第89話 君と見たい景色





「ありがとうございました」

 携帯電話会社の女性店員がショップの外まで見送ってくれた。

 豊岡に来て最初にした事は、今まで使っていたスマホの解約と新規契約だった。

 電話番号も一新して、携帯電話会社も格安スマホサービスに変更した事で、月々の通信料金が以前の半分ほどで済むようになった。


 急な話だったので、今まで住んでいたアパートをどうしたものかと悩んだ挙句あげく、峰山さんに相談すると、知り合いで一人暮らしを希望する者がいるという事だった。

「急な転勤だね。色々大変だろうから、春木君は部屋から荷物を運び出すことだけに専念するといいよ。部屋の手続きはすべてこっちでやっておくから」

 相変わらず親切だった。

 峰山さんを頼ったので、ぼくの転勤は、愛花の耳にも入るだろう。


(だけど……)

 愛花はきっとぼくに愛想をつかしたに違いない。

(携帯電話の解約も、必要なかったのかもしれないな)

 ニューモデルのスマホを眺めながら、ぼくは一人苦笑した。

 ぼくの両親、大谷や前田のように愛花と直接の繋がりを持たない者には、新規電話番号やアドレスを伝えた。

(頃合いを見て界人にも連絡を入れようか)


 愛花には転勤の話は告げていなかったが、スマホを解約する直前に一言だけメッセージを入れていた。


 ――― 愛花 ごめん ―――


 もっと気の利いた言葉はあっただろう。

 でもぼくにはそれ以外の言葉は思い浮かばなかった。




 赴任先での初日が来た。

「本日付で豊岡支部に転属となりました春木大輔です。よろしくお願いいたします」

 在り来たりの挨拶を終えると、野上課長が教育係となる矢本主任をぼくに紹介した。

「彼はね、キミと同じ国立大学出身だよ。二つ年上になるのだが、面識はないのかね」

「いやいや、野上課長」

 と矢本さんが苦笑いを浮かべた。

「四学年合わせて一万人以上いるんですよ。学年も違うのに同じ部に所属でもしない限り、知り会うなんてまずありませんよ」

「確かにそうだよな。大学出て三十年も経つと、そんなことも忘れていたよ」

「おれもそのうち、そっちの世界に行きますよ。アハハハハ」

 二人は笑いあい、「気楽に行こうや」と言って矢本さんはぼくの肩を軽く叩いた。


「二つ上の方なら、峰山昂輝こうき先輩がいるんですが、ご存じでしょうか?」

 ぼくが言うと、

「えっ? 峰山を知っているのか?」

 矢本さんが反応した。

「ええ。ぼくは峰山さんが起業した進学塾のスタートアップメンバーの一人なんです」

「ああ、思い出したぞ。そういうこと言ってたよな、アイツ。――― アンビシャスだっけ?」

「はい。そうです」

「峰山とは同じゼミでさあ、アンビシャスに誘われたんだけど、人に教えるのはおれ、苦手でね。それで断ったんだよ。アハハハハ」


「それは困るな」

 と野上課長が言った。

「キミは今日から春木君の教育係なんだからそれを言ってもらっちゃ、困るよ」

 怒った風でもなく、冗談ぽく笑った。

「だいじょうぶですよ。仕事の方はキッチリやりますから」

 矢本さんが自分の胸を叩いて見せると、ぼくの隣に座る女性が意味有り気に笑った。

「矢本さんはね、サボりの名人なんですよ」

「おい、こら。なんてこと言うんだ」

「深くは追及しませんけどぉ」

 そう言って笑った後、

「わたしは深見玲奈です。今年で二年目の総務課の紅一点ですので、よろしくお願いします」

 と自己紹介してきた。

「こちらこそよろしく」

 そう言って握手すると、他の先輩たちもあちこちから声を掛けて来た。


「春木君、よろしくな」

「ここはゆるいところだから、気楽に行こうや」

「歓迎会するからな。今夜はうたげだ」


 総務課のみんながぼくに笑顔を向けてくれた。 

(気さくな感じの部署で良かった)

 なんなとなくホッとした。


 午前十一時を過ぎた頃、矢本さんに連れられて外に出た。

「豊岡は初めてか?」

「はい」

「少し案内しようか、豊岡の街を」

「は…はい」

(勤務時間にいいのかな? それとも、勤務の一環か?)

