第20話 余命宣告
「わたし…余命三ヶ月なの」
最初に彩香が口にした言葉がそれだった。
「と言っても、それは昨年の十月に受けた余命宣告よ。あれから六ヶ月たっているけど、まだこうして生きているわ」
彩香は疲れ果てたような顔で苦笑いを浮かべた。
「最近ではね、わたしからは
血液がんの一種で、主な治療法は骨髄移植と薬物療法だが、五年生存率は約40%とその予後は不良というのだ。
つまり、完治する可能性が限りなく低い病気だった。
ぼくは唇をかんだ。
おぼろげながら彩香が別れを告げた
「彩香……おまえ、有名作家の愛人になったって言うのはウソなんだろ?」
ぼくの問いかけに、彩香は
「
「……ええ。あの日の数日前に、予後不良と診断されたから……」
彩香は大学一年の冬から腰に痛みを覚えるようなっていたらしい。
最初は気にしていなかったが、春休みに検査入院した時、その病気だと分かったのだ。
それからは入退院を繰り返しながら大学に通っていたという。
執筆活動に追われて会えないと言っていたのは、ぼくに心配をかけたくなかったからだと言った。
その時はまだ生存の可能性があったようだが、その希望は、やがて打ち砕かれた……。
「
寂しそうな目で微笑む彩香を見て、胸の奥から、言葉に表せない感情が
「なんでだよ……!」
ぼくは情けない気持ちになっていた。
「なんでおれに話してくれなかったんだ!」
突然大声が出た。
愛花と彩香はびっくりして顔を上げた。
「おれはそんなに頼りのない男か? おれに相談したって何も変わらないのは分かっているよ! でも、こんな時だからこそ、傍にいて欲しいと思わなかったのかよ! おまえに振られておれは苦しかった! 辛かった! だけど……だけど……」
涙が滝のように流れ床を濡らした。
(かっこ悪っ)
二人の女子の前で
「おまえがこんなに苦しんでいる時に、おれはおまえを憎んだ! 裏切られたと思ってお前を恨んでいたんだ! こんなにポロポロになっているおまえに気付きもせずに……! ちくしょう!」
最後は
本当にかっこが悪かった。
彩香は口を抑えて
「大ちゃん、ごめんね。苦しめてゴメン……悲しませてゴメン……嘘を吐いて……ゴメンなさい」
「彩香……」
ぼくはベッドに座る彩香に近付くと、そっと体を抱きしめた。
悲しいくらいに細く今にも壊れてしまいそうだった。
「謝るのはおれの方だよ。気付いてあげられなくてゴメンな。恨んでゴメン……。憎んで……ゴメン……」
再び涙が溢れて来た。
「これからはずっと傍にいるよ……。おまえの傍を離れない。ずっと、ずっと一緒にいるよ」
「ダメよ、大ちゃん」
と彩香は泣き濡れは目を向け、ぼくの両肩を軽く押した。
「なぜわたしが大ちゃんに嘘を吐いたか分かる? あなたは優しいから、わたしの病気のことを知れば、すべてを投げ捨てて、わたしに尽くそうとしたでしょ? だからあなたには言えなかった。わたしのせいであなたの将来をメチャクチャにするなんて……そんなの死んでも嫌なの」
「彩香……」
「大ちゃん……」
と彩香は微かに笑みを見せた。
「ついに県職員になったのね。おめでとう。安定の上級公務員をずっと目指していたものね。夢が叶ってよかったね。わたしも嬉しいわ」
「もういいよ……彩香」
ぼくは静かに
「おれはもう、何もいらない。おまえさえいればそれでいい。時間が短いのなら、せめて一分一秒でも多くおまえの元にいたいんだ。公務員なんて、もうどうでもいい。おまえの傍にいたい……」
「いけないわ、大ちゃん」
彩香の細い手が、意外なほど強くぼくの腕を掴んだ。
「わたしは間もなく消えてしまう人間よ。そんなわたしよりもこれからのあなたの未来の方が大切なの。―――お願いよ。でなきゃわたし……死んでも死にきれない。わたしのせいで不幸になる大ちゃんの未来なんて……自分が死ぬよりも辛いの」
