第83話 美宙が望むもの
誕生パーティは桃子さんのお店、ビストロ ペッシュで行われた。
最初、界人のアパートを予定していたのだが、興奮した
階下の住民の迷惑を考えると、気が気でなかった桃子さんは、ビストロ ペッシュの奥まったスペースを使うように勧めてくれたのだ。
桃子さんは費用を受け取るつもりはなかったが、
「ダメですよ。サービスの対価はきっちりしないと」
琴美がそれを譲らなかったので、格安料金でメニューにはない誕生日セットを提供する事で折り合いがついた。
「シンちゃん、おたんじょうび、おめでとうございます」
一歳十か月の美宙は、
信一郎は美宙の誕生日プレゼントを受け取ると、
「ありがとうございます」
とぺこりと頭を下げた。
美宙と違って信一郎はあまり言葉を発さない。
だが、成長が遅いのではない。
信一郎は界人に似てとても思慮深く、子供にありがちな、思いつきで行動したりはしない。
今し方のことである。
美宙がペットボトルのキャップを開けようとしていた。
しかし……。
「あかない。あかない」
美宙は必死になってキャップを開けようとしたが、全然開かなかった。
それを見ていた信一郎が、無言で手を差し出した。
「あけてくれるの?」
「うん」
美宙からペットボトルを受け取った信一郎も、最初は普通にキャップを回そうとしたのだが、やはり開かなかった。
信一郎はペットボトルをじっと見つめた。
ぼくも界人も次はどうするのだろうと見ていると、今度はペットボトルそのものを回したのだ。
するとさっきまで動かなかったキャップがカチッとなった。
信一郎はキャップを最後まで開けないで、キャップリングを切ったところで美宙に手渡した。
「どうぞ」
「ありがとう。シンちゃん」
キャップリングが切れたペットボトルは、美宙の力でも簡単に回す事が出来た。
てこの原理 ――― 物理的表現をすれば『力のモーメント』ってヤツだ。
もちろんそれを理解した訳ではないだろうが、逆転の発想が出来る二歳成りたての信一郎の利発さに、ぼくたちは驚いた。
ぼくは隣りにいる界人を肘で突いた。
「信一郎は天才かも知れないぞ」
「おおげさだよ」
と笑い捨てながらも、界人も満更ではない感じだった。
美宙と信一郎は仲が良かった。
アンビシャスの経営する託児所・アンビで過ごす時間が多い事もあるだろうが、活発でおしゃべりな美宙に対して、幼いながらも思慮深く物静かな信一郎とは、何故か気が合っていた。
アンビで何度か見かけた事はあるが、美宙と信一郎はいつも一緒にいた。
ブロック遊びしている時なんかはつい性格が出る。
勢いで組み立てて行く美宙は、作業は早いけど行き詰ってしまう。
それに対して信一郎は、取り掛かる前にじっくり考え、作業を開始しても慌てずゆっくり組み立てて行く。そして必ず美宙より先に、構想していた物を完成させるのだ。
「ミソラちゃん、ここがヘンだよ」
自分の作業が終わった信一郎は、美宙のフォローに回る。
決して勝手に触らず、穏やかな口調で美宙に指摘するだけだ。
美宙も、信一郎の言うことを素直に受け入れる寛容さがある。
そうやって美宙も最後は完成に至るのだ。
「やったぁ! シンちゃん、ありがとう」
行動する美宙と、考える信一郎。
二人はとてもいい関係を築いていた。
「ミーちゃんは本当にお
料理を運んできた桃子さんが満面の笑みを見せた。
「信ちゃん、いつも美宙を助けてくれてありがとうね」
「うん」
と信一郎は小さな声で返す。
「ごめんなさいね、店長。勤務時間なのに、二時間も休憩時間をいただいて」
と琴美が申し訳なさそうに言ったが、桃子さんは笑っていた。
「いいのよ。この時間帯はお客さんが少ないから。お誕生日会は大切な行事よ。家族が一緒にいなきゃいけないわ」
