第61話 真夜中のメッセージ





 あっという間に、ゴールデンウィーク最終日になっていた。

(せめて一日だけでも、どこかに出かけようかな)

 誰かを誘おうかとも思った。

 だけど……。


 界人は悪阻つわりのキツイ琴美に付きっ切りだったし、愛花はアンビシャスのバイトと文芸誌に載せる短編小説の創作にいそしんでいた。

 橘は―――その気持ちに応えられないのに誘うのは気が引けた。


(日帰り旅行でもしてみようか)

 お金を使わないように心がけていたぼくは、ゼミや修学旅行、そして就活以外で県外に出る事はあまりなかった。

 それ以外で唯一遠出したのが、彩香と二人だけの信州旅行だった。


 彩香がいなくなって一年が過ぎ、幾分いくぶん悲しみは緩和されたが、相変わらず為すべきことは見えなかった。


 界人たちが念願の家庭を持ち、ヒロシは野球で、愛花は小説で、それぞれに進むべき道を見つけていた。

 そのうち愛花とヒロシも結ばれるだろう。


 そんな彼らの幸せにまぎれながら、夢と呼べる何かを、自分も見つけてみたいと、今は少しだけ思えるようになっていた。


(さて、どこかに行こうか)

 と勢いよく部屋を飛び出したものの、ぼくが向かったのは、彩香を看取った県立病院近くの海だった。

 もちろん良からぬことを考えているわけではない。

 ここは彩香と最後に交わした最高に甘いキスの現場だ。

 あの日以来、思いにふける時、自然と足がこちらに向いてしまうのだ。


「春木さん。こんにちは」

 病院を横切ろうとした時、彩香の担当看護だった如月きさらぎ陽菜ひなさんが窓越しに声を掛けて来た。

「如月さん、お久しぶりです。今日はいい天気ですね」

「そうですね」

 と如月さんは眉をしかめて、海に目をやった。

「変なこと考えてないでしょうね」

「まさか」

 とぼくは笑った。

「自分のこれからを考える時、なぜだかここに来たくなるんですよ。彩香を身近に感じるんですよ、ここは」

「そう。大切に思われて、彩香さんはきっと喜んでいますよ。気を付けて下さいね」

「はい」


 ほくは軽く会釈をすると如月さんに背中を向けた。

 岸壁に来ると、ぼくは駅前で買ったハンバーガーのセットの入った袋を

抱えて、近くにあった長椅子に腰を下ろした。

(一年前と同じだな)

 と思った。

 日差しは強いのに、風はひんやりしていて、それがとても心地よかった。

 一時間くらい経っただろうか。

 しばらくボーッと港を見ていると、すぐ後ろで自転車のブレーキ音がした。

 振り返ると自転車を下りる愛花がいた。


「えっ? 愛花? どうしてここに?」

「どうしてって、大輔さんこそどうしてここに来ているんですか? わたし慌ててきちゃいましたよ」

「慌ててって―――まさかおれが変なこと考えてるって思ったのか?」

「だって、ちょうど一年の節目だし……なんとなく、ちょっと気になっていたの」

「まったく」

 とぼくは溜息を吐いた。

「だけど、どうしておれの居場所がここだと分かったんだ?」

「大輔さん、忘れたんですか?」

 と愛花はスマホを取り出して、アプリを開いて見せた。

「大輔さんとは位置情報を共有していたでしょ?」

「ああ、そうだったな。すっかり忘れていたよ」

 

 彩香が死んで、自殺疑惑をかけられた時、ぼくの事が心配だからと、強引に位置情報を共有させられたのだった。

「心配させてしまったのか。ゴメンな」

「いえ、何でもないのならいいんです。わたしの早とちりですから」

 と言いながらぼくの隣りに腰を下ろした。

「小説の方はいいのか?」

「はい。今朝早く書き上げて、編集者に添付ファイルをメールで送ったところです」

 愛花はホッとした顔を見せた。


「良かったら食べる? 冷めているけど」

 ぼくはハンバーガーの包みを愛花に見せた。

「わあ、嬉しい。食べます」

「チーズバーガーとてりやきバーガーがあるけど、どっちがいい?」

「選んじゃっていいんですか?」

「いいよ。どっちもおれは好きだから」

「それなら、半分ずつしませんか?」

「それもいいな。フライドポテトは適当に摘まんだらいいし、飲み物のアイスコーヒーが一つだけど……」

「わたし飲み物は持参してますから大丈夫です」

 とマイボトルを見せた。

 

「いい天気ですね。それに、少し冷たい風が心地いい」

 高校時代は短めだった愛花の長い黒髪が風になびいていた。

(彩香の匂いがする)

 愛花が彩香の使っていた化粧水と香水を使っているからだろう。

 そして愛花が着ているチュニックとタイトスカートも彩香が着ていたものだ。

 目を閉じると隣りに彩香がいるようだった。

(少し苦しい…)