 矢本さんの意図は分からなかったが、ぼくは何も質問せず公用車の助手席に座った。


 豊岡の街はぼくが育った町とは違って低い建物が多かった。

 三階建ての建物は少なく、四階建ての支部のビルは、この辺りでは低い建物でない事を知った。


 しばらく道なりに進むと、左手に堀の向こうに石垣が見えた。

「出石城跡だよ。この辺りの見どころと言えばこれかな。あと、蕎麦そばが名物かな」

 言いながらハンドルを切り、大手前の駐車場に入った。

 五十歳くらいの男の人が受付小屋から顔を覗かせた。

「おや、矢本さん、またサボりですかい?」

「田崎さぁん、かんべんしてよ。いつもおれ、サボってばかりみたいじゃないですか」

 苦笑する矢本さんに田崎と呼ばれた男は爆笑した。

「新人さんかい?」

「そうですよ。初日なんでゆるりと馴染んでもらおうと思ってね。出石城を見せに来たんですよ」

「そうかい。ガラガラだから好きな所に泊めたらいいよ」

 そう言うと、料金も取らずゲートを上げた。

 公共の施設だから公務員はフリーのようだ。



 車を降り、城の本丸に向かう階段を上ると、花を咲かせた桜の木々が並んでいた。

 階段の向こうに城の建物が見えた。

(あれが本丸かな?)

 それを聞こうと振り返った時、

「よかったな。みんな春木のこと、受け入れてくれて」

 と矢本さんが言った。

「おれが赴任して来た時は、あんなに歓迎されなかったんだよ」

「どうしてですか?」

「おれさ、辞令で仕方なく赴任して来たんだよ」

「えっ? みんなそうじゃないんですか?」

「違うね。この支部の職員は全部で四十四名。辞令で赴任してきた人間はおれを含めた八名だけ。他の者は地元出身者 ――― 昔で言うところの但馬の国の出身者で、最初から地元を希望して入庁した人たちなんだよ。仲間意識が強くて結構親切だけど、よそ者に対しては排他的な面もあってね。おれも、ちょっとした洗礼を受けたものさ」

「そんな風には見えませんでしたけど…。主任は皆さんとすっかり溶け込んでいらっしゃるじゃないですか」

「アハハハ。今はね。最初は、まあ、俺の態度も悪かったんだろうね。何でおれがこんな所に飛ばされなきゃいけないんだ ――― なんて言葉には出さなかったけど、分かるんだよね、そういう態度は。ところで、野上課長、どんな人に見えた?」

「温厚な人って感じがしました」

「だよね。ハハハ」

 と言って矢本さんは笑った。

「でもな、あの人、あの中で一番難しい人だよ。おれの教育係は野上課長 ――― 当時は主任だったんだけど、おれがたった一度、ダルそうな態度した時から、笑顔がなくなり一言も物を言わなくなったんだよ。いわゆるシカトと言うヤツさ。一月くらい続いたかな……このままじゃいけないと思ったんだろうな。当時の課長が間に入ってくれて、なんとか和解したってわけだよ。根は悪くないけど、難しいよ、ここの人達は」

「そうなんですね。気を付けます」

「まあ、出鼻をくじくような話して悪かったけど、心にとめておいた方がいいと思うって、話したんだよ。でも、春木の場合は印象がいいから普通にしていれば問題ないよ」

「どうしてぼくはだいじょうぶなんですか?」

「みんな情報通だから、知っているんだよ。米原ってヤツが本来の赴任人事だったんだろ? そいつがこちらに来るのを嫌がって辞めた時に、春木が率先して志願したという話はみんな知っているんだよ。みずからこちらに来ることを志願した、というところに支部のみんなは心証よくしたのさ」

「怖いですね、どこからそんな情報が伝わるんですか?」

「本部にも、但馬の国出身者が少なくないってことだよ」

「ああ、そういうことですか」


 何となく、矢本さんがぼくを外に連れ出してくれた理由が分かった。

(歓迎されているけど、調子に乗らずに、心して掛かれとということだな)


 そして、広くなった高台に出た時、ぼくは出石の町を振り返った。

 低い山の裾には、都会とは違った古風な街並みが広がって見えた。

 いいところだ。

(愛花にも見せてやりたかったな)

 そう思った瞬間、ぼくは唇をかんだ。

(なんで…彩香の名前が出て来なかったんだよ……)

 冷たい風が吹いた。

「ハァ……」

 ぼくは小さく溜息ためいきを吐いていた。

 気が付くと、そんなぼくの横顔を見つめる矢本さんがいた。

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