「ありがとうございます」
とその時、チリンチリンと、入口の扉が開く音がした。
「間に合ったわね」
と入って来たのは、橘美幸だった。
「たった今授業が終わったのよ。信一郎君の誕生会があるって聞いていたから、来たんだけど、わたしもそっちの席に座っていいかしら?」
と言いながらも橘はすぐ傍まで来ていた。
「いいわよ。さあ、こっちに入って」
と琴美が勧めたのは美宙の隣りだった。
「美幸ちゃんのお目当ては、信一郎じゃなくて、美宙ちゃんでしょ?」
「あは……。バレちゃった?」
「バレバレよ。―――美宙ちゃん、美幸ちゃんが来たわよぉ」
美宙は満面の笑みを向け、
「ワ~イ! みゆきちゃん、うれしい」
橘に抱き付いた。
「こんにちは、美宙ちゃん。う~ん、可愛い!」
橘は美宙の頬にスリスリした。
橘は今、アンビシャスの本部で勤務していたから、愛花のアルバイトがある日は、美宙と顔を合わせる日が多かった。―――と言うよりは、空いた時間があると、一日一度は、アンビにいる美宙に会いに行っているらしい。
人懐っこい美宙に、橘は胸キュンキュンだった。
とは言え、今日の集まりが何なのか知らない橘ではなかった。
「信ちゃん。お誕生日おめでとう」
と信一郎へのプレゼントも忘れていなかった。
信一郎は少し変わった所のある幼児で、子供が喜ぶおもちゃとかお菓子にはそんなに興味を示さなかった。
信一郎が好きなのは珍しい石だった。
それを知っていた橘は、五十個の変わった石の入ったコレクションケースをプレゼントしていた。
「やったー! ありがとう」
あまり感情を
コレクションに釘付けになった信一郎は、
「おとうさん、これなに」
と界人を質問攻めにしていた。
「これはターコイズで、これはタイガーアイ。それはトパースで、その隣は凝灰岩で……」
(おいおい、界人。二歳児にそんな説明で理解出来るのかよ)
ぼくは一人ほくそ笑んでいた……。
その時ぼくは、界人と信一郎のやり取りを、ジッと見つめている美宙に気が付いた。
そのつぶらな瞳は、ハッとする程
誕生会が終わると、ぼくと愛花は美宙を連れ、帰り道を歩いていた。
「美宙、どうかしたの?」
と愛花がトボトボ歩く美宙に尋ねた。
誕生会の後半、美宙は急に寡黙になっていた。
愛花もそれを気にしているようだ。
「なんでもない…」
美宙はそう答えた。
いつもの爽やかな笑顔は見られなかった。
「ダイスケさん」
美宙がぼくのズボンを摘まんだ。
「だっこ」
と甘えた声を出した。
「どうした? 疲れたのか?」
ぼくは美宙を抱え上げ、腕の中に抱きとめた。
美宙は指をくわえてシュンとなっている。
ぼくは美宙の背中をヨシヨシと撫ぜた。
「次は美宙の誕生日だな。美宙は何が欲しい?」
「うん……」
「欲しいものはないのか?」
「ある」
「何でも買ってあげるよ」
しかし美宙は小さく首を横に振った。
「いらない」
とぼくの肩に頬を押し付けた。
「どうしちゃったのよ、美宙」
心配した愛花が苛立ったように言った。
美宙は愛花の視線を避けて顔を背けた。
「愛花」
とぼくは愛花を制した。
「美宙もいろいろと感じるものがあるんだよ。大人がイライラしてはダメだ。おおらかに構えた方がいい」
「そうね」
と愛花は素直に頷いた。
「ごめんね、美宙。ゆっくりでいいからお話してね」
愛花の言葉に美宙は素直に応じ、頭の位置を元に戻して愛花を見た。
「ミソラ、ほしいのある」
「それはなぁに」
一瞬
「おとうさん」
「………!」
愛花とぼくは固まってしまった。
「ダイスケさんがいい。ミソラのおとうさんになって」
思い詰めた美宙の瞳に、ぼくは返す言葉が思い浮かばなかった。
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