4-10 Phantom Oneの最期 — The last battle of Zycos

「ええい、しつこい!」


 Zycosの光学兵器はYipsilonの身体を捉えられない。高速でボールのように飛び跳ねるYipsilonはZycosの周囲を縦横無尽に飛び回り、一撃を加えては離脱、を繰り返す。

 距離を取ろうとすれば肉薄され、距離を詰めようとすれば引き離される。高空へ逃げようとすれば、スラスターに出力を回した瞬間に連撃を受ける。

—よく考えている。

 カザミは激高しながらも冷静な頭の片隅で驚嘆する。

 スラスタに出力を回す一瞬だけ光学兵器が使用不可能になる点、背面直下の、モニターが映し出せないわずかなZycosの死角、打撃を受け流す丸みを帯びたデザインのZycosに、ダメージを与えられるポイントと角度。どれもZycosの数少ない弱みだ。戦闘前に相当なシミュレーションを行ったのだろう。


「それなら!」


 カザミは手近なビルの一フロアを光学兵器で掃射する。轟音とともにフロアが爆散し、滝のような砂埃とともにビルが崩壊する。カザミは素早く砂埃の中に入ると高速で飛行しYipsilonと距離をとる。近接戦闘しか攻撃手段を持たないYipsilonは、距離をとればZycosの敵ではない。Zycosは素早く方向を転換すると、砂埃でZycosを見失ったYipsilon目掛けて両の手から弾丸を斉射する。爆煙で拡散して威力が下がってしまうため光学兵器は使えないが、それでも両の手の平から撃ち出される重機関銃用の銃弾は、あたれば人の身体など一発で吹き飛ぶ威力だ。


「はははは!死ね死ね!」


 Zycosが手の平を向けた箇所にあるものはことごとく吹き飛ぶ。ビルの壁面には幾つもの穴が穿たれ、住民は恐怖に怯えながら身を潜める。運悪く身体を吹き飛ばされた者たちの鮮血が爆煙に色を添える。


「止めろ!」


Yipsilonが崩れかけたビルの壁面を足場にしてZycosに飛びかかる。


「そこか!」


 銃口が突きつけられるよりも一瞬速くZycosの指を握ると、その握った指を視点に前転して踵をZycosの頭に叩き付ける。鈍い音とともに頭部がわずかにへこみ、Zycosの頭部搭載カメラが機能を失う。すぐに予備のカメラが起動するが、マカロワの言う通りなら視界は八十パーセントまでしか回復しないはずだ。YipsilonはZycosの胸部を蹴るとそのまま離脱して爆煙の裏側に姿を消す。

「鬱陶しい!」

 消えたYipsilonの影を追ってZycosからロケット弾が撃ち込まれ、ビルの一フロアが崩落する。トワは全身汗だくになりながら転がるようにして崩落していく瓦礫の間を跳び回り、次の攻撃機会をうかがう。

 幹線道路沿いの街路樹を一蹴りして小汚い裏通りに転がり込む。街路樹はZycosの光学兵器に炙られて消し炭と化した。トワはマカロワの言葉を思い出しながら裏通りを疾走する。


「Yipsilonは最高の機体の一つだ。性質は全く異なるが、Zycosにも引けを取らないと私は確信している」


 最初にマカロワにYipsilonの説明を受けた時、トワは冗談かと思った。これまでトワが乗ったアームドスーツは、七、八メートルの高さはあった。しかし研究所の地下でマカロワがトワに見せた機体は、三メートルほどしか無い。手足の先も、頭部も、操縦者が乗り込むボディも丸い。腕と脚、首が細長く、いくつかの球体をバネで繋いだような姿。衝撃を吸収するための仕組なので、トワの印象はあながちはずれでもない。頭部にはスマイルマーク。まるで子供のおもちゃだ。

