3-2 青い島 ー "Blue Island"

 摩天楼の上層部。オープンテラス式のパーティー会場でナギはワイングラスを片手に天然サーモンのカルパッチョに舌鼓を打ちながら下界を見下ろす。白く煙った下層界では決して味わうことのできない料理。


 夢の島の再開発地域に聳え立つ摩天楼、"Blue Island”の最上層部からは都内全域がかすんで見える。空中都市をテーマとしたパーティー会場は広大な庭園の三階層分にもわたり、そのいたるとことでワインや軽食が振る舞われている。空を渡る風は心地よく、日差しも穏やかだ。階下では会場のあちこちに咲く花々を愛でながら人々が談笑している。


 都内に聳え立つ摩天楼はEsperanza、CHITOSE、BlueIsland、SkyGarden、Freedom、Elysiumの六つ。中でも夢の島地区に建設されたBlueIslandはその名前の通り、外見は完全に「島」だ。人工コンクリートとの絶壁が外壁を覆い、霧の海ー東京に浮かぶ島を演出している。最上層は階段状で、あちこちに様々な植生の草花が茂っていて、空から見ればその名前の通り白い霧の海に浮かぶ青い島に見えることだろう。島の内部には豪奢な空間が広がっている。住むのは欧米の大使館職員など海外政府の要人。有事の際にはすぐに海外に退去できるようにと羽田空港への便を考慮してこの地域に建設された。欧米資本が多く入っていて、立ち入りには厳格だ。資格の無い者は決して立ち入ることを許されない。


「東京という絶海に浮かぶ、青い島からの景色はお気に召したかしら?」


 ドレス姿の若い女がナギに並ぶ。神崎洋子という名前は知っているが、おそらく偽名。重要なことは彼女が政財界に顔が利き、様々なパイプを持っているということ。ナギの"ビジネス"に興味を持つ人間は上層部にはゴマンといる。


「満喫している。そちらは忙しそうだな」

「まるで他人事ね?財閥系企業の幹部に新興の情報系ベンチャーのCEO、外務省の高官までみんなあなたの"ビジネス"に興味を持っているわ。いざという時のために力は持っておきたいけど、自らの手は汚したくない。そんな連中にとってあなたは魅力的な駒よ」

「駒、か」


 ナギは薄く笑う。


「勘違いしないでね?一介のテロリストに過ぎないあなたがここに居られるのは、彼らが見逃しているからよ。彼らがその気になれば、あなたの組織なんて一週間も持たずに壊滅するわ」

「わかっている」

「そうかしら?この前のSkyGardenでの事件は彼らも注目しているわ」


 これまでもテロのターゲットの選定には十分すぎるほどに気を使っている。既得権益層の利益を損ねることは決してしてはならない。警察や政府よりもはるかに強い力を彼らは持っている。


「どうする?選択肢はあなたが持っているわ。私としては仲介料が高い方が魅力的だけど」


 ナギは目を上げる。超巨大建造物である摩天楼は、東京という海の上に浮かぶ島だ。そして巨大な高層都市群を抱える摩天楼の中に、ひときわ高い塔が天へと延びる。この国で最も高い建造物"祈りの塔"。

 そこはナギが長い時間を過ごした場所だが、もはやなんの感慨もない。ナギは洋子にビジネスの笑みを返す。


「米国企業のダミー会社はないか?米国政府に圧力をかけられる規模の企業が望ましい。仲介料が不足なら私が払う」

「危ない橋を渡るのね。日本の既得権益層の中には米国企業を快く思わない人間も多い。国の利益を外国に還元するとは何事だ、ってね。そんな連中にばれたら命の保証もないわ」

「できないのか?」


 ナギの言葉に洋子はにっこりと笑う。


「一社、心当たりがある。ただし彼らは素性をあなたに知らせることを拒んでいる。まあ当然よね?」

「君が代理人を務めればいい。全面的に信頼する」

「交渉成立。お互いが利益を享受できる関係である限りは、ってことでOKよね?」

「当然。ビジネスとはそういうものだ」


 ナギに軽くキスをすると洋子はささやく。


「彼らの目当てはZycosの図面と仕様書。あなたたちが実戦レベルまで仕上げた最高性能のアームドスーツを量産することで軍事的優位を確立したい」

「問題はない」

「ずいぶんと気前がいいのね。あなたが送ったZycosの映像を見た時、国務長官は絶叫したそうよ。これで世界が変わるって。あれを使えば地上で最強の軍隊を組織することも可能」

「あれは手段であって目的ではない。大切なのは目的だ。目的を達成するための手段は幾通りもある」

「Zycosのような切り札がいくつもあるっていうわけ?目的っていうのにも興味があるけどそちらの話しの方が面白そう」

「取引だろう?今度はこちらからの要求だ。米国政府を動かして諸外国から日本政府への圧力を強めてほしい。関税のさらなる撤廃、外国人の優遇、国連からの支出金の引き下げ、何でも構わない。無理難題を突き付けて政府を揺さぶれ」

「おそらくそれは可能だけど—そんなことをしてあなたになんの得があるの?」


 ナギは誰をも引き付けずにおかない笑みを浮かべる。


「洋子、君は楽しいことは好きか?」


「え?」

「俺は今のこの国での暮らしが退屈で仕方がない。死ぬのを淡々と待ち続けているような今の暮らしがね。だから徹底的にこの国を追い込んでみたいんだ。その時何が起きるのか。それを見てみたい」

「—追い込まれて最初に音を上げるのはいつも一般市民よ。暴動が起きるわ。そして多くの人が死ぬ」

「知らないのか?歴史の境目では必ず多くの人が死ぬんだ。文明の発展と科学技術の進歩と共に、その頻度こそ下がるが死者の数は爆発的に増えていく。そしてその無数の屍の上にしか新しい世界は築かれない。俺はこの国がその過程を辿っていくところを見たいんだ。当事者としてね」

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