Tokyo 21XX — 塔の上の住人たち

日出 隆

Prologue 出会い ー Fateful encounter

P-1 嵐 ー Storm

 雨が叩き付けるように降っていた。

 灰色の雲が低く垂れ込め、横殴りの雨が頬を叩く。漆黒の海は激しく揺れ、波がゴムボートを大きく揺らす。

 黒いゴムボートには十五人ほどが乗っていた。皆一様に黒い耐水性の外套に身を包み、頭を同じく黒いフードで覆っている。外套とフードにはボートと同じように電磁波を吸収する塗料が塗られている。この天候の下であれば、最新鋭無人機のレーダーでも欺けるはず、とはコーディネーターである銀髪の青年の言葉だ。

 震災後、津波に押し流され復興予算がつかずに廃棄された沿岸部に灯りは少ない。沿岸部の一画、津波にさらわれた品川の倉庫跡地からボートに乗り込み、波に身をゆだねて三十分。あと十分足らずで約束の海域だ。寒さに身を震わせながら誰もが沖を無言で見つめる。剥き出しの鉄骨と大量の土砂が溜まった倉庫跡地には先に旅立った者たちからのメッセージがそこかしこに刻まれていた。その一つ一つがボートに乗る者たちの心を今も奮わせる。

 摩天楼の上層に住む特権階級−富裕層と違い、一般市民にはこの国の外に合法的に出る手段は残されていない。衰退しつつあるこの国は鎖国時代に逆戻りしたかのようにそこに住む人々を内側に閉じ込める。生まれてから死ぬまで管理され、一つの失敗さえも許されない環境で生きることを否とするならば、言葉を刻んだ先人たちのように、法を犯し、危険を冒してでも旅立つしかない。


「なんだ?あれ」


 ボートの上で一人の男が沖を指差す。暴風雨の中でもインカムは男のささやき声を正確に伝える。

 男の指の先には小さな島と、その島から聳え立つ巨大な建造物の影があった。建造物の先端は分厚い雲の中に消え、都心に聳えるどの摩天楼よりも高い。それはバベルの塔というよりも天から打ち込まれた杭だ。


「お前、東京は初めてか?あれが”祈りの塔”だ」


 祈りの塔は「震災」−東京大震災の慰霊碑だ。

 大きな揺れの直後に東京湾を襲った津波の規模は、それまで幾度となく繰り返されてきたシミュレーションの予想規模を遥かに上回り、多くの犠牲者を出した。

 犠牲者の多くは湾岸部に粗末な仮住まいを建てて暮らしていたアジアや中東、アフリカからの移民だった。地震や津波を経験したことのない彼らの多くは、遥か視界の果てまで引いていく潮を前に足を止めて神に祈ることしかできず、その数分後に沿岸を襲った津波に沖合いへと攫われていった。

 そんな彼らの魂が天に届くようにと、東京湾沖合いの人工島に建てられたのが祈りの塔。一千メートルを越え、日本で最高の建築物としたのは、諸国への配慮が理由と聞く。犠牲者たちの祖国では日本という国への怒りと恐怖が根強く残り、震災以来、日本への移民の数は大きく減少したままだ。

 横殴りの雨の中でも天高く聳える塔の黒い影は見る者に威圧感を与え、ボートの上で誰もが無言でその陰を見上げる。灰色の低く垂れこめた雲を背景に聳え立つその威容は、見る者に禍々しさを与えずにはいられない。


「あ」


 その時、ボートの上で小さな声が上がった。まだ年端もいかない少女の声。激しい雨と波の中、インカムをつけていない少女の声を聞いたのは父親だけだった。


「どうした?」

「いま、あそこで何か光った」

「なに?」

「ほら、また」


 父親は、娘が指す方角を優しい表情で見上げる。


「なにも見えないぞ?見間違いじゃないのか?」

「ううん。見えたよ、本当だってば!紫色の綺麗な光だよ!」


 少女が指し示したのは雲の中、祈りの塔の先端がある場所。周囲の大人たちも少女の指の先を見上げるが、そこにあるのは低く垂れ込めた雲だけ。吹きつける雨と波飛沫に、みな顔を背ける。


「見間違いだって・・・」

「おい、黙れ!ドローンだ!伏せろ!」


 インカムに響く鋭い声に、皆の表情が一変する。少女は抱き締められたまま、父親の身体の下に押し込められる。

 曇天の空から現れたのは四つのローターを持つ無人機ドローン。大きさは小型の磁気浮上車ホバーほど。円盤状の本体の正面には小さな銃が取り付けられている。横殴りの雨の中、ドローンは風に流される事もなく着実にボートの方に近付いてくる。

 ボートの上では誰もが黒い外套とフードの下に身を隠し、身動き一つしない。

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