第46話 ラ・セーヌにて





 愛花たち未成年がいるので明るいうちに海水浴場を後にした。集合場所にしていた元町駅前に戻りそこで解散する事にした。


「今日はホント楽しかったわ。またこのメンバーで遊びに行こうね」

 動き出した車の助手席から手を振る相良に、ぼくたちも手を振った。


「春木さん、わたしたちもここで失礼します」

「今日は本当に楽しかったです。誘ってくれてありがとうございました」

 愛花とヒロシは丁寧ていねいにお辞儀じぎをした。

 愛花はこのあと受験講座がある。

 ヒロシは愛花をアンビシャスに送ってから帰宅すると言った。

 という事でぼくと橘美幸は二人きりで残される形となった。


 夕日に照らされる橘の横顔をチラ見した。

『愛花ちゃんって、春木さんのことも好きなんじゃないのかな』

 昼間の海浜で橘はそう言った。

 気配り上手な橘は勘も鋭い。


 その時のぼくは、久しぶり味わう夏色の風を心地いいと感じていた。

 その雰囲気を壊したくなかったから、ついその場しのぎの言葉を吐いてしまったのだ。

都会まちにもどったらご飯でも食べようか。その時いろいろ話すよ」

 初めて自分から橘を誘う形となった。


「後悔してる?」

 と橘が心配そうな目を向ける。

「わたしを食事に誘ったこと…」

(バレていたのか……)

 やはり彼女には隠し事は出来ないようだ。

 ぼくは大切な思いは胸の中に取って置きたいと思うタイプの人間だ。だから安易に彩香や愛花の事を人には話したくなかった。

(だけど……)

 橘なら話していいのかもしれない。

 彼女と職場で知り合って五ヶ月になる。

 橘がどういった人間なのかぼくは分かっているつもりだ。

 洞察力に優れ、人との調和をたっとぶ、愛花や相良のように思いやりを持った女性だ。


 ぼくだって朴念仁ぼくねんじんではない。

 橘がぼくに対して、ちょっぴりだけど、特別な感情をいだいて近付いている事くらい分かっている。

 それが恋なのか友情なのかは、女性の心理にうといぼくでは判断できないだけなのだ。

 橘の事は正直な気持ち、嫌いじゃない。

 ぼくにはもったいない相手だろう。

 だから逃げてはいけないと思った。

(ちゃんと話そう)

