第81話 心のままに





 四月二十九日。

 亡くなってから四年目になる彩香の命日だ。

 年忌法要は三回忌・七回忌・十三回忌と執り行われるが、それから外れる今年は、立花家の縁者は呼ばず、彩香の親友だけでの法要となった。

 法要と言っても、住職は呼ばず、近くの料亭から取り寄せたランチ会席のお食事会といった、飾らないものだった。

 

 ぼくと愛花と彩香の二人の女友達。界人を加えた六人にしぼられていた。

 そして、それに加えて美宙みそらもいた。

 美宙は界人の家で留守番させるつもりだったけど、立花夫婦が愛花の子供を見たいと言うので、連れて来たのだ。


 彩香の二人の女友達は、ぼくや界人とも付き合いがあった。

 二人の名前はそれぞれ井畑尚子と荒木優香。同じ中学校だった。

 ぼくが彩香と付き合うようになってから、界人も加えたグループ交際みたいな感じで、色々と遊びに行ったりしたものだった。


 高校が違った事から、徐々に遊ぶ回数は減っていき、大学に入ってからは会わなくなっていたが、彩香は大学に入ってからも、二人との交流を続けていた。


「春木君。梶山君。お久しぶり」

「二年振りよね。彩香の三回忌以来だよね」

 井畑と荒木は口々にそう言った。


 法要について補足すると、亡くなってから満一年の法要を一周忌と呼ぶが、翌年の年忌法要は二ではなく三となり、それ以降は七・十三など、で表現されるのだ。


「―――ちはぁ。ミソラでしゅ」

 会釈する二人に返すよう、美宙が自己紹介をして、愛らしくも爽やかな笑顔を向けた。


「うわぁ――― この子可愛い!」

 荒木が美宙の頭を撫ぜた。

「本当、可愛い。それよりもちゃんとお返事出来るのがすごいわ」

 と井畑が目を丸くした。

「姉の子が今、二歳なんだけど、この子の方が随分しっかりしているわ。本当にこの子、一歳四ヶ月なんて信じられないわ」


 そんな二人の驚きをよそに、何が楽しいのか、美宙は部屋の中を走り回っていた。

「美宙、走っちゃダメよ」

 愛花が止めようとするが、

「愛花ちゃん、いいのよ。幼い子が走り回っている姿ってなんだか懐かしいわ。たくさん人が集まっているから美宙ちゃんは楽しくて仕方ないのよ」

 と彩香の母・京子さんが、走り回る美宙の姿を、目を細めて眺めていた。


「それにしても美宙ちゃんは元気いっぱいだな」

 と彩香の父・茂さんが言った。

「子供というものは確かに元気だけど、この子の場合は、持って生まれた身体能力そのものが違うんじゃないのかな? ほら、今ジャンプしたけど、かなり飛んだよ」

「本当、凄いジャンプ力だわ」

 と京子さんが言った。

「一歳四ヶ月といったら、成長の速い子供が、よろけながら小走りするくらいなのに、美宙ちゃんは飛んだり跳ねたりしても、全然よろけないし、走りそのものがとても速いわ。身体のポテンシャルはかなり高いんじゃないの」

「そうですね。父親は野球選手でしたからね」

 愛花はそう口に出した後、一瞬表情を曇らせたが、すぐに笑顔を作って見せた。


 すぐ隣では、荒木と井畑が界人をいじっていた。

「まさかこの中で梶山君が最初に結婚するなんて思ってもみなかったわ」

 井畑の言葉に荒木が反応した。

「それよ、それ。絶対に一番最後 ――― ならまだマシで、もしかしたら一緒独身じゃないかって心配していたのよ」

「嘘つけ。おまえたちがおれを心配するわけない。独身確定だと思っていた男が先に入籍したもんだから、本当のところ焦ってんじゃないのか?」

「実はそうなのよ。梶山君に先を越されたのは結構ショックなのよ」

「そうよ。ショック、ショック、大ショック。わたし来月で二十六なのよ。わあ――焦るわぁ」

 なんて会話で盛り上がっていた。


「ダイスケしゃ~ん」

 美宙がぼくに飛び込んで来た。

 これを機にぼくは美宙を膝の上にすわらせた。

「はい。イタズラはおしまい。静かしようね」

「しずかに、すゆ」

 美宙はぼくの足の上でおとなしくなった。


「美宙はほんと大輔さんの言うことはよく聞くわね」

 愛花は呆れたように言いながら手を差し伸べたが、美宙はそっぽを向いた。

「イヤイヤ、ダイスケしゃん、しゅき」

 そう言ってぼくにしがみ付いた。


「あははは。園宮さん、大輔に美宙ちゃん取られちゃったね」

 と界人が笑った。

「美宙ちゃんは本当に成長が早いよ。頭もいいし、運動神経も抜群だし、背も高い。信一郎の方が二ヶ月早く生まれたのに、美宙ちゃんの方がお姉ちゃんみたいだよ」


「スポーツ万能なのはお父さん似なのよね」

 と井畑が入って来た。

「頭がいいのはお母さんに似ているんだわ」 

 と荒木も加わった。

「梶山君達と同じ国立大学よね。すごいじゃないの。――― 彩香の後を引き継いで書いた『君の未来』中編。わたしも読んだけど、すごくよかったわ。彩香が書きたかったことしっかり押さえて書いているって感じだったな。さすがに彩香が見込んだお弟子さんって感じがしたわ」

