この愛の絶唱
第62話 ヒロシの安否
(や、やばい)
深夜のメッセージのせいにするわけではないが、アラームに気付かず少し寝過ごしていた。
いつもは朝食を採りながら、落ち着いた環境でテレビニュースを見るのだが、そんな暇はなかった。昨夜残ったご飯をお茶漬けで
「おはようございます」
時間ギリギリで総務部総務課に駆け込んだが、職場の雰囲気がいつもとは違っていた。
職場のみんなが青ざめた顔でボソボソと話をしていた。
「何かありましたか?」
近くに立っていた先輩の女性職員に声を掛けると、
「春木君、知らないの?」
と変な顔された。
「すいません。ギリギリまで寝ていて、急いで来たものですから……何かあったんですか?」
「近江順平君の乗った飛行機が離陸直後に墜落したのよ」
「えっ? }
そう言えば兄である近江誠也の姿が見えない。
(それよりも……!)
近江順平が乗っていた飛行機なら、ヒロシも一緒のはずだ。
「いつ頃ですか?」
「詳しくは分からないけどね、ニュースでは日本時間の深夜二時半ごろだったと伝えているわ」
「………!!」
(あの時だ!)
ぼくの脳裏に、二時三十分に送られてきたヒロシのメッセージが浮かんだ。
――― まなかを ―――
最初それは誤送信だと思った。
だけどそうではなかったのだ。
意図的な送信 ――― つまりヒロシがぼくにあてた、ダイイングメッセージだったのかもしれない。
――― どうした? ―――
と送ったぼくのメッセージは未だ既読になっていない。
試しにLINE通話を掛けたが『応答なし』で終了した。
(愛花!)
始業までまだ少し時間はある。
愛花に電話を入れたが繋がらなかった。
メールを入れるも既読がつかなかった。
ヒロシの姉・榊原
きっと愛花には第一報が入っている筈だ。もしかしたらすでにアメリカに向かっているのかもしれない。
(愛花……)
泣き崩れている愛花の姿が
(今、どこにいるんだよ)
胸が張り裂けそうなくらい心配だった。
愛花の気持ちを思うと、ぼくはもう、居ても立ってもいられなかった。
「す、すみません。ぼくも今日お休みさせてください」
ぼくは傍にいた直属の上司にそう告げると、理由を問う上司に構わずオフィスを飛び出した。
ヒロシの事も気掛かりだったが、今この場でどうすることも出来なかった。
移動しながら事故の一報はスマホで調べた。
ロサンゼルス発フロリダ行きの旅客機には、乗客乗員合わせて百二十名搭乗していた。
事故原因は不明だ。離陸直前に何らかのトラブルが発生して、空港近くの海に墜落したとの事だった。
日本時間・七時の時点で、死者八十四名。負傷者を含む生存者十五名。残りはまだ救出されていなかった。
気が重くなる生存率だった。
(まだ死んだとは限らないじゃないか)
それよりも愛花の事だ。
愛花の実家の連絡先は知らなかった。
だが愛花の家はここからそう遠くない。
公共交通機関を利用するよりも走った方が遥かに早かった。
ぼくは、今自分が出来るベストな行動が何なのか見当もつかなかったが、とにかく愛花と合流したかった。
その思いだけで園宮家に駆け込んだが、誰も出て来なかった。
今日の講義は二時限目からだと聞いている。
まだ大学に行く時間ではなかった。
(どうすればいい……!)
焦りと動揺で何をしていいのか分からなかった。
と、その時だった。
――― ピーン ―――
アリサからの着信があった。
――― 両親と一緒に もうすぐ飛行機に乗り込むところです 愛花ちゃんも一緒です スマホを家に忘れたみたいなので今後のやりとりは わたしでお願いします しばらくは連絡をお控えください 何かあればこちらからメッセージを送ります ―――
――― 分かりました ―――
そう返信するしかなかった。
だけど、じっとなんてしていられなかった。
(間に合うか)
愛花の様子を一瞬でもいいから確認したかった。
出来れば何か励みになる言葉を掛けたいと思った。
ぼくは急いで空港に向かった。
空港ロビーに入ったが、ロサンゼルス直行便は十分前に、定刻通り飛び立っていた。一日二便しかない直行便の次のフライトは十時間後だ。
(やっぱり間に合わなかったか……)
その時になってアリサからの追伸メールに気が付いた。
――― パスポートを持ってない愛花ちゃんだけ残すことになりました 恋人だと説明して緊急時の搭乗手続きを要求しましたが、書類不足を指摘され、承認してもらえませんでした どうか愛花ちゃんのことをよろしくお願いします ―――
(愛花……!)
