4-23 仲間 — Comrades in arms
「機械たちの動きが鈍り出している。暴走していた自律型無人機械にもワクチンプログラムが効果を発揮し始めたそうだ。お前の部下がヴィルタールを始末したおかげだな。もう少しだ」
先を行く沢木のアイグラスには
「首相たちも無事だ。ここからCHITOSEの最上階まで、既に安全は確保されている。行こう」
沢木の後について、マカロワはガラス張りの壁に囲まれた階段を上る。夜の帳が下りかけている東京都内のあちこちから灰色の煙が上がり、ところどころでオレンジ色の炎がチラチラと揺れている。自律型無人機械が無機質な身体を滑らかに動かし、壁や屋上から人々が思い思いの武器で応戦している。ここから見ると機械も人もごま粒のようで、全てが滑稽な人形劇のようだ。きっとこれが本当なのだ。悲劇を悲劇と捉えるのはその当事者と周囲の人間だけ。少し距離を置けば他人事となり、さらに距離を置けば本質を失った別の物語としてどこかで誰かに伝えられていく。
階段を上りきり、最上層、MIKOTOを構成する量子コンピューター群へのアクセスルームの前に立つ。静脈認証と網膜認証、それに顔認証までクリアしてようやく部屋の中に入る。ガラス張りのピラミッドの頂点。その中心には巨大な円筒形の柱。柱の中心には黒いモノリスのようなMIKOTOの外部端末。端末の周囲は冷却用の水で満たされていて、地下五百メートルのMIKOTOの本体まで伸びている。日本の経済、政治、外交を司るまさに
『ようこそ沢木様』
機械音声に二人が振り返ると、親しみを込めた機械音声とともに、円筒形の胴体に丸い笑顔を乗せた一機の案内ロボット、”ちとせん”が動き出す。MIKOTOへの接続アシスト用の端末なのだろう、ちとせんは愛らしい顔を浮かべて二人に近付く。咄嗟に沢木は身構える。
「大丈夫よ。この部屋は壁も天井もすべて対電子保護材により覆われている。外部から完全に遮断されているからネットワークの干渉は受けない。つまりこの機体はハッキングの影響を受けていないわ」
国家の最重要施設であるMIKOTOへのアクセスルームはあらゆる外敵要因を排除するように作られている。万が一にもテロリストに占拠されるようなことがあってはならないからだ。
『いま、まで、は、な』
ちとせんの口から漏れ出た電子音声にマカロワは凍り付く。聞く者の注意を惹かずにはおかない声。何度もその声の持ち主と議論を戦わせたことを、マカロワは瞬時に思い出す。
「零司!?なぜあなたが—」
「マカロワ、君だ、君のアイグラスだ!」
沢木の声に、マカロワは自分のアイグラスを投げ捨てる。アイグラスの前面から赤い光が”ちとせん”の額の受光部に走る。駆け寄る沢木に”ちとせん”の身体から青白い稲光が走る。暴徒の動きを止めるためのスタンガンに沢木は倒れ臥し、身体を痙攣させる。
「創—!」
沢木に駆け寄るマカロワを尻目に、ちとせんは沢木が起動したMIKOTOのホログラフィックコンソールを操作し出す。部屋中央の柱、その内部の黒いモノリスが輝き出し、冷却水の流れが激しくなる。MIKOTOの本体がスタンバイモードから目覚めようとしている。
“ちとせん”の目が赤く輝き、部屋中央の柱がその光を受けて同じように赤く輝き出す。
ラプラスが、薙澤零司の思いが、MIKOTOに移っていく。世の中のすべてを魅了し、破壊し、その混沌と秩序の境界線を見極めようとした男の思いが。
赤い光は、柱の表面を下へと走る。そしてそれと同時にCHITOSEが大きく揺れ始める。
「なにを…」
「マカロワ、私のアイグラスを使え。君にも私と同じ権限を付与する。急げ!」
身体の痺れのせいで立ち上がることの出来ない沢木は、瞬きと眼球の動きだけでアイグラスを操作し、マカロワに管理者権限を付与する。
「なによこれ…」
沢木のアイグラスを着けたマカロワは事態が想像以上に悪いことを知る。
「原発が、制御不能になっているじゃない!」
東京の地下深度施設に設置された複数の原子力発電施設。東京都内に聳える六つの摩天楼と下層民たちの生活を支え、無線給電システムによりアイグラスやアームドスーツ、自律型無人機械を稼働させてきたその原子力発電施設を制御するMIKOTOが、ラプラスに浸食され、暴走している。原子力発電施設には万が一の事態に備えて、いくつものフェールセーフ機構が準備されている。しかしそれらも高々度AIであるMIKOTOの前では無力。制御を失った原発が暴走するのは時間の問題だ。
沢木はかっと目を見開き、マカロワはぺたんと尻餅をついて我を失う。
