第18話 相良と界人





 入庁して初めての土曜の休日だった。

 天気が良く暖かかったので、モーニングでも食べようと最寄りの駅に向かって歩いていた。

 今日は土曜日と言うこともあって、サラリーマンや学生の往来は少なかった。


「ハーイ春木君、久しぶり。元気してた?」

 偶然ぐうぜん駅構内から出て来た相良琴美に声を掛けられた。

「相良か、久しぶりだな。まあ、元気だよ。そっちはどう?」

「わたし? わたしは相変わらずのビッチだよ。アハハハハ」


(本当に相変わらずだな)

 それが相良の素顔でないのは分かっている。

 初めての男との出来事が今でも心に影を落としているのだ。

 その相手を忘れられないとかでなく、受けた傷口ダメージが今でもえないでいるのだろう。


 ぼくはそういった負の感情を隠せるほど大人ではなかったが、相良は陽キャを演じる事で自我を保とうとしているのだ。

(しんどいだろうな)

 勝手な思い込みかも知れないが、無理をしているようで、少しだけ相良が心配だった。

(相良の方がぼくよりも重傷かもしれないな)

 だからこそ無理にでも明るく振舞って、自分を奮い立たせようとしているのだと思った。


「久保川さんと会うのか?」

 とぼくが聞くと、相良は首を横に振った。

「今日は別の人よ」

「…そうか」

 ぼくが眉をひそめると、相良は少し真顔になった。

「何よ。……なんかキライ、そんな顔されるの」

「え?」

「ビッチって見下されるのには慣れているけど、あわれむような目を向けられるの、とてもイヤ」


「そ、そんなつもりはないけど」

 ぼくが慌てたように言うと、

「分かっているよ」

 相良はクスクスと笑った。

「気に掛けてくれているんだよね、わたしのこと。優しいんだね、春木君。だから絶対に春木君は無理。セフレにはならないよ」

「誰もそんなこと頼んでないぞ」 

「だよね。アハハハハ」

 と笑った後、

「ところで、最近愛花ちゃんはどう?」

 と聞いて来た。


「相変わらず、おれに付きまとっている」

「ふ~ん。よかったねぇ」

 相良はニヤッとした。

「あのなぁ、おれは園宮に全くそんな気はないからな」

「分かってるって。おこりなさんなって旦那だんな

 相良はまねねこみたく右手でおいでおいでした。

「真面目な話、わたしが聞いているのは進路のことだよ」

「ああ、そっちか。園宮のヤツ進学する気になったみたいだ」



 愛花は春休みから、アルバイトをアンビシャス一本に絞っていた。

 時給がいいのもあるが、大学受験コースを無料で受講できる特典を峰山さんが付けてくれたからだ。

 高校生の今は、事務の仕事しか出来ないけど、大学生になれば生徒を受け持つ事が出来るようになるし、講師となればアルバイト料もさらにアップする。

 ぼくもアンビシャスの講師のアルバイトがあったから学費をまかなう事が出来たのだ。

 そんな事を語りながら、大学に行くよう愛花を口説いたのは、何を隠そうこのぼくだった。


 愛花と言えば、少し気になる事があった。

 学校がある時「片付け手伝います」とか「夕食作ります。その代わり少し勉強見てくださいね」などど理由を付けて、ぼくのアパートへ頻繁ひんぱんにやって来ていたのだ。

 この分では、春休みに入ったら、この部屋に入り浸りになるんだろうなと危惧きぐしていたが、意外にも愛花はあまり来なくなっていた。

 ひとつ言っておくが、ぼくはそれを、残念に思っているわけではない。



「少し前までは高校出たら就職するって言ってたのにね」

 と相良が言った。

「その時点では、学費の心配があったからな」

「今はその心配がなくなったってことだね」

「そういうことだ」

「それなら行った方がいいわ、大学。あの頭いいからね」

「おれもそう思う。園宮は国立大学に入るつもりで頑張っているよ」

「国立大学って、この駅の近くにあるやつよね。春木君が行ってたところじゃないの。うわぁ、超難関じゃん」

「大丈夫だよ、あいつなら」

 ぼくは少し離れた所にある母校に目を向けた。


 彩香の一件では相良には救われたし、時々家事をしに来る愛花にも助けられていた。

 だからぼくは、愛花には大学に進んで、見識を広げて欲しいと思ったのだ。


 とその時だった。

「あっ。来た来た」

 相良はぼくに横顔を向けて、駅の西側の舗道に向かって、誰かに大きく手を振った。

 待ち人が来たようだ。

「じゃあ、おれ行くよ」

 ぼくがきびすを返そうとすると、

「大輔じゃないか」

 と声を掛けられたので振り返った。