 しかしその性能、特に運動性能は他のアームドスーツの追随を許さない。全身に取り付けられた可変アクチュエーターが柔軟かつ敏捷な動きを可能にする。例えるならそれは全身がバネの人形と同じだ。全てのアクチュエーターに溜めた力を解放したとき、その破壊力は他のどのアームドスーツをも上回る。たとえZycosの装甲であってもその一撃には耐えられない。


「Yipsilonは高性能だが、その性能を最大限に引き出すためには一つ条件がある」


 そう言ってマカロワはトワを見下ろす。トワは真っ向からマカロワの視線を見返す。ソラのためならできることはなんだってやる。覚悟はもうとっくに出来ている。


「なんだよ。言えよ」

「この機体は乗り手に大きく依存する。簡単に言えば乗り手への負荷が他の機体よりも遥かに高いんだ。乗り手がそれに耐えられること。それが条件だ。逆に乗り手が優秀ならばこの機体は無敵だ」

「Zycosにも勝てる?」

「お前がこの上なく優秀であれば。つまりは死ぬほどの苦痛に耐えた上で、私の戦略を全てその頭に叩き込み、実行に移すことができたならな」

「おやすい御用だ」


 実際のところは『おやすい御用』どころではなかった。最初にシミュレーターに乗ったとき、トワは三分ももたなかった。Yipsilonの動きに身体がついていけず、一分で筋肉が悲鳴を上げ、二分で嘔吐し、三分で気を失った。全身にアクチュエーターを持つYipsilonは凄まじい運動性能を持つが、生身の身体ではその性能についていけない。Yipsilonの機体にも他の機体と同じように加速度キャンセラーは搭載されいているが、それでも大きすぎるGに身体が耐えられないのだ。

 そこからトワの特訓の日々が始まった。身体トレーニングとシミュレーターによる特訓の日々。Yipsilonの微調整にZycosの行動パターンと攻撃ポイントの徹底的な分析。しかしトワは嬉々としてその特訓に取り組んだ。


「運動能力だけじゃないぞ?おつむの方も徹底的に鍛えなきゃな」


 動きが速くなるということは、状況認識と判断の速度も上げる必要があるということだ。数秒で数百メートルを移動できる機体では、次にどこに動くか、そこでどのような行動をとるべきか、瞬間瞬間で判断する必要がある。トワは状況判断能力も徹底的に強化した。もともとが生きるために必要なそれらの能力は、その日その日を生き抜くのに精一杯だったトワには当たり前に備わっている能力だ。トワはマカロワを驚かせるほどの数値をたたき出した。


「お前はアームドスーツに乗るために生まれてきたのかもしれないな」


 Yipsilonを完璧に乗りこなせるようになったある日のマカロワの言葉に、トワは複雑な心境だった。自分はただ生きて大切な存在を守りたいだけ。アームドスーツはそのための手段であって、目的ではない。


「失礼、姫を守るためだったな」


 続くマカロワの言葉にトワはようやく笑うことが出来た。そうだ。自分はそのためだけに生きることにしたのだ。


 裏通りを疾走するYipsilonは、動きを相手に読ませないように急激な方向転換を繰り返す。その度に急激なGがかかり、トワの身体は悲鳴を上げる。

 両足のスラスタを噴かしてZycosが低空を疾走する。路肩のバラックやテントは焼き払われ、重機関銃の轟音が辺りに響く。逃げ惑う下層民がZycosを避けて地下街への入り口に逃れていく。


