第4話 愛花の想い





 夕食時ではあったが、軽い食事も取れるこの店は、そこそこの客を掴んでいた。

 とは言え、一昨日のクリスマスイブ程の混雑はなかった。

 愛花は人の往来が少ない突き当りの四人掛けのテーブルに座った。


「席、勝手に選んじゃってごめんなさい」

「別にいいよ」

 とぼくは愛花の対面に座った。

 ウエイトレスが来て注文を済ませた後、ぼくは切り出した。

「結婚って言うけど、おれ達はそもそも付き合っていないんだよ」

「はい。ですからからお願いしているんです」

「いやいや、それにしても今まで『お早うございます』以上の会話がなかった間柄なんだよ、おれたち。それが、上級公務員に内定が決まったからと言って、こんな急展開は、普通あり得ないだろ? からかっているんじゃないのか? 本当は」

「からかってなんていません。わたしは真面目です」

 愛花の瞳が真っ直ぐにぼくを見つめた。

「わたしのお母さんはまだ三十四歳なんです。若いと思いませんか?」

 と唐突にそう言った。


 何が言いたいのか分からず、ぼくは愛花の次の言葉を待った。

「お父さんとお母さんは同級生で、中学の時から付き合っていて、とてもとても大好きで仲が良かったんです」

「………」

「高校三年の秋、大学の推薦入学も決まっていた頃に、お母さんが妊娠していることが分かって、お母さんもお父さんも進学をあきらめて結婚して就職することにしたんです。周囲は、特に両方のお爺ちゃんお婆ちゃんたちは猛反対したけど、二人の意志は固く、高校を卒業するとすぐに結婚したんです」

 その時の子供が愛花と言う事なのだろう。

「小さい時のわたしの記憶では、お父さんもお母さんもいつも笑っていました。休みの日はいつも一緒で、お弁当を持って近所の県営公園でピクニックしたり、潮干狩りや海水浴にもよく行きました。本当に楽しかったんです……」

 愛花の目が遠くを見つめていた。

「でも、リーマンショックのあおりを食らって、お父さんの勤めていた工場が閉鎖されて、お父さんは失業してしまったんです」


 リーマンショックに関しては、ぼくも他人事ではなかった。

 当時、ぼくの両親は居酒屋を経営していたが、銀行からの融資がとどこおり、経営を継続する事が出来なくなって手放してしまったのだ。

 運よく知り合いの工場に夫婦で雇ってもらったが、残った借金の返済は今日こんにちも続いている。


「でもお父さんたちはまだ若かったからアルバイトをしながら次の仕事を探していました。わたしはまだ幼く何も分かっていなかったから、『ねえ、なぜ仕事辞めちゃったの?』なんて平気で聞いたりして……傷つけちゃったかもしれません。それでも、お父さんとお母さんは仲良く頑張っていたんだけど、弟が生まれてしばらく母さんが働けない間に、お父さんが借金をこしらえたんです」

「借金か……」

 ぼくは思わず声に出していた。


「ええ……。お父さんはギャンブルにはまってしまったんです。賭け事をやらない人なのに、今の生活をよくするつもりで、たった一度っきりのはずだったのが、抜けられなくなっちゃったんです」


「お待たせしました」

 ウエイトレスが注文した品を持って来た。

 愛花は先日せんじつ食べ損ねたパスタセットで、ぼくはグラタンのセットを頼んでいた。


「わたしが小学校に入学した頃には、お父さんとお母さん……顔を合わせるだけで大声を出してののしり合うようになっていました。いつもお父さんが怒って家を飛び出すんだけど、後に残されたお母さんはいつも泣いていたんです」

 

『大好きで一緒になった筈なのに、今では互いを憎み合う間柄になってしまった。それが悲しい。お金なんてなくても愛があれば大丈夫だと思っていたけど、それは間違いだったわ。お金さえあれば、わたしたちはずっと愛し合って暮らしていけた筈なのよ。わたしたち、何処で間違えちゃったのかしら』

 愛花の母はそう言って泣いていたと話した。


「わたしが小学四年生の時、借金まみれになったお父さんは、お母さんに離婚を勧めたんです。自分が仕出しでかした借金だから一人で背負うと言って、泣きじゃくって嫌がるお母さんを説得して離婚届に印を付かせたんです」

「それでキミのお父さんは?」

「離婚して四年後……わたしが中学二年の時に過労で倒れて亡くなりました……」

 愛花は涙は見せなかったが、唇は小刻みに震えていた。


(このもおれの家と変わらない、貧しい暮らしをしてきたのか)


 リア充しているいい所のお嬢さんで、遊び金欲しさでしているアルバイトとばかり思っていた。

 今まであまりガン見する事のなかった愛花だが、よくよく見ると、付けまつ毛にネイルに化粧と言った、高校生が普通にやっているお洒落はしていなかった。

 セミロングの髪を留めている髪留めも、一袋に十個入りの百円均一で見かけるそれに似ていた。


 素材がいいから化粧などする必要はないのかもしれないが、それでも年頃の女の子だ。皆と同じお洒落はしたい筈だ。

 アルバイトのお金も、きっと自分の学費とか家計の助けにしているのだろう。

 そう思うと、ぼくの留飲りゅういんは少し下がった。

 