 ぼくはにぎやかな食堂ではなく、落ち着いた感じのレストランの前で立ち止まった。

 そう、ここは愛花の母・桃子とうこさんがシェフをしているラ・セーヌだ。


「ここはどうかな?」

「素敵なところね。春木君は入ったことあるの?」

「うん、あるよ。ランチは少し高いけど、とても美味しかった。ディナーは初めてだけどね」

「じゃあ、ここでお願い」


 ラ・セーヌに入ると、厨房ちゅうぼうに向かう桃子さんとバッタリ会った。

「いらっしゃいませ」

 桃子さんはぼくの隣りにいる橘を見て意外そうな顔をしたが、いつもの上品な笑顔を見せてくれた。

「春木さん、いつもご利用ありがとうございます。空いているお席にどうぞ」

「ありがとうございます」

 まだ混雑時ではなかったので、ぼくは観葉植物が比較的多く飾られている奥の席に、橘を誘った。


「女性のコックさんなの? かっこいいわ。それに若くてきれいな人ね」

 席に着くと、桃子さんの姿を目で追っていた橘が感心したように言った。

「だろ? 園宮桃子さんだよ」

「そのみや…? それって、もしかして」

「そう。園宮のお母さんだよ」

「えっ、信じられない。あの人まだ二十代に見えるわ」

「あははは。橘も期待通りの反応してくれるね。おれも最初にあのひとを見た時、そんな感じだったよ」

 ともかく、桃子さんの事は今日の議題にはなかった。

 赤ワインと前菜が運ばれた所でぼくは口を開いた。


「園宮は立花彩香のたった一人の書生なんだよ」

 ぼくの言葉に橘は驚いた素振りを見せなかった。想定の範疇はんちゅうだったようだ。

「そう言うことなのね。立花彩香さんの服やビキニをもらったと聞いたから、親しい間柄とは思っていたけど、お弟子さんだったんだ」

「まだ、公表はされていないけど、文芸誌の十月号で―――つまり九月の発売号に園宮の書いた短編が掲載されて、電撃デビューすることが決まっているんだ」

「すごいわ。でも、この時期に電撃デビューって、なんか作為的な物を感じるけど……もしかして…」

 橘は何か勘付いたように大きく目を見開いてぼくを見た。

「『君の未来』後編をお弟子さんである園宮さんに書かいてもらうための布石を打った、と言うことなの?」

「ほお。さすがに鋭いね、橘は」

「ほめて誤魔化そうとしてもダメよ」

 珍しく橘は絡み口調だった。

「そのことと、園宮さんの春木君への恋愛疑惑は別物よ」

「何だよ、その恋愛疑惑って?」

「園宮さんはヒロシ君に対してはツンデレのツンばっかりだけど、春木君に対してはデレてばかりなんだもの。ヒロシ君だけじゃなく春木君に対してもそれに近い思いがあるからよ。思い当たるでしょ?」


(今日は珍しく食いつくな)

 いつものひかえめな橘とのギャップに戸惑いながら、ぼくは頷いた。

 そして、

「これ、見て」

 ぼくはスマホを取り出し、以前ヒロシに送ってもらった画像を橘に見せた。

 愛花とヒロシの真ん中に、愛花の父親が写った画像だ。


「園宮さんとヒロシ君は今よりも少し幼いわね。中学生ってとこかしら? ふ~ん、春木君ってずいぶん前から二人と知り会っていたのね」    

「やっぱりおれに見える?」

 ぼくがそう尋ねると橘は首を傾げた。

「どういうこと?」

 そう言ってもう一度画像を覗き込んだ。

「あっ、でも、少し変だわ」

「何が変?」

「だって、園宮さんたちは今より若いのに、春木君だけ逆に少し老けて見える。三十歳くらいに……!」

 と言い掛けた後、橘は「あっ」と小さく声を上げた。

「もしかしてこの人、春木君じゃないってこと?」

「あたりだ」

「それじゃこの人は誰なの?」

「園宮のお父さんだよ」

「えっ? そうなの」

 橘は三度画像を覗き込んだ。

「園宮が中学二年生の時に病気で亡くなったと聞いた。おれが園宮と出会ったのは、去年の十月に始めたスーパーのバイトなんだ。ちなみに相良も同じスーパーでの知り合いで、彼女は正規雇用だよ」


「そういうことなのね」

 と橘はぼくをマジマジと見つめた。

「園宮さんって、なんとなく春木君に甘えている風に見えたのよ。それが気になっていたんだけど……分かった気がするわ」

「園宮はお父さん子だったらしい」

 ぼくはそう言いながら厨房で働く桃子さんに視線を向けた。

「桃子さんがそう話してくれた」

「きれいな人だわ」

 と橘も桃子さんを見ながら眉をひそめた。

「園宮さんだけを警戒していたら、とんでもない伏兵が現れたわ。むしろ、あの人の方が強敵かも」

「橘? なんの話してんの?」

「春木君の周りって、ほんと、きれいな人ばかりって話よ」

「まったくだ。橘も含めて」

「また誤魔化そうとしている」

「本当のことだよ。現に橘は新人職員女子ランキング一位じゃないか」

「それ、あまり嬉しくないのよ」

 と橘は苦笑した。


 橘は唇をかんだ。

 本当に嫌だと言っているのが分かった。

 ぼくは地雷を踏んだかもしれない。

 

 会話が途切れた気まずいタイミングで、 

「お待たせしました」

 とメインディッシュが運ばれ、重くなりかけた空気が緩和された。


 美味しそうな料理を目の前にして、橘の表情が和らいだようだった。

「わたしね、春木君に話してないことがあるの。それと謝りたいこともあるのよ」

(謝りたいこと?)

 橘はぼくを気遣ってくれたし、はげましてくれた。

 ぼくに思い当たる節はなかった。 

「とにかく食べよう。美味しい食事を取りながら、ゆっくり話してくれたらいい」

「そうね」

 橘はニコリとしてフォークとナイフを手にした。

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