3-11 正義のヒロイン — Heroine of justice

 四方を強化ガラスに覆われた狭い部屋の中で一人の女性が躍動していた。全身を覆う漆黒の金属は彼女の動きにあわせて自在に変化し、伸縮する。その姿は全身に黒いタイツを纏っているようにも見える。彼女は超人的な速度で部屋を飛び回る。脳からの信号をダイレクトに力に変換する漆黒の金属は、神経伝達速度の限界領域で彼女の力になる。


『素晴らしい。全くずれがない。完全に同期している』


 室内に研究主任の声が響く。脳神経伝達速度と金属の変形のタイミングが完全にフィットしていなければいかに凄まじい力を持っていたとしてもスーツを自分の身体と同様に扱う事は出来ない。一瞬のずれで体勢は崩れ、ぎこちない動きになってしまう。彼女は完璧だ。脳信号と金属変形がここまで完璧に同期している被験体は彼女だけ。遺伝的要因、強固でありながら柔軟な意思、金属スーツの機能、様々な因子が重なった結果だ。


『やってみろ。これで最後だ』


 声と同時に部屋の中央の床が沈み、コンクリート製の巨大なブロックが現れる。


「はい」


 鋭い答えとともに彼女は高々と飛び上がる。優に地上三階を超える高さまで飛び上がると、そのまま宙を蹴り、ブロックに向けて鋭い蹴りを見舞う。


「ヤァッ!」


 甲高い声とともにブロックに蹴りが突き刺さる。三メートル四方はあるコンクリート製のブロックが粉々に砕け散り、立体画像でその様子を見ていたヤスダは思わず顔を手で覆う。砂塵の嵐が止んだ後、ブロックは跡形もなくなり、漆黒の金属を纏った女だけがすくっと立っている。


「とんでもないな、あれは。身体は大丈夫なのか?」

「不思議な感覚なんですよ。服を着ている感覚さえなくて、身体がものすごく軽く、強く感じるんです」

「あの服は脳神経と直接繋がっているんだろ?大丈夫なのか?」

「たいしたことないですよ?首の後ろの箇所に神経センサーがあってー」


 マツカワは楽しそうに語る。『十二人の幽霊』の話がマツカワに降りてきたのはつい先週のこと。抜きん出た実績を持つマツカワが政府直轄の特殊部隊に選抜されたのは当然と言えば当然だ。

 二人は人ごみが溢れる猥雑な表参道の裏通りを歩き、手近なカフェに入る。東南アジア系のウェイターはアイグラスでヤスダの腕のIDタグを読み取り、刑事である事を確認すると二人をオープンテラスに案内する。摩天楼”Skygarden”の威容が間近に見える。建築物というよりも金属製の巨大な山。山の表面には多くの足を持つ自律制御ロボットが蠢き、休みなく補修作業を続けている。もともとは宇宙ステーションの保守用に作られた自律制御ロボットは、今では富裕層の城の改修に使われているわけだ。


「戸籍も全て抹消されたんだろ?よかったのか?」


 『十二人の幽霊』に選ばれた者は戸籍を含むあらゆる過去のデータが抹消され、代わりにダミーのIDが与えられる。生活に不自由は無いが、この国のあらゆるデータベースから消去され、『いない人間=幽霊』となるわけだ。


「もともと私に親類はいませんから。今の部署のまま活動したい、という要望が通っただけでも十分です」


 ヤスダとマツカワは親娘のような関係だ。下層民だったマツカワの両親はろくな職にありつけず、マツカワが幼いときに失踪した。新宿のガード下の段ボールハウスの中で保護された時、マツカワは飢えと栄養失調で死にかけていたという。そんなマツカワが警察官という職に就けたのはIDタグによる適性検査のおかげ。身体能力、頭脳ともに平均を遥かに超え、特に身体能力はオリンピック選手並み。また秩序と正義を重んじる性格的傾向も顕著。警察官にはうってつけの人材だった。周囲は彼女に期待し、彼女はいつもその期待を超える成績を残してきた。


「班長には言いませんでしたっけ?私はずっとアイグラスの向こう、仮想空間で活躍するヒーローみたいになれたら、って思ってたんです」


 そう言ってマツカワは恥ずかしそうに俯く。刃物や銃器を振り回す凶悪犯を何人も取り押さえてきた人間とは思えない愛らしい笑顔。


「子供の頃は『悪』と『正義』ってはっきりしてたじゃないですか。ヒーローと悪の組織、みたいな」


 パフェに舌鼓を打つマツカワは十代の少女のようだ。


「そして大人になるにつれて、『世の中には正義や悪なんてない。あるのは立場の違いだけなんだ』って理解するようになる」

「ああ」

「でも、それって私、嘘だと思うんですよ。多くの人を傷つけたり殺したりしている人が正義を語る。それって立派な悪ですよね。なのにみんな『正義や悪なんて一括りにできない』って言ったりする。嘘っぱちですよ」


 同意したものかどうか、ヤスダは考えあぐねる。


「みんな、諦めているだけなんですよ。富裕層の上層部とか、テロリストの薙澤零司とかって、悪いことやってるけどとても大きな力を持っているし、自分たちには関係ないし。だからみんな距離をとって、正義とか悪とか考えないようにして、やり過ごしてるだけ」


 マツカワは怒ったようにパフェを頬張る。


「みんなずるいんです。私も含めて、ね」


 ヤスダはマツカワの言いたいことがわかってきて、怖くなる。


「おい、無茶はするなよ」


 ”Skygarden”の影が二人の頭上に落ちる。希望の城のシルエットは巨大で、昼過ぎなのにこの辺りはもう薄暗い。日陰の時間の長い摩天楼の近くは治安も悪い。


「私はね、ヒーローになりたかったんです。あ、私、女だからヒロインか」


 ヤスダは頬にクリームをつけた部下の顔をまじまじと見つめる。少女のようなマツカワは、何でもできそうな顔をしている。


「くれぐれも無茶するなよ」


 ヤスダは繰り返す。


「ヤスダさんこそ無茶しないでくださいよ。年なんだから」

「わかってるよ」


 コーヒーを飲み干したヤスダにマツカワは笑顔を向ける。


「最初はテロの撲滅が目的なんですって。テロの犠牲者はいつでも一般市民だからヒーローっぽい仕事ですよね。あ、ヒロインか。私、頑張ります」

「—健闘を祈っている。が、くどいようだが、くれぐれも無理するなよ」


 これ以上言っても無駄、と理解すると、ヤスダは激励を残して席を立つ。


「ヤスダさん、私、ヒロインになれそうですか?」


 席を立ったところでマツカワは問いかける。光の加減でマツカワの居る所だけ、光がさす。


「ああ、なれるさ。でもな、ヒロインって普通はもっとおしとやかなもんだぞ?」

「知らないんですか?それって女性への偏見です。それに私はそんなヒロインにはなりたくないです」


 マツカワはにこにこ笑い、手を振ってヤスダを見送る。

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