第85話 平凡な幸せ
年が明けた。
榊原家を交えての
しかし、榊原家を避けたわけではない。
十二月三十日から一月三日まで年末年始休暇としていた、アンビシャスの冬休み特別講習が四日から再開するからだ。
愛花は進学校を目指すクラスの国語・英語・社会を担当していた。
一月五日は二時から五時の間だけ講義の空いた時間があったから、ビストロ ペッシュの奥の一角で、美宙の二歳の誕生日会を行う予定で落ち着いた。
限定された時間に、榊原さんの都合が合わなかったという訳た。
愛花の講義の時間に、短い時間だけでも美宙を預かりたいという口ぶりは感じられたが、それに甘えたくない愛花の気持ちもあって、榊原さんも強くは言って来なかった。
最近になって分かって来たが、ヒロシの両親はちゃんとした良識を持った人たちだ。
しかし、人間というものはいつでも完璧でいられるわけではない。
愚かな行動を取る瞬間もあるのだ。
ヒロシへの愛情の反動が、間違った形で愛花に向けられのだ。
愛花もその事は理解しているようだ。
今まで何があっても榊原さんを責める言動は見せなかった。
心に留めるものはあった筈だ。
だが、一切の負の感情を愛花は心の中に
ヒロシの両親だからである。
愛花のヒロシへの想いが感じられた。
(とにかく)
平穏な日常が続くに越した事はない。
今のところぼくたちは順調な日々を送れていた。
桃子さんのレストラン経営は軌道に乗っているので、愛花が家計と隆二の学費を心配しなくてもよくなっていた。
愛花の大学の費用も出せると、桃子さんは言っているのだが、愛花はそこに甘えなかった。
「自分の学費と美宙の養育費用だけなら結構ゆとりがあるのよ。心配しないで」
それより、と愛花はいたずらっぽく笑った。
「おかあさんこそ、老後の費用を貯蓄しないといけないんじゃないの?」
「もう、愛花ったら ――― お母さんを年寄り扱いするなんてひどいわ」
「だって美宙のおばあちゃんでしょ?」
「そ、そうだけと……でもおばあちゃんは酷いわ。わたしまだ三十代なのよ」
そこへ美宙が身を乗り出して来た。
「おばあちゃんじゃない。トウコさんだよ。――― ね、トウコさん」
美宙がニコリとした。
桃子さんは美宙におばあちゃんとは呼ばせず、『とうこさん』と呼ばせていた。
「モォ ――― ミーちゃん可愛すぎ!」
桃子さんは美宙をギュっと抱きしめた。
美宙がいる時の桃子さんはテンションが高い。
「ほら、見なさい。愛花より、ミーちゃんの方がちゃんと分かっているわ」
桃子さんは勝ち誇ったような表情を向けた。
いつもの落ち着いた雰囲気の桃子さんが見せる
「なあに、春木君ったら、コソコソ笑って、いやらしいわね」
とパーティメニューを両手に抱えた琴美が、ニヤニヤするぼくを見て、からかって来た。
「そりゃそうだろう」
とぼくも言い返した。
「今の桃子さん、美宙よりも可愛いんだもん。これがニヤけずにいられるかよ」
「それ、愛花ちゃんの前で言う? 春木君、地雷踏んだわよ」
「え?」
ぼくは愛花を見た。
愛花はブゥと頬を脹らませている。
「別にいいけど……」
でも目は笑っていた。
「琴美さん、任せっきりでごめんなさいね」
申し訳なさそうにする桃子さんに、
「なに言ってるんですか。信一郎の誕生日にはわたしに時間くれたじゃないですか。今日はその時のお返しですよ」
琴美は張り切っていた。
そこへ信一郎を連れた界人が飛び込んで来た。
「あっ、シンちゃんだ」
美宙が二人に手を振った。
「ミソラちゃん。おたんじょう日、おめでとうございます」
そう言って信一郎が美宙に手渡したのは、美宙のお気に入りキャラクターのぬいぐるみだった。
「うわぁ、うれしい。ありがとう、シンちゃん」
満面の笑みの美宙に、信一郎も笑顔で答えていた。
「ごめんごめん。道が混んでいて遅くなったよ」
と界人がぼくの向かいに座った。
「車で来たのか?」
「ああ。電車でも良かったんだけど、仕事では車を使わないものだから、休みの日は、練習を兼ねてハンドルを握っているんだよ。――― ところで大輔はいつ車買うんだ?」
「おれか? そうだな、別に車に対するこだわりはないし、必要な時にレンタカーを借りればいいと思っている」
実際、愛花や美宙
「堅実な大輔らしいな」
と界人は笑った。
「それで、どれくらいの頻度でレンタカーを利用しているんだ?」
「そうだな……。月一回くらい……かな? 二回の時もあるけど、月一の方が多いな」
「それだったら、年間通してトータルで考えたら、レンタカーの方がずっと経済的だよ。車の維持費なんかも不要だからね。後はペーパードライバーにならないことだな」
「それは問題ないよ。免許取ってからは、公用車で色々と県の施設を走らされているから」
「常にハンドルを握っているなら、問題なしだな。ただ、急用ができた時はすぐに出動できないから、ネックポイントはそれくらいかな? そんな時はおれか琴美に言ってくれたらいいよ。平日は使ってないし、休みの日も近くの公園で遊んでいることの方が多いから、貸してやれると思うよ」
「すまないな。その時は頼むよ」
多分ぼくから借りる事はないだろうけど、界人のそんな気遣いは嬉しかった。
美宙の誕生会が終わると桃子さんはキッチンに入り、愛花も五時から講義があるのでアンビシャスに戻った。
そして美宙をアンビ連れて行こうとしたのだが、美宙がぼくのズボンを引っ張った。
振り返ると、そこに寂しそうな顔の美宙がいた。
何も言わないが、指をくわえてぼくを見上げるその目が全てを語っていた。
(おれと離れたくないのだ……)
園宮家に連れ帰る事は可能だ。
しかし、隆二は友達と出かけていて、園宮家には今誰もいないし、ぼくもカギは持っていない。
(どうしたもんかな……)
そう考えていると、ビストロ ペッシュを出たところで、界人がぼくの肩を指で小突いた。
「乗って行けよ。明日から仕事だけど、園宮さんが講義を終えるのは九時だろ? それまで家で信一郎と遊べばいいさ。おまえは大丈夫だろ?」
「ああ、おれは問題ないけど……頼めるか?」
「信一郎も美宙ちゃんが一緒の方が喜ぶんでね。――― そうだろ? 信一郎」
「うん。ミソラちゃんといるとたのしい」
と信一郎は界人を見上げて笑った。
「えっ? シンちゃんのおうちにいくの?」
と美宙が目を大きく見開いた。
ぼくが頷くと、
「やったぁ! うれしい! ねぇねぇ、ダイスケさんもいっしょでしょ?」
「ああ、一緒だよ」
「やったぁ! ミソラ、シンちゃんのおうちにいきたい!」
さっきまでの憂い顔が嘘のように美宙ははしゃいでいた。
「ありがとな、界人」
「気にするなよ。さあ、行くぞ。あら、よっと」
界人は背後から信一郎を持ち上げると肩車をした。
「すごいすごい! ミソラもあれしたい! ダイスケさん、やってぇ!」
「はいはい」
おねだりする美宙を抱え上げると、ぼくも美宙を肩に乗せた。
寒々とした冬の夕暮れだったが、ぼくの心はとても
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