地下深度施設にある原発は優に二十基を超える。それらが一斉に暴走したら、東京は壊滅。被害は日本だけに留まらず、世界規模の大災害となるだろう。
「—もう東京は—いえ、この国は終わりだわ」
マカロワは虚空を睨みそう口にする。MIKOTOを止める術はどこにもない。唯一の手段は、MIKOTOを破壊することだ。しかし分厚い岩盤の下、無人の大深度施設にあるMIKOTOを破壊することなどできるはずもない。
『まだだ』
すぐ目前に迫ったリアルな死の恐怖に全身から力が抜け、血の気が引き始めたマカロワにインカムから声が入る。ユウジ。しかしその声は他人を元気づけるにはほど遠い。疲労の色が濃く滲んでいる。
『俺がなんとかする』
「何を言っているの?あなたはもう、ぼろぼろでしょ?」
『私も手伝う』
『僕もだ。マカロワさんさえ諦めなければ大丈夫だ』
『私たちのこともお忘れではないですよね?所長。最後まで一緒です。指示を出してください』
ソラにトワ。ラボの部下たちの声。インカムからはあの島で、祈りの塔で、同じ時を過ごした仲間たちの声が聞こえてくる。マカロワの目からは不意に熱いものが流れる。これだ。これこそ、私たちが持っていて、薙澤零司が遂に手に入れられなかったもの。信頼で繋がっている仲間。
「バカだな、私は」
研究に身を捧げ、仲間なんて必要ないと突っ走ってきたはずなのに、いつの間にか背中を押してくれる人がこんなにできていた。
起き上がった沢木がマカロワの肩を叩き頷く。そうだ。私たちには時間がない。マカロワはアイグラスをスキャンすると、プレミアムラインの特性を最大限に生かし、情報を収集し出す。MIKOTOへの直接アクセスは現時点では不可能だ。しかし国の最重要施設であるMIKOTOには、不慮の事態に備えて必ず何らかの仕組みが用意されているはず。マカロワは国家最高機密レベルの文書を漁り、MIKOTOへのアクセスポイントを探す。
—あった。これは使える。
時間にして二分。数百ページのマニュアルを読み終えたマカロワはいつもの表情に戻り、指示を出し始める。
「すぐにMIKOTOへの外部からの侵入経路を確保!いまから指示するポートからの侵入を試みて!それと状況の確認!急いで!」
マカロワの目に炎が灯る。天才の頭脳が動き出す。手足となる研究員たちと密に連携のとれたマカロワは水を得た魚だ。思う存分に指揮を出し始める。
『駄目です!MIKOTOの全てのポートが外部からのコンタクトを拒否!』
『MIKOTOの内部状況を確認!ラプラスと思しきウィルスがメインCPUとメインメモリを掌握!サブCPUがワクチンプログラムを送り込んでいますが、ラプラスの猛威を止められていません!』
『CPU中枢にラプラスの変異体の存在を確認!原発制御システムへの介入などラプラスへの指示全般をこの変異体が担っている模様』
—ナギだ。
マカロワは理解する。ラプラスの変異体。「複製」、「送付」、「書き換え」の三つの機能しか持たないはずのラプラスが、意志を持った存在へと進化した姿。こいつが本丸。ナギだ。こいつは複製できない。いや、できたとしてもプライドの高いナギが自分の複製など作るはずが無い。ということはこいつーナギが存在し、支配下に置いているメインCPUとメインメモリーを破壊すれば、全ては終わるはずだ。破壊するーそのためには、まず大深度地下施設からMIKOTOを取り出さなければ。
「MIKOTOをパージする!パージ信号を送れ!」
『MIKOTO、パージ信号を拒否!』
マカロワは頭を覆う。ナギは完全にマカロワの考えを読み、常にその一手先を行く。そして一手先からマカロワのことを振り返り笑うのだ。「お前の考えることなどお見通しだ」と。ナギの薄ら笑いが脳裏に浮かび、マカロワの目に涙が浮かぶ。結局、自分はナギに勝てないのか—。
『まだだ!信号を拒否するなら、物理的に切り離せばいい!パージのための爆破装置は!?』
トワの言葉にマカロワは前を向く。そうだ。まだだ。自分は一人じゃない。一人で全てを支配していたナギとは違う。
「よく言った、トワ!パージ装置はMIKOTOの地下制御施設、大深度地下施設の直上だ!」
『それは—』
マニュアルの座標を地図に重ねたマカロワとトワは同時に絶句する。なぜこんなところに制御施設を作った。これではアクセスできない。これも全て、ナギの計画のうちなのか—。
マカロワとトワのアイグラスには、東京アンダーグラウンドの最下層で赤く光るマーカーが輝いていた。
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