには不向きだが汎用性は高い。低コストであらゆる可能性に対処するためにはやはり人の脳は欠かせない要素だ。アームドスーツの方が実戦に適していることはあらゆる軍事コンサルティングが認めている。
『そういうもんでしょうか』
マツカワの返事は曖昧だ。ヤスダは無粋と言うが飛蝗のデザインは洗練されている。そもそも自律型無人機械を機械人形と呼ぶ人間をヤスダ以外にマツカワは知らない。これも世代の違いというやつだろうか。
「お前は震災は経験していないんだよな?」
『震災』とは三十年前の東京大震災のことだ。それまでにも各地で大きな地震はあったが、あの日以来、震災といえば東京大震災のことを指す。
『ええ、私はまだ生まれていませんでしたから。ヤスダさんは、当時こちらだったんですよね?』
「ああ、酷いもんだった」
当時、社会人になったばかりだったヤスダは、住んでいた独身寮で揺れに襲われた。
内陸部の被害は最小限に留められた。過去に何度も列島を襲った地震の経験が生きたといってもいい。死傷者の数も少なかった。
しかし、湾岸部はそうはいかなかった。
当時、湾岸に住んでいたのは”新国民”と呼ばれる海外からの移民だった。高齢化と人口減少対策の一環としてその数年前から政府は積極的に移民受け入れを始めていたが、住居の確保が追いつかず、さらには治安上の問題から受け入れを拒む自治体も多く、政府が苦肉の策として用意したのが東京湾岸の埋め立て地だった。
急場しのぎの簡易宿泊施設に地震対策など施されているはずもない。地震や津波の経験など皆無に等しい”新国民”たちの多くが大津波の犠牲になった。正確な数字は公表されていないが、その数は十万人を超える。
内陸部も、死傷者こそ少なかったが、東京の首都機能は完全に麻痺した。崩壊こそ免れたが放棄された住居や建造物は数えきれないほどあった。
『この新国立劇場も震災で建て直しを余儀なくされたんですよね?』
「ああ、震災の後は東京中が大混乱だった」
首都機能が止まった東京は闇に包まれたも同じだった。インフラも物流も止まり、あり余って破棄される物資がある一方で、飢え死にする者も出た。
東京全体が不安と混乱に包まれていた。経済大国としての地位を譲り渡した後もどこか泰然としていた東京の空気が大きく揺らいでいたのをヤスダはよく覚えている
『あれからなんですよね?東京の治安がこんなに悪くなったのって』
「—」
溜め息でヤスダは答える。
震災後の混乱時、都内で多くの略奪行為や襲撃、強奪が発生し、この新国立劇場を含めた多くの施設が犠牲となった。
世界一安全な都市という称号は過去のものとなり、東京はテロや略奪、暴動の危機に曝される都市となり果てた。
そして追い打ちをかけるように起きた日本国債の
ヤスダは再び窓の外を見る。卑猥な落書きが残された薄汚い幹線道路とその両脇で咲き誇る桜。その桜の木に寄りかかる虚ろな目をした人々こそ、住居も財産も持たない貧困層たちだ。
斜向かいの商業ビルは入り口が砕け黒く焼け焦げている。どこかの誰かが挨拶代わりに爆発物を放り込んだのだろう。通りの先ではアームドスーツを身に着けた同業者がフレームがひしゃげたタイヤ付きの古めかしいオートモーティブを持ち上げている。遠くには摩天楼の一つ「Freedom」の威容。十万人規模の人が住む摩天楼は東京という海に浮かぶ巨大な人工島だ。Freedomの上層階ではシリコンガラスパネルがキラキラと輝いている。太陽光発電セルやディスプレイの役割も担うパネルがふんだんに使われたあの島の建築費用は小さな国の国家予算に匹敵する。そしてそんな摩天楼がこの東京だけで七つもある。
「どうしてこうなったんだか−」
広がる格差と悪化する治安。人口は減り、経済は衰退し、それでも大国の一翼を担おうとする気概は、一国民に過ぎないヤスダの眼から見ても滑稽だ。今日の式典にも多くの国の代表を招いたが軒並み断られたと聞く。参加するのはこんな日本にも援助を求めざるをえない、最貧国だけだ。
今、この国は国民からも他国からも軽んじられている。そんな国の末端を担う自分の境遇に自嘲的な笑みを浮かべて窓に背を向けたとき、地鳴りのような音とともに建物が揺れた。
「なんだ!?地震か?」
あの日の記憶が瞬時にヤスダの脳裏に甦る。非常事態を知らせるアラーム音が響く。
『都庁前広場で爆発が発生。状況確認中。可能な者は直ちに急行せよ繰り返す−』
防弾シャッターが下り、アイグラスに都庁近辺の衛星画像が映し出される。都庁のすぐ脇から一筋の黒煙が上がっている。
『班長。都庁は目と鼻の先です。行きます』
「任せる」
それだけ言って映像を切り替えると、二機の飛蝗が乗員を傍らに乗せて
ヤスダたちに支給されている飛蝗は一世代前の自律型機械だが、それでも機関銃程度ではびくともしない。人命を犠牲にすることの無い自律型機械は公安に限らず政府制圧部隊の主力。迫撃戦闘でテロリスト相手に引けをとることはまずないはずだ。
「状況確認急げ。犯人はおそらくまだ現場近くにいる」
そこで再びピーと甲高い電子音。
『新たな爆発が発生。場所は千代田区日比谷公園一、日比谷公園内。繰り返す—』
「なに!?」
無機質な電子音声が新たな爆破事件の発生を告げる。
電子音は鳴り止まない。
代々木公園、新宿御苑、井の頭公園ー。
−なんだこれはー。
映し出された東京都全域の地図に次々と爆発事件発生を示す光点が増えていく。
東京都大規模連続爆弾テロ。
ヤスダの顔から血の気が引く。ヤスダはすぐに式典の中止要請と、会場警護部隊の捜査への投入を本部に打診した。
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