P-3 虐殺 ー The massacre
背丈ほどもある波に翻弄されながら、ボートの上では誰もが身を伏せ、身を寄せ合っていた。無人機は時折り強い風に煽られながらも着実にボートの方に近付いてくる。高度なセンシング技術とAIを組み合わせた自律制御型無人機は、運用データをクラウド上で共有する事で圧倒的な速度で経験の蓄積と学習を繰り返し、今ではいかなる悪天候でも運用に支障を来さない。
無人機下部のサーチライトが暗い海を照らす。前面には小型の機銃。本体側面では一対の眼のようなブルーライトがちかちかと点滅する。ゆっくりと周辺海域を探索しながら飛行するその姿は臭いを嗅ぎまわりながら獲物を求める猟犬を連想させる。
—ん。
少女は父親の身体の下で短く息を吐いた。折り重なった大人たちの身体の隙間から眼を凝らす。誰も動かない。聞こえるのは雨と波の音、それに無人機の羽の音だけ。何か恐ろしいことが起きようとしている。父親の手で口を塞がれ声も出せない。少女は身体から力を抜いて、ただひたすらに時が過ぎるのを待った。
無人機はボートに気付くことなく、やってきた時と同じように、風に煽られながら遠ざかり、やがて視界から消えていった。
空気が緩み、緊張が解けて身を起こす。ボートの上が安堵の空気に包まれたそのときだった。
ドン、という衝撃音とともにボートの上から男が一人、吹き飛んだ。
男はそのまま波に攫われ、あっという間に見えなくなる。
「光学迷彩だ!」
タタタン、と軽い音が連続したと思うと声を上げた男の身体にいくつも穴が開き、血溜まりの中に突っ伏す。ボートに穴が開き、空気の漏れる音があちこちから聞こえ始める。
周囲の環境と同化していた新手の無人機が迷彩を解いて銃弾を撒き散らしはじめる。怒号と悲鳴。銃弾に撃ちぬかれる者、海に飛び込み波に攫われる者。誰もが恐怖の表情を顔に浮かべたまま事切れていく。
少女は冷たくなっていく父親の身体の下で、眼を閉じてただひたすらに時が過ぎるのを待った。父親の身体から流れ出る生温かい血がボートに流れ込む海水と混ざり、少女の身体を濡らしていく。
抜け殻となった父親の身体の下で、今なお彼女を抱き締めるその手を噛み、ひたすらに少女は耐えた。
いつしか周囲の音が止み、それからさらに百を数えてから少女は父親の骸の下から身体を引きずり出した。
少女の周囲には幾つもの死体が転がっていた。
ボートは沈みかけて膝まで水に浸かっている。荒れた海を見回し、叫び出したい衝動をこらえる。
ついこの前まで家族で楽しく暮らしていたはずなのに、いったいどうして自分はここにいるのか。なぜ暗く冷たい海で、自分は一人きりなのか。
わけもわからず、我慢の限界を超えて、少女は心のままに泣き叫ぶ。降りしきる曇天の雨の中、光を求めて見上げると、眼の前の空間が歪み、先ほどまで銃弾をばら撒いていた無人機がゆっくりと姿を現わす。
『探索海域に存在する、渡航許可証を持たない人間を全て排除せよ』
プログラムに忠実に従う機械の猟犬は少女を認め、その一対の青い瞬きはたちまち赤く染まる。
少女の脳裏に生前の父の笑顔と、失踪した母の姿が浮かぶ。沈みかけのボートの上で身体の震えとともに思い出したのは幸せな時間の名残。
ドローンの銃身が少女を向く。少女は自然と眼を閉じ、終わりのときを待つ。
ガキィィン。
金属の砕けるような甲高い音に眼を開くと、無人機が回転しながら波間に消えて行くところだった。出鱈目に回転するサーチライトが少女を照らし、その光に顔を覆う。
何が起きたのか分からず混乱する少女の前に、新手の無人機が二機、迷彩を解いて姿を現わす。難敵と認めたのか、ライトを赤く点滅させて即座に少女に襲い掛かる。
ドン。
轟音とともに無人機のローターの一つが火を噴き、出力を失った機体はあっという間に波間に姿を消す。
少女は確信する。
—何かいる。何かが、私を助けてくれている。
残った無人機はライトを緑に点灯させて索敵モードに移行する。無人機は、半径百五十メートル以内の可視光や赤外光を感知できる。超音波による水中探索も可能だ。人や動力搭載の人工物を見逃すはずはない。
しかし不審物はおろか少女以外には人も船も感知できない。これまでに経験したことのない事態に、無人機の一対の眼が黄色く点滅する。AIが混乱している。
「眠れ」
声を聞いたと思った。
次の瞬間、轟音とともに最後の無人機が火を噴く。吹き出た炎は瞬く間に無人機を包み、許容温度を超えたバッテリーが爆発する。
「きゃあ!」
至近距離での爆発の衝撃に少女は海に放り出される。冷たい海水に意識を刈り取られる刹那、水の中から少女は確かに見た。
遠く雲の合間、祈りの塔の先端で瞬く紫の光を。
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