 寂しさと懐かしさの入り混じった複雑な思いが胸を締め付ける。


「潮の香りがいいですね」

 指で髪をすきながら愛花が言った。

 ふと悪戯いたずら心が芽生えた。

「そうだな。ところで―――」

 とぼくはニヤリと笑った。

「潮の香りって何の匂いか知ってる?」

「えっ? 知らない。なんなんですか?」

 愛花が二つに分けたチーズバーガーにかぶり付いたタイミングで、ぼくは言った。

「海の生物の腐敗ふはいしゆうなんだよ」

「ウッ……!!」

 愛花は喉を詰まらせ、持参したマイボトルのお茶を飲んだ。

「だいじょうぶか?」

「だいじょうぶじゃない! 大輔さん、サイテー!」

「ゴメンゴメン、むせるとは思わになかった」

「もお…気分ぶち壊しです。これから潮の香りを感じたら、腐敗臭だってこと、絶対に頭から離れなくなったじゃないですかぁ。もお、大輔さんったら、ひどいわ。もお、もお」

 拗ねた顔を見せながらも、愛花は笑い出した。


  ――― ピーン ―――


 丁度その時、ヒロシからLINEメッセージが送られてきた。ぼくのスマホにである。

 

 ――― 今、試合が終わって宿舎に戻って来たところです おれの登板はナシです 今日は近江順平がホームラン一本を含む三安打五打点の大活躍で勝利しました 明日はおれの五勝目をかけてフロリダに向かいます 初めてのナイトゲームなので今から緊張しています ―――


 ぼくが返事を返そうとすると「待って」と愛花に止められた。

 愛花はヒロシにLINE通話をかけた。

『ヒロシ。今ね、県立病院前の海岸で、春木さんと一緒にハンバーガ食べてるの』

『ズルいぞ。おれもハンバーガー食べたい』

『悔しかったら、成績残して早く帰って来なさい。わたし、印税とバイト収入でホクホクなのよ。いくらでもおごってあげるわ』

『楽しみだな。―――それより、小説と塾のバイトを掛け持ちしてるんだろ? 無理するなよな』

『だいじょうぶよ。わたしは健康体だから。それにどちらも肉体労働じゃないからね』

 と愛花は笑った。

『大学もあって大変だな。教育学部って言ってたけど、学校の先生になるのか?』

『学校じゃない。塾の先生になるのよ』

『そうかい。おまえ昔から、人に勉強教えるの、得意だったもんな。おれもよく教えてもらっていたな』

『あんただけよ。わたしが必死になって教えても、ひとつも成果でなかった人は』

『アハハハハ。手痛いな、それ。おれ頭悪いからな。スポーツは万能だけど』

『アハハハハ。自分でそれ言う? バカヒロシ』


 笑ってはいるが、愛花の瞳が寂しそうに少し潤んでいた。ヒロシと遠距離恋愛になって一ヶ月になるのだ。 


『春木さん、いるんだよな』

『うん』

『換わってくれる?』

『分かった』

 と愛花が自分のスマホをぼくに手渡した。


『やあ、ヒロシ君。頑張っているじゃないか』

『春木さんのおかげです』

『何言ってる。おれは何にも役に立ってないよ。すべてヒロシ君が独力で成し得たものだ』

『いいえ、日本にいる時にイチローさんと落合さんの話をしてくれましたよね。あの話、おれの心にガツンと来たんですよ。それからいろいろ考えた結果、自分にないものを悲観するんじゃなく、自分にしかないものを磨き上げて行くことにしました。それが今の結果なんです』

『そうかぁ。参考になれたのなら良かったよ。無理せず、頑張るように』

『はい。それと ――― おれに何かあった時は愛花の力になってあげてください』

『おいおい、そんな不吉な言い回しはやめてくれよ。なんか気になることでもあるのか?』

『いえ、なんにもないですよ。こっちは日本とは違ってずいぶん治安が悪いんですよ。それに、遠く離れているせいか、いろいろと考えてしまって………。アハ…すいません。少し寂しかったのかな』

『それならいいんだけど ――― 貴重な時間なんだから、おれと話すより愛花と話せよ。愛花に換わるよ』

 と言ってぼくはスマホを愛花に返した。


 ぼくは二人の会話に聞き耳を立てるような真似はしたくなかったので、ベンチを離れて岸壁近くに立って、潮風を受けていた。

 通話の内容は分からないが、互いの想いを伝えているのは分かった。

 涙ぐむ愛花の横顔が、妙にいとおしく思えた。







 深夜だった。

 寝ているぼくの枕元でスマホが「ピーン」となった。

 時計を見る。

 午前二時三十分だ。

「誰だよ……」

 ベッドで横になったままスマホを開くと、ヒロシからのLINEメッセージだった。


 ――― まなかを ―――


 それだけだった。

「なんだよ、これ。今日から仕事なんだよ」

 意味が分からなかったが、こんな時間にメッセージを送るヒロシではなかった。それが少し引っ掛かった。

 ぼくは返信した。


 ――― どうした? ―――


 しかし、ヒロシからの返事はなかったし、既読もつかなかった。

(確かこの時間は移動のための飛行機の中だったな)

 機内モードに切り替えたのかもしれない。その際の誤動作でぼくにメッセージを送ったのだろう。

 眠気に負けたぼくは、それ以上深い考えにいたらず、いつの間にか朝を迎えていた。

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