とにかく愛花を見つけなければいけなかった。
どうすればいいか分からないまま、アメリカ方面の国際線ロビーをウロウロしていると、
「大輔さん……」
と声を掛けられた。
そこにはフラフラしながら歩み寄って来る愛花がいた。
「愛花……!」
ぼくが声を掛けると、愛花はぼくの胸の中に倒れ込み、背中を震わせしゃくり上げた。
「会いたい……ヒロシに会いたいよぉ……」
悲痛な声を上げる愛花に、ぼくは何をしてあげればいいのか分からなかった。
(とにかく何とかしなくちゃ)
このままではいけない。
日本に残したままでは愛花が潰れてしまう。
何とかして愛花をヒロシの傍に連れて行きたいと思った。
(ヒロシに会わせてやりたい……たとえ、どんな結果が待っていようとも、愛花はヒロシに会わなくちゃダメなんだ)
それがどんなに辛く悲しいことなのか、ぼくはよく知っていた。
それでもぼくは、彩香の最期を見届けた事を、後悔していない。
その時、橘から通話が入った。
『春木さん、今どこにいますか?』
『空港にいる。愛花が、パスポートがなくて飛行機に乗れなかったんだ。どうしたらいい? いい方法が浮かばないんだ。助けてくれ』
ぼくは泣きそうになっていた。
『アメリカは、パスポートがあればビザなしで行ける国だけど、そもそもパスポートがないとなると………ちょっと待って』
と少し間があって、
『次のロサンゼルス行きは何時?』
『十時間後だ』
『そう……分かったわ。わたしにすべて任せて。時間は掛かるかもしれないけど待っていてくれる? 空港に向かう準備が
『ありがとう。感謝するよ』
ぼくはスマホを閉じると、愛花を連れて待合室のソファーに座った。
「橘が何とかしてくれる。少し遅れるけど渡米できるよ。必ずできるから」
ぼくは自分に言い聞かせるよう言った。
愛花は濡れた瞳をぼくに向けながら何度も頷いた。
ぼくは着の身着のままの愛花を連れて、一度愛花の家に戻り、旅支度をさせた。もちろんスマホも持たせた。
その間に、橘が申請に必要な書類作成のため、一度愛花の家に寄ってくれた。
「これでなんとかなるわ」
橘が必要とした
「園宮さんをヒロシ君の婚約者とすることで、パスポートの緊急発行手続きが承認されるわ。一度県庁に戻って、すぐに手続きを済ませるから、ここで待機してちょうだいね」
「おれも付き添ってやりたいのだけど、無理だろうか?」
ぼくもパスポートは持っていなかった。
「無理だわ……残念だけど」
橘は首を横に振った。
「園宮さんの場合、事故にあったヒロシ君の婚約者ということで、パスポートの緊急発行が出来るのよ。でも、春木君とヒロシ君の繋がりは、友人の域を超えないものよ」
「………」
「それともう一つ……。これはわたしの主観かもしれないけど」
と橘は少し表情を硬くした。
「恋人であるヒロシ君を心配して園宮さんは渡米するのに、他の男の人に付き添われるなんてこと、どうかと思うわ。ヒロシ君のご家族も納得できないでしょう。変な誤解を生めば、園宮さんの今後の立場も悪くなると思うの」
「ああ、そうだよな」
そこまでは考えが至らなかった。
緊急でのパスポートの作成と、夜のサンフランシスコ直行便の予約に至るまで、橘はすべて一人で尽力してくれた。
「橘。本当にありがとう」
出発ロビーで、ぼくは橘に心からお礼を言った。
「いいのよ、そんなこと。それより園宮さん、だいじょうぶ?」
「確かに心配だな」
愛花に目をやった。
青白い顔の愛花は、今にも崩れ落ちそうなほど、弱々しい姿で立っていた。
「大輔!」
「春木君」」
界人と琴美が小走りにやって来た。
「愛花ちゃん……わたし、わたし……」
言葉を失う琴美に、愛花は無理に笑って見せた。
「まだ、死んだって決まったわけじゃないんです。案外ピンピンしているかもしれませんよ。―――だからわたしはだいじょうぶです」
「愛花……どうしても行くのね」
桃子さんも来ていた。彼女は渡米に賛成していなかった。
「いくわ」
と怒ったような顔を桃子さんに向けた。
「わたしあきらめてないから。何があっても、お母さんみたいに、大切な人を見捨てたりしないから」
「愛花……」
桃子さんは悲しそうな顔をしただけで、言い返す事はしなかった。
気まずい空気が流れた。
「愛花」
とぼくは声を掛けた。
「アリサちゃんには連絡入れておいたから、向こうに着いたら必ず合流するようにな」
「はい、大輔さん。橘さん。それに梶山さんと琴美さんも、色々とありがとうございました」
愛花はぼくたちに頭を下げると、頼りない足取りで、独り搭乗ゲートをくぐった。
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