「園宮の思いは分かったし、十分同情は出来る。だから、時勢に影響されずそこそこの収入のある上級公務員内定者であるおれに、唾を付けて置こうと思う気持ちは、十分に理解出来たよ」

 愛花は否定も肯定もしなかった。

「でもさ。それってまるで、人身御供じゃないか? たとえゆとりある生活が出来たとしても、好きでもない相手と結婚して、それで上手くやっていけると本当に思っているのか?―――それにおれは単なる地方公務員でしかないんだよ。安定はしているが、より満たされた収入を求めるなら、同期の中には一流商社に内定した将来の有望株がいくらでもいる。そんなにお金持ちがいいのなら、他の誰かに声を掛けてやろうか?」


「違います! より多くの収入を望んでいるわけじゃありません!」

 愛花は少し怒ったように声を荒げた。

「わたしは春木さんのことが好きなんです」


「いい加減なこと言うなよな」

 ぼくもつい声を荒げてしまった。

「園宮には大好きな彼氏がいるんだろ? おれはね、二股とか裏切りとかそう言うの大嫌いなんだよ。おれたちが真面まともはなししたのは今日が初めてじゃないか。おれのことを何にも知らないくせに、なんで好きだと言えるんだよ?」


「わたし春木さんのことちゃんと見ていました」

 愛花はりんとした目でぼくを見つめた。

「春木さんは困った人には必ず声を掛けているのをわたしは知っています。バイトなんだから与えられた業務だけこなしていたらいいのに、カートの空きがなくて困っているお年寄りの方には、スタッフルームに置いてある予備のカートを持って行ったり、割引タイム直前で惣菜を購入する人にはいつも『もう少し待って』と耳打ちしてあげているでしょ?」


「えっ? それってバレていたの?」

 ぼくが驚いた顔をすると、愛花は初めてクスっと笑った。

「わたし何処で働いているか知っているでしょ? 惣菜コーナーの鏡張りの向こうの調理室ですよ」


 そうだった。売り場からは鏡の内の調理室は見えないが、調理室からはこちらが丸見えになっていた。

「それ以外にもお客さんの様子を察して、声を掛けているでしょ? こんな言い方はいけないと思うけど、春木さんが特に気を掛けている相手は、身なりからして生活が豊かでない人や、お年寄りの方ですよね。そんな春木さんの、生活弱者の人に対する思いやりが、わたしは好きなんです。だから、この人だったらきっと上手くやって行けると思ったんです」


 愛花の言っている事は、一見筋が通っているように見える。

 だがぼくは、他にいい人が出来たからと言って、現在付き合っている彼氏を切ってしまう愛花のしたたかさを認める事は出来なかった。


「園宮。やっぱりおれはお前とは付き合えない」

「わたしが嫌いですか?」

「ああ。嫌いだ」

 はっきりと言った。

「ヒロシのこと気にしてるんですか?」

「それもあるが、一番引っ掛かっているのは、園宮が本当の意味でおれのことを好きじゃないことだ」

「一番じゃないからダメなんですか?」


 ぼくは答えなかった。

 園宮は恋愛と結婚は別物と考えているようだが、ぼくはそうは思わなかった。

 どんなに恵まれた結婚しても、その先には少なからず困難は待ち受けている事だろう。

 それを乗り越えるためにも信頼と愛情は不可欠だとぼくは思うのだ。

 口にすれば甘い考えだと言われるかもしれない。

 それでもぼくは、一番愛している人と結婚する、そんな少女漫画のヒーローのような事を、大真面目に考えている甘ちゃんなのだ。


 確かに愛花の両親はお金が無い事ですれ違い、残念な結果になってしまった。

 そんな彼女だからこそ行き着いた今の考え方なのかもしれない。

 だからぼくは愛花の考えを否定はしない。

(だけど……おれは認めない)

 ぼくと愛花の間には、埋める出来ない根本的な価値観の違いがあるんだ。

 そんな相手とこれから先、上手くやれる筈もなかった。


「確かにわたしはヒロシが好きです。でもね、あいつは上手くいかないと直ぐにヤケを起こすタイプのお子様なの。いつも夢みたいなことばかり言って―――将来は野球の選手になって、五年契約の十億円プレーヤーだ―――なんて現実を見ないヤツなんです」

「夢を見るのは若者の特権だと思うけど」

「それは否定しません。だけど、夢は夢よ。現実問題として、夢が叶わなかった後の備えも考えて欲しいんです。―――わたしは、金持ちになりたいわけじゃないんです。家族が仲良くやっていくための安定した暮らしが欲しいの。大好きだった人を憎むような、そんな悲しい思いはしたくないんです。―――春木さん」

 愛花は強い眼差しをぼくに向け、自分の胸に手を置いた。


「わたし言っていること、間違ってますか?」

 ぼくは首を横に振った。

「間違っちゃいないよ。園宮の考え方はそれはそれで正しいと思うよ。だけどおれには合わない。おれ達が付き合ったとしても、間違いなくすれ違うだろうね」

 ぼくはレシートを手にすると、

「園宮とおれは、何処まで行っても交わる事のない、ねじれの位置にあるのだろうな」

 何か言いたげな愛花を残して、ぼくは席を立った。

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