第82話 ヒロシの三回忌





 一週間後。

 ヒロシの三回忌が来た。

 呼ばれたのは、須浜高校時代の野球部やヒロシと仲の良かった友人たちだった。

 榊原さんは元々関東の出身で、親戚縁者しんせきえんじゃは当然のごとく、関東にきょを構えている。

 二年続けてこちらに出向いてもらうのは大変なので、去年の一周忌の時に、同時に三回忌も済ませていたようだ。

 だから今年の本当の三回忌は、親戚は呼ばずに、ヒロシと親しかったものだけを招いての法要となった。

 

 いずれもヒロシの同級生か後輩たちだったので、どうしてもぼくだけが浮いた存在となっていたが、白石花音しらいしかのんや去年大神クーガースに入団した水沢が、そんなぼくに気遣い、色々と話し掛けて来てくれた。


「水沢君はだいじょうぶなの? 練習とかあるんじゃなかったの?」

 と愛花が水沢に聞いた。

 水沢はレギュラーが定着した訳ではなかったが、今年から一軍ベンチ入りを果たして、時々スターティングメンバーにも選ばれていた。


「園宮先輩。今日の試合は地元ですから、夕方の四時までに球場に入ればいいんです。プロの世界は結果が全てなんですよ。ぼくはいま調子いいから問題ありません。余裕です」

 と水沢が言うと、白石がその左肩に軽くパンチをいれた。

「調子に乗り過ぎよ。あんた最近ちょっと、浮かれていない? もっと気を引き締めた方がいいよ」

 辛口の白石にそう言われシュンとなった水沢に、皆が笑い声をあげた。

 白石には今も頭が上がらないようだ。


 愛花はそんな彼らの中に溶け込んでいる様子を見せながらも、榊原夫婦とその傍で笑っている美宙に意識を向けていた。

 何か問題があるわけではない。

 愛らしい仕草を見せるヒロシそっくりな美宙の前で、榊原夫婦が満面の笑みを以って接しているだけだ。


「ごめんなさいね」

 愛花の視線に気付いたアリサがぼくと愛花の傍に寄った。

「美宙ちゃんがあまりにもヒロシに似ているものだから、おとうさんたち、可愛くて仕方ないのよ」

「いえ、気にしないでください」

 と愛花は言った。

「ヒロシの子供なんだもの。榊原さんからすれば孫なんですから」

 愛花は理解を示していたが、ぼくは釈然としなかった。




 一時間ほど前に戻る。

 ぼくと愛花は水沢や白石が来る少し前に呼び出されていた。

 玄関に入るぼく達を出迎える榊原夫婦の表情は少し硬かった。

 だけど、愛花が抱く美宙を目にした時、その表情は崩れた。


「ヒロシ……そっくり……」

 ヒロシの母親が唇を震わせてそう言うと、ヒロシの父親は充血した目で何度も頷いた。

「抱かせてもらって……いい?」

 とヒロシの母が手を差し出した。

 まなかは無言で頷いて美宙を差し出そうとしたが、

「ちょっと待ってください」

 とぼくが二人の間に入った。


 驚いたようにぼくを見るヒロシの両親に、

「何かいうことがあるはずです」

 とぼくは強い口調で言った。

 ヒロシが死んでどん底だった愛花に、追い打ちをかける言葉を吐いたこの二人を、ぼくは許せなかった。

 だけど……。


「大輔さん……」

 愛花がぼくを見て微笑んだ。穏やかな笑みだった。

 そしてゆっくりと首を横に振った。

「ヒロシのご両親には美宙を見て欲しいの。ヒロシだってそれを望んでいるはずよ」

「いいのか?」

(おまえはなんでそんな顔が出来るんだ? あの時の鬼のような言葉を聞き流せるというのか?)

 そんな思いが口をついて出てきそうだったが、愛花の思いを無下むげにしたくなかったので、その言葉を飲み込んだ。

 

「大輔さん、ありがとう」

 もう一度微笑えむ愛花に、ぼくは逆らえず、道を開けた。


「榊原さん、この子、美宙って言います」

 愛花の手からヒロシの母の手に美宙が渡された。

 人見知りしない美宙は、ヒロシの母を見て、あの爽やかな笑顔を彼女に向けた。


「まっ……」

 ヒロシの母はその一言を発した後、ボロボロと涙をこぼした。

「ヒロシとおんなじ……笑い方をするのね……」

 言いながら美宙を抱きしめた。

 ヒロシの母の涙に反応して、美宙は彼女の頭を撫ぜた。

「なきなき、しない。いいこ、いいこ」

「………! この子ったら……なんて優しい子なの……! ヒロシに……そっくり……」

 ヒロシの母が嗚咽おえつすると、今度はヒロシの父が美宙を受け取った。

「こんなに小さいのに、もう、人の気持ちがわかるんだな……。まるで、あいつを見ているみたいだ」

 ヒロシの父も目を真っ赤にしていた。 

 そして愛花に向きあい頭を下げた。

「許して欲しい。本当にすまなかった」


(そんな簡単な言葉ですませるつもりか!)