 それは梶山界人だった。

「界人! えっ?」

 とぼくは相良の顔を見た。

 相良も えっ? て顔になった。

 すぐ傍までやって来た界人を加えて、ぼくたちはまさに三竦さんすくみ状態になった。


「あの、春木君と梶山君って知り合いだったの?」

 と沈黙を破ったのは相良だった。

「ああ、春木とは中学からの付き合いで、高校も大学も同じなんだよ」

「ええっ! 梶山君も国立大学卒なの? 見えないよ!」

「ひどいなぁ。―――そ、それよりも、琴美ちゃんと大輔って、もしかして…」

「違うよ」

 とぼくは界人の言葉をさえぎった。

「おれがスーパーのバイトしてたのは知っているな」

「ああ」

「相良はそこの正社員で、今日は偶然くわしたって感じ」

「そういうことか」

 界人は納得したように頷いて見せた。


「それより界人こそ何で相良を知っているんだ?」

 ぼくが聞くと、界人は相良の顔色をうかがっていた。

 話していいのかどうかためらっているようだ。

 そんな界人の気遣いに相良は笑顔を見せた。


「隠すことじゃないわよ。梶山君とは居酒屋で知り合ったのよ」

 と相良は言った。

「わたしよく飲みに行くんだけどさ。梶山君と出会った晩はちょっと嫌なことがあって、深酒して酔っぱらってしまったのよね。変なヤンキーにお持ち帰りされるところを、梶山君に助けてもらったってわけよ。ほら、その時の勲章がまだ残っているよ」

 相良はそう言いながら界人の左顎に手を置いた。

 少しだけ青アザになっていた。


「でもね」

 と相良はぼくを見た。

「わたしと梶山君とは何にも無いよ。友達だよ」

「知り会ってまだ三日なんだ」

 と界人が照れ臭そうに言った。


「じゃあ、今日が初めてのデートってことか」

「いや、デートとかじゃなくて…」

「ああ、悪い。まだそんな段階じゃないよな」

「ほらほら、細かいことは気にしない」

 相良はいたずらな笑みを見せながら、

「デートでイイじゃん。さあ、行こ行こ」

 と界人の背中を押した。


 界人は苦笑いを浮かべ、すまなさそうな顔をぼくに向けた。

「それじゃな、大輔。あのさ、また連絡するわ。頑張れよ」

「おう、おまえもな」


「じゃあね、春木君」

 と手を振る相良と界人の背中を、ぼくは見送っていた。

(界人のヤツ気を使いやがって)

 界人には一月前の彩香との一件を話してあった。


 職場が近いこともあって、界人は学生時代のアパートにそのまま住んでいた。

 ぼくアパートと界人のアパートは近い距離にあったから、学生時代よりも会う頻度は多くなっていた。


(相良と界人か……)

 いいコンビかも知れない。

 後は界人に相良の全てを受け入れる度量があるかどうかだ。


(おれも何か見つけなくちゃ)

 彩香との今までを上書きできる物を見つけたいと思った。

 それは仕事でも趣味でも、好きな相手でもいい。

 目標となるもの、夢中になれものが欲しかった。

(でなきゃおれは、本当に彩香を忘れることは出来ない)

 他の男に体を許したうえに、リベンジポルノをアップロードするような男だと疑われたのだ。

 身震いほど悔しかった。

(おれを裏切ったことを後悔するような恋人を見つけてやる)

 それが、ぼくができる唯一のリベンジだった。


(恋人か……)

 ふと愛花の顔が浮かんだがすぐに首を横に振った。

 いろんな意味で愛花には抵抗があった。

 相良も悪い女ではない。いや、心根は意外なほどピュアで思いやりもある。

 だけど相良の心はこじれ過ぎていて、心が不安定な今のぼくに彼女を受け止める包容力はなかった。

 ともあれ、相良はいい人だと思うが、異性として見るよりも友人のような存在だった。

 

 それ以外にぼくの身近にいる女性は、同期の橘美幸たちばなみゆきと関関同立の女性二人くらいだ。

(おれって……学生時代にも友達と呼べる女子もいなかったな。ほんと女っ気が少ないよな)

 今更ながらそう思った。

(彩香しか見てなかったもんな……)

 結局そこに落ち着いてしまう。

 

 ポケットの中のスマホを握り締めた。

 スマホの中の画像ファイルには例の彩香とのツーショットがまだ残っている。

 何度も削除しようと試みるも、結局は消せないでいた。

(未練がましいな)

 女々しいとも思った。

 だけど今は、消したくないと言う気持ちの方が強かった。

 何故だか分からないが、今消したら、後悔しそうな気がした。

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