3-29 他者の死 — Death of others

 どんよりと淀んだ新宿駅前の雑踏を歩きながらワタナベはアイグラスで今日の首尾を確認する。摩天楼 SkyGardenが雑踏を歩く人々に影を落とす。見下されているようで気に入らない。人類皆平等なんて言葉は信じる気にもならないが、それでも自分が下層階級だと言われて気持ちのいい気分に慣れるはずも無い。


 目をTIMES SQUAREとサインが描かれたビルに移す。ガラス張りのビルのあちこちに焼け焦げた黒い穴が開いている。砲弾が直撃した痕と、爆弾が炸裂した痕を、ワタナベは正確に見極めることが出来る。さらにその向こうには巨大な時計塔。時計は三時二十五分で止まったまま。そして時計よりも上層部は大きく崩れ落ち、ガラス窓は全てコンクリートで塞がれている。下層界における高層建築物は軒並み取り壊されるか、上層階を封鎖されている。表向きは転落防止という名目だが、実際には狙撃兵の配置を気にした富裕層と政府要人の方針。これも「自由の翼」に入って初めて知った真実だ。

 対メビウス用の抗体ワクチンを無制限に開発できるクラインのおかげで自由の翼の面々は公衆回線パブリックラインを自由に使える。情報というものは、失って初めてその重要さを実感する。情報の海から検索という手段で情報を取得できなくなると、人は途端に無力になる。

 酉の『幽霊』は意識不明の重体で、生体反応こそ残っているが、意識が戻る目処は立っていない。祈りの塔のEX-Humanは死んでこそいないがこちらも重傷。クラインの声がワタナベの成果を報告する。上出来だ。『幽霊』は着実に数を減らしている。


『あなたは今までに自分が殺した人の数を覚えている?』


 突然、頭の中に声が響く。少女の声。いや違うこれは自分の声だ。


『大切な人を失った人の気持ちがわかる?』


 声に続けて、ある感情が心を支配する。胸が張り裂けそうな痛み。止めどなく流れる涙。

—なんだこれは。


『それは「悲しみ」よ。大切な人を失ったある人の悲しみ』


 立っていられず、胸を押さえてしゃがみ込む。全身から力が抜け、胸の痛みだけが全身を支配する。遥か昔、妻と娘を失った時に感じた痛み。怒りに置き換えることで捨て去った感情。


『あなたに殺された人の家族や友人は、みんなそんな痛みを抱えている』


 猛烈な吐き気に襲われ、ワタナベは胃の中身を全てぶちまける。ワタナベを囲むように人だかりができる。

 よせ、俺に構うな。俺に注目するな。俺は無個性な個人だ。


『そう。あなたは誰でもない。あなたはただの人殺し』


—ちがう、俺は—

 最後まで言い終えることは出来なかった。

 天からもたされた死神の羽がワタナベの頭を撃ち抜く。悲鳴と絶叫が交錯し、混乱が湧き起こる。ワタナベの周囲の人だかりが弾け、混乱は伝播しながらその鮮度を落としていく。


「本当にこれでよかった?」


 祈りの塔の頂上でソラは振り返らずに問いかける。


「ああ。すまない。あんたに手を汚させた」

「気にするな。私の手はとっくの昔に真っ黒だ」


 ユーリの傍らには漆黒の狙撃銃。その銃身はまだ熱い。


「カエデ…」


 ヤスダは傍らに立つナナミの肩をそっと抱く。ヤスダの優秀な部下であり、ナナミの憧れだったマツカワ・カエデは意識不明の重体だ。爆破された橋の下敷きになったことが直接の原因だが、その前の戦闘で黒衣が大きく損傷していたことがその引き金となった。『血の狂騒』と呼ばれるオーバーロード状態では、黒衣の耐久性は著しく低下する。同じく『血の狂騒』を発動していたユウジが無事だったのは、内臓や骨格まで含めた全身が、黒衣と同じアステロイド合金に置換されていたからに他ならない。

 カエデはレイカと同じように細胞培養槽で眠りについている。IPS細胞やがん細胞の研究を通じて細胞再生の技術が著しく進歩した現代、救出時にバイタルが残っていれば、肉体を復元することは難しくはない。しかし多くの場合、意識を取り戻すことはない。テロの犠牲者の多くも救出時にわずかでも生命反応が残っていた者は細胞培養槽に寝かされているが、十年以上も意識を取り戻すこと無く眠り続けている者や脳死と判定された者も多い。しかし犠牲者の関係者にしてみれば、一縷の希望にすがるしかない。


「治安当局は早ければ来週から東京全域に外出禁止令を発動する。政府特務部隊ー通称『十二人の幽霊』とEX-Humanをターゲットとした爆破事件を受けて、当局もようやく重い腰を上げた。薙澤零司はやりすぎた。テロリストとして富裕層を含むあらゆる組織や階層から敵として認定される」


「あの男はどうなる」

「ユウジなら当分は動けない。前の傷が治っていないのにさらに損傷を重ねているんだ。いかに強靭な生体金属とは言え、これ以上傷を負ったら、EX-Humanと言えども命に関わる」

「どこにいる」

「知ってどうする?」

「決まっているだろ?マツカワを死に追いやったのはあいつだ」

「ユウジもあんたの大事な教え子も、踊らされただけだ」

「だから許せと?」

「ユウジを殺せばあの女が喜ぶとでも?」


 ヤスダとナナミは上を、何も無い真っ青な空を見上げる。


「あいつの父は私の親友だった。父親の死後、私が預かった。彼女の成長は私の生きがいだった」


 ヤスダは泣きはらした眼をこすりながら話す。


「私には関係のない話だ」


 拳を固めたヤスダをナナミが押しとどめる。


「私はユウジが赤子の頃から知っている。身動き一つできずにベッドに横たわっていたユウジも、生体用強化金属を埋め込まれて動けるようになって歓喜していたユウジも、愛する者を失って悲嘆にくれるユウジも、だ」

「それこそ俺には関係ない」

「そうだ。一人の人間の命が失われるかどうかなんて、多くの人にとってはどうでもいいただの事象だ」

「でも、関わりの深かった人にとっては、ただの事象ではないわ」

「だいたいお前の男は死んでないだろ?」

「ユウジは私の男ではない」

「やめて」


 ソラは二人を制する。悲しみと怒り。二つの強烈な感情に刺激されて、ソラの心は平穏を保てない。


「お引き取り願いたい。姫はお休みの時間だ」


 頭を押さえてうずくまるソラの肩を抱き、ユーリは二人を促す。


「お前には人の心はないのか?まるでロボットだな」


 立ち去り際、軽蔑の眼差しと共に吐き捨てられた言葉にユーリは初めて微笑を浮かべ、冷ややかな視線で返す。


「長く生きていると一つ一つの生には別段、何の意味もないっていうことがわかってくる。どれだけ素晴らしい人格者だろうと、優秀な者だろうと、金持ちだろうと、いつかは死ぬ。そしてその死は多くの人にとってはどうでもいいことだし、時間と共に必ず忘れられていく」

「—最悪な考えだ」

「事実だ。それに、むしろ神の視点と言ってほしい。お前も年を取ればとわかる。生きるも死ぬも他人にとっては存外どうでもいいことなんだ。意味を持つのは本人にとってだけ。そういうことだ」


 ユーリはソラの肩を抱いたまま階下に消えようとするヤスダとナナミを振り返る。


「あの女は生を全うできたのか?問題はそこだけだ」

「当然でしょ」

「当たり前だ」


 ナナミとヤスダは同時に答え、人外の者たちの住処を後にする。3-

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