第19話 真実(しんじつ)





 週が明けた。

 土・日を含み入庁して六日むいか目の朝が来た。


「研修って結構だるいよな」

 立命館大学出身の須藤成世すどうなるせ欠伸あくびを噛み殺しながら言った。

 入庁して三か月間は各種多彩な研修スケジュールが組み込まれている。


「そうかい? いろんな企業や公共施設を回れるから、おれ的には結構楽しいけどな」

 同志社大学出身の波風修也なみかぜしゅうや言うと、

「わたしも庁外研修は好きよ。だけど、県庁に戻ってからの庁内研修は睡魔との戦いだけど」

 関西大学出身の御手洗慶みたらいけいが苦笑いを浮かべた。


「その庁外研修も四月一杯で終わりよね。残りの二ヶ月はすべて庁内研修で、県庁の仕組みやコンプライアンス……各種多様なコンサルタントの先生の講義のオンパレード。………わたし、目を開けていられるかしら…」

 と溜息ためいき越しに言ったのは、関西学院大学出身の一条未来いちじょうみらいだった。


 ぼくと橘美幸たちばなみゆきを含む六人は、入庁式典で同席したよしみもあって、今のところは行動を共にしている。

 もっとも県庁側は、入庁式典の時に、偶然集まったワンテーブル六人を、そのままワンチームとしてグループ編成するつもりだったらしい。

 つまり、このグループから離脱する事は出来ないと言うわけだが、ぼくはこれはこれでいいと思っていた。


 ちょっと俺様な須藤成世すどうなるせ

 物腰穏やかで人当たりの良い波風修也なみかぜしゅうや

 はっきり物言う御手洗慶みたらいけい

 少しネガティブ思考な一条未来いちじょうみらい


 波風以外はそこそこ癖のある連中だ。

 そんな中にあって、思慮深く笑顔の絶えない社交的な橘美幸たちばなみゆきが、皆の取りまとめ役となっていた。


「春木さんは感想を言わないんですね」

 とたちばなが聞いた。

「そうだな。楽しい…かな」

「そうね。わたしも楽しい。新しい仲間との出会いもあって、毎日浮き浮きしているわ」

「そんな感じだね」

 いつも笑顔で接してくる橘を見て、今を楽しんでいるのがよく分かった。


(おれもそんな生き方をしたい)

 新しい環境も、人との出会いも、全てが自分に合ったものとは言えないが、出来る限り毛嫌いせずに受け止めて行こうと思っていた。

(いい機会を与えられたんだ)

