2-6 出会い(2) ー Fateful encounter .2

 少年は息が尽きるまで走った。

 週末のショッピングモールでは怒号と悲鳴が交錯し、殺到した人たちが階段で将棋倒しになっている。

 大人たちに蹴飛ばされそうになりながら、それでも少年は走り続けた。

 再び轟音が腹に響く。観覧車乗り場から黒い煙が湧き上がる。あそこは眼鏡の少年が向かった場所だ。

−なんでこうなった?

 先生は言った。『人のとっても多いところに、見つからないようにプレゼントを置いてくること』。それともう一つ。『誰かに捕まりそうになったり、困ったことになったらこのボタンを押すこと』。

 先生がくれたボタンをポケットから取り出す。プラスチック製の小さな箱に取り付けられた赤く丸いボタン。

 ボタンを持つ手が震える。大事にポケットにしまうと再び走り出す。

−あのプレゼントの中身はいったいなんだ?

 最悪の予想が少年の脳裏を掠める。僕らはみんな騙されていたのか。独り立ちするためにあそこで教育を受けていたんじゃないのか。

 少年は背負っていたリュックを下ろすと、最後のプレゼントの箱を取り出す。


「こんなもの!」


 プレゼントの箱を投げ捨てようとした右腕を、誰かに掴まれた。怯えた眼をした男。震える手は汗でべたついている。


「何やってるんだお前?なんだよ、それ」


 恐怖に駆られた見知らぬ男は、力任せに少年を殴る。腕を掴まれたまま顔面を殴られ、一瞬、意識が途絶える。殴られる痛みに故郷の叔父を思い出す。

 男はプレゼントの包装を破る。中から姿を現したのは時計仕掛けの複雑な装置。こんなプレゼントをもらって喜ぶ人がいるとは思えない。


「爆弾だ!」


 うわあ、という声が上がり、人が散っていく。陽光を浴びたショッピングモールで、ひびの入ったショーウインドウ越しにクマのぬいぐるみが少年を見下ろしている。


「テロリスト!爆弾魔!」


 どこか遠くから声が聞こえる。

 ショーウインドウに映る自分は無様だった。顔の左半分は大きく腫れあがっている。立ち上がろうにも痛みがひどく身体に力が入らない。

 生まれたときから虐げられてきた。人にたかるしか生きる術がなかった。騙されてこの国に連れてこられた。騙されて人の命を奪う道具として育てられた。そして騙されたまま一生を終えるのだ。

−なんでこうなった。

 どこで何を間違えたのか。何か選択を間違えたのか。いや、それ以前に選択できたのか。


−僕は何のために生まれたんだ。


 立ち上がれないまま眼を上げると、あのプレゼントの箱が落ちている。

 手を伸ばせば届く距離。はがれた包装紙の中で、時計はまだ時を刻んでいる。


−僕はもう、このまま変われない。


 少年はポケットからボタンを取り出す。ボタンに指をかける。


「だめ!」


 短い声とともに弾丸のように飛び掛かってきた誰かに抱きしめられていた。

 飛び掛かられた勢いのままに人気のないショッピングモールの床を二人で転がる。

 気が付くと、呆気にとられている少年の身体の上で、少年より少し年下くらいの少女が、胸に顔を埋めて泣いていた。


「だめ!だめだよ!死んじゃ。生きているんだから生き続けなきゃだめだよ!それに今度は間に合ったんだから!死なないでよ!あなたが死んだら私、バカみたいじゃない」


 少女は泣きじゃくっていた。

 少年は呆気にとられていた。わけがわからなかった。だけど一つだけ確かなことがある。この子は、僕のために、泣いている。

 心が震えた。

 心の固まっていた部分が溶けていく。灰色だった世界に色彩が広がる。


「どいてよ。重いよ。だいたい何で泣いているの?」


 照れ隠しのつもりで口にした言葉は鼻声だった。


「あなただって泣いているじゃない」


 驚いて眼をこする。泣くのはいつ以来だろう。

 少し離れた場所に、取り落としたボタンがあった。ボタンには大きな穴が空いている。弾丸に撃ち抜かれたような大きな穴。これではもう使い物にならない。


「私はソラ。あなたは?」


 立ち上がった少女が差し出した手を握る。少女の手に熱を感じながら少年も立ち上がる。


「−僕、名前がないんだ」

「面白い子ね。じゃあ私が名前をつけてあげる」


−年下のくせに。


 そう言おうとしてやめた。大人っぽく笑うソラを見て、少年も初めて笑った。

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