第80話 アリサのメッセージ





 ぼくの職場でも変化はあった。

 今年の新卒採用の中にヒロシの姉・榊原亜理紗アリサの姿があった。

 とある昼休み。県庁近くの和食レストランで、アリサとバッタリ顔を合わせたのだ。

 アリサが県庁に入ったのは知っていたが、こうして対面するのは初めてだった。

「春木先生、お久しぶりです」

「ああ、アリサちゃん、久しぶり。て言うか、その先生はもうやめてくれよ」

「あははは、はい。そういたします。春木さん」

 アンビシャスのバイト時代、アリサはぼくの教え子第一号だった。


 アリサは一人だったが、ぼくの隣りには近江誠也がいた。

 近江とは、時々昼食を共にする間柄になっていた。

 最初は波長の合わないヤツだと毛嫌いしていたが、弟・順平を例の飛行機事故で亡くしてから、彼は別人のように控えめな人間へと変わった。

 そんな今の彼のスタイルは嫌いではなかったし、今では、職場で一番親しい間柄だった。

 何よりも、県庁敷地内での運転実習に、一番多くの時間を割いてくれたのが近江だった。

 運転免許を取れたお礼という事で、今日はぼくの方から誘ったのだ。


「確か、新入職員の人だったね」

 と近江が尋ねると、アリサはペコリと会釈した。

「榊原亜理紗です。初めまして」

「榊原……!」

 近江はつぶやくように言うとぼくの顔を見た。

 ぼくは頷いた。

「そうだよ。榊原宇宙ひろしくんのお姉さんだ」

「そうなのか……」

 近江は改めてアリサの顔を見つめた。


「あ、あの……」

 と事情を知らないアリサは戸惑った様子だった。

「取り敢えずすわったら?」

 ぼくが言うと、アリサは向かいの席に着いた。


「こちらは近江誠也。近江順平の兄だよ」

 そう紹介するとアリサは目を見開き、改めて近江の顔を見つめた。

「そうかぁ…キミの弟が榊原宇宙だったのか…」

 と近江はみしめるように言った。

「榊原さんもいろいろと大変だったんだろうな。うちの両親なんか、あの日以来、ずっと塞ぎ込んじゃって……なんか、一気に老人って感じになっちまったよ」

「ええ……よく分かりますよ。わたしの両親も変わってしまいました。見た目だけでなく、性格とか、その他もろもろで……」

 伏目がちにそう言った後で、何かを思い出したよう、アリサは顔を上げた。


「愛花ちゃんは今どうしているんですか? ヒロシの子供を身籠ったと聞いてから二年ほどつんですけど……」

「ああ。ちゃんと産んで育てているよ」

 ぼくはスマホを取り出すと、美宙みそらの映った画像をアリサに見せた。

 写真を見ていたアリサの手が震えているのが分かった。


「ヒロシに……そっくり……。この笑顔なんか…まるっきりヒロシの幼少のころの顔だわ……」

 アリサは涙がこぼれ落ちんばかりに、瞳を潤ませていた。

「本当にヒロシの子供だったんですね」

 そう言った後でアリサはハッとした顔になった。

「ごめんなさい。つい、変ないい方しちゃって……。両親が信じていないのをそばで聞いていて、わたしもほんの少し疑惑をいだいていました。でも……この子……本当にヒロシにそっくりだわ……。なんか……申し訳ないわ……愛花ちゃんに」


「今、一歳四ヶ月なるよ」

 泣き出しそうなアリサにぼくはそう言った。

「名前はミソラ。うつくしいそらと書いて、美宙と呼ぶ」

 とぼくはレシートの端切れにその漢字書いて見せた。


宇宙ひろしの名前を一文字……入れてくれているんですね。嬉しい……」

 アリサは涙をこぼした。

「ありがとうございます……」

 その日はそれで終わった。




 三日振りに、仕事帰りで愛花の家に寄った。

「ダイスケしゃ~ん」

 お出迎えはいつも美宙だ。

「美宙。こんばんは。今日も可愛いなぁ」

 飛びついてくる美宙を抱きとめた。

 その日の疲労が一瞬で吹き飛んだ。


「大輔さん、いらっしゃい」

 愛花が出て来た。

 美宙が家にいる時は愛花もいる。

 アンビシャスのバイトがある時は、アンビシャスの託児所・アンビに美宙を預けているからだ。

 愛花のスケジュールは把握してある。


 部屋に上がるとコーヒーカップを持った愛花がぼくの向かいにすわった。

 話したい事があるようだ。何気ない愛花の仕草でそれが分かった。

「どうかしたのか?」

「ええ……。十日後 ――― 五月六日のヒロシの三回忌に来て欲しいって……」

「榊原さんからか?」

 愛花は頷いた。

「榊原さんから直接じゃないけど、アリサさんから」

「アリサちゃんが勝手に言ってるだけじゃないのか?」

「ううん。ご両親が来て欲しいって言っているらしいの」


「ふざけるな!」

 怒りが沸き起こった。

 膝の上にいる美宙がビクッとしてぼくを見上げた。

 笑いかけると、安心したように、ぼくの胸に顔を押し付けて来た。

(感情をおさえて話そう)