 何か償って欲しいわけではなかった。

 ぼくは苦しんでいたあの日の愛花の姿を知っている。

 表面的には冷静をよそおっているが、ぼくは心底しんそこ二人を許せなかった。

(だけど……)

 ここはぼくが前に出る場面ではなかった。

 ぼくは沈黙を守ったまま、後ろに隠した両手を握り締めた。

 すると、その手を愛花がそっと握ってきた。

 ぼくはすぐ後ろにいる愛花を見た。

《だいじょうぶだから》

 愛花の目がそう言っていた。


「榊原さん」

 愛花の声は落ち着いていた。

「もういいです。わたしが今日ここに来たのは、美宙を見て欲しかっただけだから」


「ごめんなさい、園宮さん……」

 とヒロシの母が泣きながら愛花に寄りそった。

「あの時、ひどいこと言って、本当にごめんなさい……」

 愛花はただ笑みを浮かべただけだった。


「それから、春木さんにもあやまりたいんです」

 ヒロシの母はそう言うと、スマホを取り出した。

 傷だらけで薄汚れたスマートフォンだった。

 愛花の瞳が大きく見開いた。


「ヒロシの……スマホ……」

 そう言ったきり、言葉を詰まらせた。


「少し前に事故現場の海岸でヒロシのスマホが見つかったのです。チャットのやり取りでヒロシのものだと確認でき、送ってもらいました」

 と説明したのはアリサだった。

「中のデーターが復元できたのは、数日前なんです」

 言いながらぼくに目を向けた。


「それじゃ」

 とぼくもアリサに向き返った。

「はい。ヒロシが最後にメッセージを送ったのが、事故機が墜落寸前だったことが分かりました。送信の相手は園宮さんでも、わたしやわたしの両親でもなく、あなただってことも分かりました」

 アリサは母からスマホを受け取ると、ぼくにLINEのトーク画面を見せた。


 ――― まなかを ―――


 そこには、あのヒロシのダイイングメッセージがあった。


「死を目前にしてもなお、ヒロシは、園宮さんのことが心配だったんですね。だからヒロシは、信頼できる春木さんに、園宮さんの後事こうじを託して、このメッセージを送ったんじゃないでしょうか?」

「たぶん、そうだと思う」

 ぼくは頷いた。

「死が迫りつつある中で、自分のことよりも愛花のこれからのことが心配で仕方なかったんだよ。――― もしかしたら妊娠させたかもしれない。だけどもう自分には何も出来ない。そんな歯がゆさをいだきながら、ヒロシ君はおれに頼ることしか出来なかったんだ。おれはヒロシ君のことが好きだった。歳は離れているが、親友だと思っていた。そんな彼のダイイングメッセージに、おれは応えたいと思っている。だからこれからも愛花と美宙のことは守っていきたいんだ」

「それは園宮さんと未来を共有するってことですか?」

「えっ?」

「美宙ちゃんの父親になる ――― つまり、園宮さんと結婚するってことですよね」

「そ、それは……」

 ぼくはそれに答えられなかった。

 今まで、愛花とこんなに近い距離にいながら、そんな事は考えてもみなかった。


「変なかんぐりはよしてくれ。おれは不埒ふらちな気持ちで、愛花の近くにいるんじゃない」

 つい、声を荒げてしまった。

 愛花や榊原夫婦がびっくりしたようにぼくを見た。

 ぼくはどんな顔をしていたのだろうか。


 黙りこくってしまったぼくに、

「分かっていますよ。春木先生らしいですね」

 アリサは久しぶりにぼくを先生と呼んで、意味有り気に笑った……。

 



 三回忌が終わった後、榊原夫婦に呼び止められた。

「園宮さん。これを受け取ってください」

 ヒロシの母が愛花に封筒を手渡した。

「なんでしょうか?」

「これからも時々でいいから、美宙ちゃんを見せに来てくれませんか? これは美宙ちゃんが大学を卒業するまでの…」

「受け取れません」

 愛花は初めて険しい顔をして見せた。

「ヒロシが榊原さんたちに残した遺産です。わたしはそれに手をつけるつもりはありません」

 そう言って封筒をそっと押し返した。

 ヒロシの両親は困惑した様子だった。

「心配しないでください。美宙の学費くらい自分で稼ぎます」

「園宮さん……」

「そんなことしなくても、美宙に会いたい時は連れてきます。だって、お二人は、ヒロシのご両親なんですから」

 甘えるつもりはない、と言わんばかりの、愛花のりんとした態度に、榊原夫婦は気後れしたようだった。

 きっとそれは愛花なりの意地だったに違いない。

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