2-3 夜明け前 ー Before the dawn

−三ヶ月前。


「スタートアップで大切なことはなんだか知っているか?」


 白々とした人工の光に照らされた、旧川崎市内の倉庫の一つ。ナギは広大な倉庫の中で壁の前に立ち、自由の翼の面々に語りかける。


「潤沢な資金」

「心を許せる仲間」


 赤い髪の女、筋肉隆々の男、個性の無いことが個性な男。床に寝そべるもの、気取った姿勢でどこからか調達してきたアーロンチェアに腰掛けるもの、自由の翼の個性的な面々が思い思いの姿勢でナギに声を掛け、ナギは一つ一つの言葉に頷き返す。


「そうだな、どれも重要だ。だけど最も重要なものは、俺はこれだと思う」


 そう言ってナギは倉庫の壁に大きく一つの単語を書く。

 Design。


「そうだ。デザインさ。何だってデザインは重要さ。相手にわかりやすく意図を伝えられるデザインはクールだ。クールなら金も仲間もいくらでも集まるし、好きなだけ調達できる。そうだろ?違うか?」


 倉庫に集う面々はそんなものかな、と顔を見合わせる。


「今、俺たちは東京という街を揺るがす幾つかの計画をデザインした。そのことは知っているな?そしてその計画にスポンサーがついた。おっと、何処の誰かなんて聞くなよ?とんでもない連中−摩天楼の上の方の人間ってことだけは確かだ。俺も連中の末端とコンタクトをとっただけ。正体は決して明かさないだろうし、俺たちが知る必要も無い。必要なことは、俺たちは奴らと契約し、とんでもない金を得た。そして俺たちは計画を実行に移し、さらに食い込んでやるのさ、摩天楼の上の世界にな」


 あちこちで歓喜の声が上がり、場が騒然とする。東京という街を舞台に、テロリズムというビジネスを展開しようとしているアントレプレナーは、仲間たちとひとしきり会話を交わすと、談笑を続けるメンバーたちをおいて倉庫の外に出る。付き従うのは赤い髪の女。


「どうだ?調子は?」

「万事順調。カザミは楽しそうよ。子供たちの教育も終わり。もう少しで火の手が上がり始めるって」


 見上げた空には恐ろしいほどの数の星々の煌めき。摩天楼が聳え立っているとはいえ、都内の電力消費量は震災前に比べて格段に落ち、夜はかつてよりもはるかに暗い。夜空に浮かぶ無数の星々は幻想的で、ナギは宇宙の深淵をじっと見つめる。


「高揚感、みたいなものをあなたも感じるの?」


 赤い髪の女が語りかける。


「感じるさ。当然だろ?いよいよもうすぐ始まるんだ。感じない方がおかしい」

「震災の時もそうだった?」

「あれはつまらない仕事だった」

「東京湾沖で核にも匹敵する威力の爆弾を爆破。地震と津波で甚大な被害は出たし、都内が大混乱に陥った。あの時も、あなたの見たかったものは見れたんじゃないの?」


 震災からは数十年の時が経つ。しかしナギの外見はどう見ても四十代以上には見えない。人体に施された細胞レベルの処置が、ナギの寿命を常人よりも伸ばし、若さを保ち続けている。


「あれは頼まれた仕事だ」


 ナギが、珍しくレイカの知らないことを語る。メンバーの興奮が乗り移ったのかもしれない。


「お前も知っているように、当時のこの国には少子高齢化の波が押し寄せ、働き手として海外から移民が大挙して入国してきていた」

「移民と国内の人間の間でトラブルが絶えなかった、って聞いたことがあるわ」

「トラブルどころじゃない。当時、諸外国は日本の政府中枢の無能ぶりをいいことに、勝手にこの国を自分たちの管理下に置き支配しようとしていた。表向きは日本の首相が政策論議を重ねて国民を主導しているように見せかけ、実権は諸外国が握る。発展途上国と呼ばれる国々の中でも、豊富な資源を持つ国ではよくある話さ。日本には資源こそないが、高い技術力はあるし、東西の境界に位置するという地理的意味合いも大きい。この国を管理下に置きたい、と思う国は当時、いくつもあった」

「−勝手な話ね」


 国民を無視し、富欲しさに国の実権を握る。聞いていて面白い話ではない。少なくとも、自分たちのやり方よりは遥かに卑劣だ。


「当時の首相はILAMSのトップに相談を持ちかけた。当時からILAMSはこの国の技術のトップに位置していたからILAMSの技術力なら何か解決策を生み出せると考えたのかもしれない。これも勝手な話だな。ILAMSのトップは悩んだ末に当時、そいつの側近だった俺に話をした。長い長い話だった。感情的なやり取りもあった。ただ、彼がこの国を愛し、なんとかしたいと考えていることだけははっきりとわかった。だから俺は手を貸し、東京湾沖の海底でILAMSの開発した超高威力の爆弾を炸裂させた。偽装は簡単だった。なにせこの国の中枢の人間の多くが偽装に協力的だったからな。結果として人為的な爆弾の炸裂は巨大地震として扱われ、東京は統治するには地理的リスクが高いと諸外国の首脳に判断された。管理下に置き実権を握ろうとしていた面々は国外に退去し、代わりに震災後の動乱を沈静化するという名目で軍を送り込んで来た。震災では当然ながら多くの死者が出た。俺に決行を依頼した当時のILAMSのトップはしばらくして東京湾に身を投げた。そして俺はILAMSを去った」


 ナギはじっと空を見上げる。


「俺は、自分がしたことの意味を未だに理解できていない。あの震災が無かったら今この国はもっとひどいことになっていたかもしれない。そうじゃないかもしれない。でもそんな話は無意味だ。ただ分かったのは、巨大な力は国の行く末をも変えるし、その巨大な力の前では、人は何も出来ない、ってことだ。だから俺は自分が力を持ち、そのことを示すのさ。この国は俺たちのような人間でも変えられる。混沌も秩序も、思いのままだ、ってな」


 レイカは黙ってナギの背中を見つめる。この男の背には、とてつもなく重いものが乗っている。だからこそ彼の言葉は人を振り向かせるし、魅了する。一方で彼に言葉を届けられる人間はほとんどいない。彼と同じくらい重いものを、多くの人の死を、背負っているものの声しか、彼にはきっと届かない。


「さて、いよいよ始まるな」

「−また多くの犠牲者が出るわ」


 ナギは一つ伸びをすると、レイカを振り返る。


「不思議とな、『これはビジネスだ』って考えると、犠牲者のことなんて気にならなくなるのさ。『やらなければならないこと』だからかな。これも日本人の『仕事』の流儀の一つなのかもしれないな」


 そう言って涼やかに笑うと、ナギは再び喧噪で満たされた倉庫の中へと消えていく。

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