1-10 東京の街で(1) ー On the ground (1)
私の住む東京の街はいつも灰色にくすんでいる。乱立する工場や店、家庭の排水がそのまま川に垂れ流され、それが地下にしみ込み、地下の熱で蒸発しているからだ、ってミオは言っていた。
ミオは物知りだ。東京の街の大部分が地震対策のために土壌強化されているけれど、その強化のされ方が不十分で、だから川の水が地下にしみ込んでしまうこと。地下の熱源は、摩天楼の動力源であり、政府と一部の富裕層の秘密とされているが、原子力発電施設であることなどを語ってくれた。
東京に摩天楼は六つ。その全ての摩天楼と、私たちの住む下層界と呼ばれる領域全て、さらに都内全域に設置されている無線給電システムに電力を供給しているのだから、そうとうな規模の施設があることになる。でもそれがどの程度の規模なのか、私には全く想像できない。
地下に原子力発電施設って、まずくないの?事故になったら大事でしょ?って聞いたら「もう大変なことになっているかもね」ってミオは笑って応えた。四ッ谷の街から何か売れそうなものが無いかって渋谷まで足を伸ばしたときのことだ。
歩いてもさして遠くない距離なのに、渋谷と四ッ谷の街では随分と違う。四ッ谷は自分たちみたいな下層民の住処で、猥雑で活気があってにぎわっている。路上には屋台が溢れ、巡回中の警官や警察の自律型無人機械も頻繁に行き来するけれど誰も気にしない。「ここは俺たち下層民の街だ」そういう意識が街を支配している。
一方で旧渋谷駅前に摩天楼”SkyGarden”を擁する渋谷の街はどこか物々しい。人々は皆下を向き、SkyGardenの影の中を何かから逃れるようにひっそりと歩く。屋台も少なく、街は綺麗だけれど寒々しい。私もミオも、渋谷の街では彼らに倣う。郷に入れば郷に従え、だ。
アジア系の要人たちが多く住む”SkyGarden”は、新興勢力、つまりは成り上がりもの達の摩天楼。「来るもの拒まず去るもの追わず」という開放的な雰囲気は、あくまで同じ富裕層に向けられたものであり、厳然たる階層構造が残るアジアの国々らしく、わたしたち下層民には見向きもしない。
そんな差別を当たり前とする人々が住む摩天楼だからか、"SkyGarden"はテロリストに狙われやすく、この前も上の方で派手な火の手が上がっているのを見た。住人たちは晩餐会の調理が出火の原因、なんて言っているけれど、間違いなくテロリストの仕業だろう。
最近では「自由の翼」って言うしゃれた名前のテロリスト集団が随分と世間を賑わせている。私は興味がないけれど、女友達の間では随分と話題になって、翼のタトゥーを入れた子もいる。摩天楼でテロが起きると、鬱屈した気分が晴れるんだって言ってた。この前、都内のあちこちでテロ騒ぎあって、壮大な煙が上がっていたけど、あれも自由の翼の仕業らしい。警察の自律型機械と警官たちが緊張した面持ちで駆け回っているそばで、女の子たちはきゃあきゃあ歓声を上げていた。バカみたい。テロが起きたら何人もの人が死ぬっていうのに。
ミオと一緒に東京駅の方に足をのばしたことがある。東京駅の近辺は建物という建物が破壊されていて、売れそうなは何も残っていない。みんな瓦礫の下に広がるアンダーグラウンドを住処にしているから、人にもめったに会わない。いるのはテロリストによって無作為に放たれた、人を攻撃するための自律型無人機械ばかり。危険な地域だけど、それでも私たちが東京駅に向かったのはそこにはかつて美しい駅舎と整然とした街並みが広がっていたから。灰色の海の下でも、かつての東京っていう街を想像できるからだ。
「世界は何でこんなことになっちゃったの?」
日本という国の中心にいる。そんな思いが心を大きくしたのか、私は柄にもなくそんなことをミオに聞いてみた。
「なんでだろうねえ」
のんきな答えを返し、ミオは駅前の崩れかけのベンチに腰かけたまま大きく伸びをする。旧東京駅は朽ち果ててもなおかつての美観を損なってはいない。その東京駅越しに珍しく青空が見える。そのさらに向こうには摩天楼CHITOSEの幾何学的なフォルムが見える。
整った顔立ちと褐色の肌を持つミオは、同性の自分から見ても美人だ。今の世の中−昔からそうかもしれないが−美人であることは危険と隣り合わせであるということ。だからミオは普段は背が高くてがっしりとした弟のそばを離れない。私と出かけるときは顔を包帯で覆い、人のいないところでだけ私に素顔を見せる。祖父母の代まで辿れば、私もミオもアジアと欧州と日本に親族がいたことになる。でもそんなの今、日本に住む人間なら当たり前。人口が減り続けたこの国は移民を受け入れることでなんとか成り立ってきたのだから。
「きっと、『寛容』がなかったんだよ」
「寛容?」
「0と1の間には0.5とか、あるじゃない?」
「うん」
話しの流れがよくわからず、私は曖昧に頷く。
「0.5とか0.1とか、0.7とか、そういうのがあってもいい。それが『寛容』。でも0と1しか許さないのが『不寛容』」
「今の人たちは0と1しか許さないってこと?」
「0と1、中と外、上と下、高いと低い。そういうのをきっちり区別するとすっきり整理できるけど、そういう区別にあてはまらないものには居場所がなくなっちゃう。居場所がなくなると、居場所を求めて声を出すようになる」
「『私にも居場所を頂戴』って?」
「そう。『僕たちを見て』って。だから自己主張する。つまり不寛容な人が居場所のない人、報われない人を作って、そうした人たちが自己主張した。その結果が今の世界」
ミオの言うことはなんとなくわかる。繰り返される主張は次第にエスカレートして、極端に走り出す。そしてそこに『正義』って言葉が登場し出したら、もう収拾がつかなくなる。
「前に弟が言ってたけど、あの機械たちが動く原理は、突き詰めれば0と1の組み合わせなんだって。だからあの機械やシステムは不寛容な世界の象徴。曖昧な人間の代わりに現れた機械たちは、はっきりしている分、曖昧な人間の存在を許さない」
「機械も『まあ、いいじゃん』って考えられたら楽なのに。なんか、かわいそうだね」
「ユキコは変なこと言うね」
ミオは笑う。
「ミオだって」
そうして私も笑う。
きっと不寛容な人や機械たちは、不安でいっぱいで、笑えなかったんだろう。そして知らなかったんだ。友達と一緒に思いっきり笑うだけで、何もなくても世界はこんなに明るくなるということを。
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