「ありがとうございます。でも、それ、いいすぎですよ」

 と愛花ははにかみ笑いを浮かべた。


「ところで」

 と井畑が身を乗り出した。

「後編の『君の未来』はいつ頃書き上がるの。わたしも続きが気になっている一人なんだよ」

「えっと…まあ、今はまだ…プロット構築の途中なんです」

 と愛花は苦笑いした。

 その様子を見て井畑も何かを察したのか、それ以上深追いはして来なかった。


 ぼくも最近になってようやく、彩香が闘病中に書いた二作目の長編と『君の未来』の前編、そして愛花との合作になった中編を読み終えていた。

 『君の未来』前編は愛する男性が不治の病と知り、闘病生活に入る彼に主人公が寄り添い、座して死を待つのではなく、彼を見限った西洋医学以外に活路を見い出そうと奮闘する内容である。

 しかし、そんな努力も空しく、彼は「ありがとう」と言って息を引き取ってしまった。

 ぼくと彩香の現状を逆転させた話だった。

 それが前編のストーリーだ。


 『君の未来』中編は彼を亡くした後の主人公が、死への誘惑にかられながらも「生きて欲しい」と残した彼の言葉だけを頼りに、歩き出そうとした。

 それでも、中々前を向くことは出来ず、仕事で上手く行かない日々が続いたある日、彼のもとに行こうと決意するが、ここで新たな出会いが訪れる。 

 物語の中盤から、ヒロシをモデルにした同い年の青年が登場するが、ここからは愛花が書いたものだ。


『ワンチャンでいいんだ。プロに入って、一軍の試合で一本のヒットを打ちたい。それさえ叶えられたら、おれは野球からは卒業して、実家の定食屋の後を継ぐつもりだ』


 どこのチームにも属せず、プロ野球選手を目差して孤軍奮闘する、風変わりな青年に主人公は少し興味を持った。


『おまえ、死ぬつもりなら、おれのプロの舞台でのヒットを見届けてから死ねよ』


 ひょんなことから出会った青年とそんな約束をさせられ、主人公はしばらくその青年の動向を注目する事にした。

 彼を応援する日々の中で、徐々に笑顔を取り戻して行く主人公だった。

 そして翌年、彼はプロテストに見事合格したところで中編は締めくくられていた。


 まさにヒロシを彷彿とさせるストーリー展開だ。

『心の思うままラ書いて欲しい』

 そんな彩香の後押しがあった。

 彩香の作品の中に、自分の思いを融合させて描いたのが『君の未来』中編だ。

 彩香のぼくへの思い。

 そしてぼくの彩香への思い。

 それに加え愛花とヒロシの思いが刻まれた作品へと仕上がっていた。


 後編の展開は、忘れられない恋人への思いと、惹かれ行く青年への恋心。その葛藤の中でハッピーエンドに向かうというのが、ぼくが知る、この小説のプロットだ。


 愛花が筆を執った時の『君の未来』のヒーロー・ヒロインは、ぼくと彩香をイメージして描いていたはずだ。

 だけど今は、『君の未来』の主人公は、悲しくも、愛花そのものになっていた。


 ヒロシと描いていた未来予想図が、消滅してしまった今、愛花に『君の未来』の後編を望むのは、とても酷な事だった。

 だからぼくも立花夫婦も小説の事には一切触れないでいた。

 編集者からの催促はあるようだが、彩香の両親が、立花彩香の親という立場で、間に入ってくれているようだ。


 この先、愛花が筆を執る日が来るかどうかは分からない。

 だけどぼくは、それを推奨するつもりも、阻止するつもりもない。

 愛花が心のおもむくままに決めればいいだけだ。



 ぼくは美宙を膝に乗せたまま、彩香の遺影に目を向けた。

(彩香……おまえはどんな風に、この小説を締めくくりたかったんだ?)


 ――― わたしの物語は終わったわ。ここから先は、愛花ちゃんが決着つけなくてはならないのよ ―――


(ても、愛花は今、続きを掛けなくなっているんだ)


 ――― 焦ることないのよ。いつかきっと書きたいと思える時が来るわ。その時が来たら、心のままにキーボードを打てばいいの。愛花ちゃんなら、だいじょうぶよ。だから大ちゃん、あなたは愛花ちゃんのこと、ちゃんと見守ってあげるのよ ―――


(待ってくれ彩香……見守るって……おれはこれからどうしたらいいんだよ)

 しかし、彩香は心の小部屋に閉じ籠って返事をしてくれなかった。



「ダイスケしゃん」

 と膝の上にすわる美宙が、ぼくを見上げた。

 ぼくが視線を向けると、美宙の小さな手が、ぼくの頭に伸びて来た。

「いいこ、いいこ」

 と撫ぜ始めた。

「美宙?」

「ダイスケしゃん、いたいいたい、してゆ」

 美宙は悲しそうな顔でぼくを見つめ、なおも頭を撫ぜて来た。


 まだ一歳四ヶ月にも満たない美宙だが、こんなにも人の心が見えるものなのか……。

(ひろしくん、キミの娘は凄い感性の持ち主だよ)

 ぼくは美宙の頭を撫ぜた。

「おれはだいじょうぶだよ。ありがとう美宙」

 ぼくが笑いかけると、美宙はホッとした顔で、いつもの笑顔を見せてくれた。

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