「やろう!どこ行きやがった!」


 カザミの声がスピーカーを通じて辺りに響く。背丈の低い仮設住宅やバラックが密集するスラム街。小型のYipsilonにとっては姿を隠しやすい場所だ。


「出て来ないなら、薙ぎ払うだけだ!」


 胸部の光学兵器にエネルギーを集中させる。あたりを薙ぎ払えば、嫌でもあの小さな機体は姿を現す。


『カザミ、落ち着け!』

「うるさい!黙れ!」


 ナギの言葉もカザミには届かない。血走った眼で周囲を見渡す。逃げまどう人々が眼に映る。蟻の群れと同じだ。水をかけるように、光学兵器で薙ぎ払ってやる。


「死ね死ね死ね!」


 絶叫とともにエネルギーを解放しようとしたときだった。

 Zycosの真下、アスファルトを突き破って現れたYipsilonが強烈な拳をZycosの顎に叩き付ける。全身のアクチュエーターを最大活用した渾身のアッパーカット。強化装甲をまとった幽霊でさえも粉微塵に砕く一撃。

 しかしその一撃をZycosは身を捻ってかわす。拳が掠めた胸の光学兵器射出口と鼻先が抉れ、溢れたエネルギーが閃光を描いて宙に消える。


「甘ぇよ!」


 カザミの顔がヒステリックに歪む。宙に浮いたがら空きのYipsilonのボディに、Zycosは拳を叩き付ける。吹き飛ぶYipsilon。しかし致命傷にはなっていない。Zycosの拳がボディにあたる一瞬、拳に身体をあずけることで、Yipsilonはその威力を殺している。


「逃がすかよ!」


 宙を吹き飛ぶYipsilon目掛けてZycosはスラスタを全開にして追いすがる。空を駆ける流線型のボディは日の光を浴びて虹色に煌く。対光学兵器用拡散装甲。レーザーやビームのような光学兵器を無効化する装甲は、光を散乱させるため見る角度によってその色を変える。

 美しい機体。ナギに与えられた芸術品のようなボディのアームドスーツを、カザミは一目見て気に入った。殺戮と破壊の天使。軍隊や都市でさえも吹き飛ばす凄まじい火力を持つ死神。そうとも。あんなおもちゃのようなアームドスーツなど、私の相手ではない—。

 宙を鞠のように吹き飛ぶYipsilonに追いすがり、両の手の平の重機関銃の銃口をその機体に向け、引き金を引いた時だった。


 何の前触れもなくZycosの両手が吹き飛んだ。


「な・・・!?」


 何が起きたのか理解できずにカザミは混乱する。状況を確認しなければ、と焦るカザミをあざ笑うかのようにコクピットの三百六十度モニターの映像が次々と消えていく。Zycosの環境モニタリング機能がその機能を失いつつあるのだ。

 最後に残ったモニターに映し出された映像で、カザミは全てを理解する。

 かつて威容を誇っていた天まで届く塔。折れ曲がったその無残な残骸が空を切り裂いて洋上に伸びている。祈りの塔の残骸を映し出すモニターが最後まで残ったのは偶然ではない。


「おまえ!おまえなのか!」


 大鴉の名前を持つ漆黒の狙撃銃から放たれた弾丸は、狙い過たずZycosの首の付け根の最後のカメラを撃ち抜く。

 目を失ったカザミはもがきながら装甲の表面温度を急上昇させることで狙撃から身を守る。そのまま目視モードに切り替え、胸部コクピットの対光学兵器拡散装甲を解き目視で外界の様子を確認する。

 しかしそこに映ったのは混沌とした東京の街並みではない。

 視界一杯に広がる、煤けたスマイルマーク。

 拳を振りかぶったYipsilonの勇姿だ。


「落ちろよ」


 Yipsilonのコクピットに座る少年と眼が合う。上半身裸の少年の身体は痣だらけで、こけた頬の中で眼だけが熱くぎらぎらと輝いている。Zycosを落とすために他の全てを捨ててきたのだろう。

 覚悟と決意に満ちた顔。

 機体の差ではない。

 信念と決意の差だ。

 数百個のアクチュエーターが力を解放し、数十トンもの威力の拳がZycosのコクピットに突き刺さる。ひしゃげたコクピットの中でカザミが最後に見たのは、自分の身体を捻じ曲げる強大な金属の拳。そしてそれがPhantom Oneと称された至高の兵器が粉砕された瞬間だった。

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