 そうとらえていた。



 ぼく達新人職員の研修グループC班は、人事担当の先輩職員二名を含む、計十四名編成で各施設を回っていた。

 新入職員は百二十名だ。

 全員でひとつの施設に押しかけると、施設側も大変だ。

 だからA~Jの十個のグループに分けられ、十二名という少人数で、それぞれの施設を一グループごとで巡るようにしていた。

 そして、今日ぼく達C班が訪れたのは、港の近くにある県立の総合病院だった。


 いくつか注意事項の説明の後、ぼく達C班は病院幹部に引率されて、病院内を視察する事になった。

 一階のエントランスからスタートして、内科・眼科・耳鼻咽喉科・口腔科など、病院内をスタッフに従い回っていた。


 二階の渡り廊下から第二病棟へ向かう時、

「ここからは特に静かに進んでください」

 と副院長が言った。

「この病棟は三階建てで、特に体調の悪い方が入院されています」


 ぼく達は互いの顔を見合った。

 隣りを歩く橘がぼくを見つめて小さく頷いた。

 ホスピス病棟だと誰もが理解した。


 病棟に足を踏み入れると、そこは廊下ろうかからして、今までいた病棟とは明らかに違っていた。

 廊下の壁にはお洒落でカラフルな花々が描かれ、照明は明るいシャンデリア。まるでリゾートホテルの廊下を歩いているようだった。


「患者さん達に少しでも明るい気持ちになってもらおうと、ホテルの様な内装にしてあるんですよ」

 と副院長が説明した。

「部屋の中の内装も凝っていて、この病棟はすべての部屋がオーシャンビューなんです」


「それでなのか」

 と須藤が声を出した。

「他の病棟は、廊下をはさんで左右に病室があるのに、この病棟は海側にしか病室がないもんな」


 ぼくは廊下左側の窓の外に目をやった。

 都会まちの直ぐ近くに低い山系が見えた。

 海と山に挟まれた大都会。ぼくが生まれ育ったこの都会まちの特徴だ。


「この病室はすべて個室なんです」

 と病院スタッフが言った時、ぼくは何気なく、病室のドアにあるネームプレートに目を向けた。

 確かにドアのネームプレートには一人の名前しかなかった。


 と、その時、ぼくは見覚えある名前を見つけ、全身に電気が走る感覚を覚えた。 

 303号室のドアのネームプレートに『立花彩香』の名前を見つけたのだ。


(えっ? どういうこと? まさか彩香なのか? いや…同姓同名?)

 ぼくは少し呼吸が荒くなっていた。

「どうしたの? 春木君。顔色悪いわ」

 橘がぼくの顔を覗き込んで聞いた。

「いや、なんでもない」

 ぼくはそう言って笑顔を作ろうとしたが、頬が引きつっていた。


「そこ、キミたち、立ち止まらない」

 とスタッフに注意を受けた。

 気が付くと、グループとの間に二十メートルほど距離が出来ていた。

「すみません」

 橘はそう言いながらぼくの手を取ると、

「歩ける?」

「ああ、別に何ともないよ」

 ぼくは橘に促されるまま歩き出した。

 離れ際にもう一度ネームプレートを確認した。

 何度見ても間違いなく『立花彩香』だった。




 ぼくは確認しなければならなかった。

 その日の業務(研修)が終わると、ぼくは海が見える県立病院に、再び足を運んだ。

 今日は少し早めに切り上げてくれたので、病院に到着したのは、五時少し前だった。

 

 ぼくはホスピス病棟の303号室の前に立った。

 ネームプレートには間違いなく『立花彩香』と書いてあった。

(本当に彩香なのか?)

 深呼吸一つして、ぼくはコンコンとドアを二回叩いた。


「は~い。どうぞ」

 元気な女の声がした。

 彩香ではない。だけど聞き覚えのある声だった。

(彩香でなかったらどうしよう)

 それならそれでいい。いいに決まっている。

 間違えましたと言えばいい。

 正直に同姓同名で間違えた言えばすむじゃないか。

 

 そんな事を考えながら躊躇ためらっていると、中にいた人がドアを開けた。

「どうぞお入り……!」

 と出迎えたのは、意外にも愛花だった。

「園宮……!」

「春木……さん?」

 愛花は口元を抑えて、愕然がくぜんとしたようにぼくを見上げていた。

 愛花の肩越しに見えるベッドの上には、愛花と同じように驚いた表情の彩香がいた。


 痩せこけた青白い顔。

 パジャマの裾からはみ出した腕は、血管が浮き出るほど細かった。

 彩香が健康体でないのは一目瞭然だった。

 予想を上回る目の前の現状に、ぼくは言葉が出て来なかった。


「愛花ちゃん……どういうこと?」

 声を震わせる彩香だった。

「わかりません。わたし、何も話していない……」

 愛花も泣きそうな声になっていた。


 ぼくは深く息を吸い込んだ。

「今日、新人研修でこの病院を訪れたんだ。そこでこの部屋のネームプレートを見つけて、それで、おれが知っている人間かどうか、確認しに来たんだ」

「そう…なの」

 彩香は諦めたようにうつむいた後、愛花に視線を向けた。

「ごめんなさいね、愛花ちゃん。疑ったりして」

「いいえ、わたしはだいじょうぶです」

 愛花は大きく首を振って見せた。


「ところで」

 とぼくは彩香と愛花を交互に見た。

「これは…どういう…こと? 説明…して…くれない…かな」

 穏やかに話そうと思ったが、自分でも分かるほど声が震えていた。

 一体何がどうなっているのか、理解出来ずにぼくは混乱していた。


 しばらくの沈黙の後、

「知られてしまったら仕方ないわ。すべて話すわ」

 彩香は生気の感じられない目をぼくに向けた。

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