 ぼくは一呼吸置いた。


「とにかくだ。あの人たちは愛花が一番つらかった時に、ひどい仕打ちをしたんだ、これから一切かかわって来るなと言ったのは、あっちの方じゃないか。行くことないよ」

「うん……。わたしも最初、ちょっとそんな気持ちになった……。でも、ヒロシからしてみれば大切なご両親よ。わたしとヒロシは結婚こそしてないけど、疎遠な状態が続く榊原家とわたしのことを、ヒロシはたぶん悲しんでいるんじゃないのかしら」

「それは……」

 生前のヒロシの事を思えば、彼が今の状態を望んでいないのは容易に察しがついた。


「返事はしたのか?」

「まだ」

「……行くつもりでいるのか?」

「……そうね。そのつもりよ。ヒロシの三回忌だもん……。それに、彼の両親にも美宙を会わせてあげたいから」


 腕の中の美宙を見ると、いつの間にか甘い寝息をたてていた。

「美宙ね、ずっとからウトウトしていたのよ。でも、大輔さんが来るからって、ずっと頑張って起きていたのよ」

「そうか……おれを待っていてくれたんだね」

 胸の奥からいとおしい気持ちが突き上げてくる。


(美宙はおれが守ってやりたい……)

 ぼくは美宙の頭を撫でながら、愛花のお腹の中にいる美宙も含めて、二人を見捨てた榊原夫婦を、どうしても許せないと思った。

 だけど、愛花には愛花の思うところがあるのだ。

 ぼくは正直なところ反対だ。

 だが、愛花が行くというのなら、ぼくは何も言う事はなかった。

 愛花の思いを否定したくはなかった。


「大輔さんにお願いがあるの」

 と愛花はぼくを見つめた。

 でもぼくには、口に出さずとも愛花の願いは分かっていた。

「いいよ」

 と答えると、愛花はキョトンとしてぼくを見た。

「おれも一緒に来て欲しいんだろ?」

「分かっちゃった?」

 愛花はやっと笑った。

「良かった……。でもね、これはわたしだけのお願いじゃないの」

「………?」

「榊原さんからそう言って来たの。大輔さんにも来てもらって欲しいって」

「なんでおれまで……?」

 そこまでは予想していなかった。

「分からないわ。でも、来て欲しいとアリサさんから何度もメッセージが来ているのよ。それに美宙に会いたいって言っているの」

 ぼくのスマホ画像にあった、ヒロシそっくりな美宙の存在をアリサから聞いて、美宙に会ってみたいと望んだのだろう。

 勝手な話だと思ったが、ぼくが決める事ではない。


「それで愛花は美宙を連れて行くのか?」

「そのつもりよ。大輔さんは、反対?」

「いいや、反対はしないよ。どの道、愛花が行くならおれも行くつもりだったからね。美宙も連れて行くのなら、なおさらだ」

「ごめんなさい」

「何をあやまってる? おれはヒロシ君から、愛花を頼むと託されたんだ。だからおまえの力には必ずなるよ。それに……」

 とぼくは腕の中の美宙に目を落とした。

「この子は、おれにとっても、かけがえのない存在なんだよ。美宙のことも守ってやりたい」

「大輔さん……ありがとう……」

 柔らかな笑みを浮かべる愛花は大人びて見えた。とてもきれいだと思った。


 出会ってから四年近くになろうとしている。

 まだあどけなさの残る少女だった愛花も、今では二十歳で、一児の母になっていた。


 そして、ふと思った。

(おれたちは一体どこに向かおうとしているんだろうか)

 いつか愛花が、違う誰かと新たな人生を歩む時が来たら………。

 ぼくはもう、美宙をこの手に抱くことは出来ないだろう……。

 そう思うと底知れない寂しさが込み上げて来た。

 ぼくは静かに眠る美宙を見下ろしながら、これからも多くの時間、ともに過ごせる事をせつに願った。

 その時が来るまで……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る