「嫌だ! おれは彩香の傍をもう離れたくない……彩香が死ぬならおれも……」
とぼくが言いかけた時、背中を向けていた愛花が振り返った。
「これ以上彩香さんを苦しめないでください」
ポロポロと涙をこぼしながら、
「彩香さんだって、本当は春木さんとずっと一緒にいたいんです。何故それを分かってあげられないんですか!」
と睨むような目をぼくに向けた。
その時、病室の扉が開いた。
「いい加減にしてください!」
と年配の女性看護師さんが厳しい顔で立っていた。
「ここは病院ですよ。あなた達のような思いで過ごしている患者さんは他にもいるんです。自重してください」
「ごめんなさい。すみませんでした」
真っ先に謝ったのは愛花だった。
ぼくはそんな事にも気が回らない状態だった。
「大ちゃん」
彩香の細い手がぼくの頬を触れた。
「わたしのお願い、聞いてくれる?」
ぼくは彩香を見つめた。
「お仕事にはちゃんと行くのよ」
「それは」
「約束して。お願いだから」
彩香の強い眼差しだった。
ぼくは頷くしか他なかった。
「気持ちは分かりますが、今日は一度帰ってください」
看護師さんは険しい顔をしながらも、その瞳は悲しげだった。
「大ちゃん、言う通りにして。わたしはまだ逝かないから大丈夫よ。また会いに来てくれたら嬉しいわ」
「うん……分かった」
「仕事は投げ出さないでね。絶対よ」
「………」
ぼくが返事をしないでいると、
「春木さん」
と愛花がぼくの肘を摘まんだ。
ぼくは愛花と彩香を見た後、渋々だが頷いた。
ぼくと愛花が病室を出ると、
「あなたの顔には見覚えがあります」
看護師さんが言った。
「今日来院していた新人の県職員さんの一人ですよね」
「はい」
「事情はお察しいたします。お話が廊下まで筒抜けだったので」
「ご迷惑をお掛けしました」
「でも、彼女さんの言う通りですよ。お仕事をおろそかにしてはいけません。ナースセンターを通せば遅い時間でも面会できるよう、取り計らいますから、業務を
「はい……ありがとうございます」
ぼくがそう返事をすると看護師さんは会釈をして背中を向けた。
愛花と一緒に病院を出た所で、
「いろいろ聞きたいことがあるんだ」
ぼくは愛花を見た。
「分かっています」
愛花もそれは覚悟していた様だ。
「あの日わたしは、駅で偶然会った相良さんと一緒にあの公園を通りかかったんです」
愛花が言うあの日とは、彩香に呼び出され写真の削除を要求された日だ。
「相良さんに春木さんを任せて、わたしはその場を去る彩香さんを追いかけました。彼女が立花彩香というのはすぐ分かったし、春木さんの彼女だったのにも驚きましたけどね」
公園を出た住宅街の路地で、愛花は座り込む彩香に追いついたと言う。
最初、彩香が泣き崩れているのかと思ったが、すぐにそうではないと気付いた愛花は救急車を呼ぼうとした。
しかし、
『待って。騒ぎにしたくないの。タクシーを呼んで。行先は県立病院よ』
と彩香が言ったらしい。
「それを切っ掛けに、わたしは彩香さんと交流を持ったのです」
と言った後、愛花はスマホをチラ見た。
時間を気にはしているようだ。
「詳しいお話は、明日以降でもいいですか?」
「ああ。と言うか、今の話で十分理解したよ」
とぼくは頷いた。
どうやら、愛花はアンビシャスのバイトの時間のようだ。
間もなく病院前のバス停に市バスが入って来た。
「失礼します」
愛花はぼくに頭を下げるとバスに乗り込んだ。
(彩香……)
ぼくは夕映え差す県立病院を振り返った。
だけどそれは彩香の想いを踏みにじる行為だと自重した。
(仕事を終えたら毎日通ってやる)
それなら彩香も許してくれるだろう。
だけど―――会うほどに悲しくなる事を、この時のぼくは、まだ知る由もなかった。
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