3-27 馬鹿にするな — Don't underestimate me

「金属に高い圧力をかけると火を噴くのか?」


 ずり下がったアイグラスを直しながらワタナベがインカムの向こうに問いかける。荒川河川敷にほど近い空き家の一室。人外の戦闘を望遠機能をアクティブにしたアイグラスで観察している彼の顔に表情は無い。


『知らね。でもあんた、そうしていると本当に冴えない中年の下層民だね』

「そう見られるように振る舞うのも仕事のうちだ」

『生体用炭素繊維強化金属。通称アステロイド合金。地球外物質のように特異な性質を持った物質、ということで名付けられた。高い強度、剛性、靭性をあわせもち、それでいて軽量。強度や密度こそゼノニウム合金に劣るが使いやすさは遥かに上。圧力をかけると火を噴く?馬鹿言うな。そんな合金を生体材料に使えるはずないだろ?なあ、クライン?』

『当然』


 アイグラスの向こうで、筋骨隆々のハッカーが自分の仕事の首尾を誇って親指を立てる。黒い左右のアイグラスにはそれぞれ別の情報。プロテイン中毒で情報中毒。クラインにかかれば、それらしくユウジに偽情報を流すことも、『幽霊』たちの居所をユウジにリークすることも容易い。

『化け物は化け物に始末させればいい。俺たちの仕事はもっとスマートだ』

 ワタナベは黙ってアイグラスの向こうを見つめる。黙っているが、ワタナベの心の奥底には黒い殺意が脈打っている。それはこの時代の誰もが持ち得る殺意だ。

 ワタナベは大手企業に勤める平凡な男だった。派手さは無いが取り柄の真面目さで実直に働いていた。部下や上司からの信頼も厚く、順調な人生だと感じていた。

 真面目に働き、家族を作り、平凡に死んでいく。それが自分の人生なのだろう、とワタナベは思っていた。「悪くないじゃないか」。そう思っていた。

 時と共に下層民と富裕層の隔たりが大きくなり、ワタナベはいつの間にか下層民に取り込まれ、東京の東側に立てられた小さな集合住宅に住居を移された。勤め先の企業の態度も時と共に変化し、生活は時とともに苦しくなっていった。そして気が付いたときには職を失い、家族も、友人もすべてを失っていた。

 ある日、警察から連絡があった。慌てて駆けつけると、そこには冷たくなった別れた妻と娘がいた。摩天楼SkyGardenのお膝元、メイジShrineの裏手付近で倒れていたらしい。二人とも骨と皮ばかりにやせ細っていた。ろくに食事もとっていなかったのだろう。遺品の中にあった手帳には、富裕層である親戚に引き取られてからの悲惨な日々が綴られていた。下層民と家族であったことを理由に迫害されて親戚の家から追い出されたこと、摩天楼にしがみつくためにSkyGardenの富裕層たちの下働きとして働こうとしたこと、しかし何処に行ってもIDタグをかざすだけで雇ってもらうことも出来ず、侮蔑的な言葉を投げつけられたこと。ワタナベは生まれて初めて殺意で心を焦がした。

 自分は、妻は、娘は、何もしなかったわけじゃない。真面目に生き、働き、努力してきた。その結果がこれだ。


—馬鹿にするな。


 黒い殺意の正体はそのひと言に凝縮された。人を駒としてしか見ない企業の上層部、職を失った自分たちを蔑んだ富裕層、下層民と言うレッテルを押し付け無視した世間。自身も追われるようにして行き着いた地下の街で、ワタナベは摩天楼から吐き出される残飯を巡って争い、生き延びた。下層界には自分と同じような人間が山のようにいる。少し前まで勤勉な男だった人間が行き場を失い下層民となり、テロリストとなっている。望んだ訳じゃない。他にしようがなかった。個性を捨て、世間を憎む存在「ワタナベ」として彼は立った。勤めていた化学企業での知識が役に立った。新規軍需装備の開発を担当していた彼は爆発物の知識が豊富で、数々の爆破事件を成功させた。


 そしてそんな頃に出会ったのがナギだった。ナギの意思に賛同したワタナベはナギに従うことをよしとした。この男こそ、自分たちの怒りを受け止め、正しい方向に導いてくれる。


 双眼鏡の向こうではユウジが再び『幽霊』の蹴りを腹に受けて悶絶していた。離れていてもその凄まじい威力はわかる。至近距離で砲弾の直撃を受けているようなもの。もし自分だったら身体が粉々になっている。放り投げられたユウジは橋桁の下に入り、幽霊もユウジを追って橋桁の下に飛び込む。昨夜のうちに高性能爆薬を仕掛けておいた橋脚のすぐ近く。あそこなら二人を爆発に巻き込み、そのまま橋脚の下敷きに出来る。


—馬鹿にするな。


 怒りが沸々とワタナベの頭を占めていく。手が震え、激情に身を委ねたくなる。EX-Humanに幽霊。外国資本と手を組んで、こんな社会を築き上げた政府。その政府の犬同士、仲良く殺し合えよ。俺がフィナーレを彩ってやる。

 ワタナベはためらいなく握りしめていたボタンを押し込む。

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