第63話 ダイイングメッセージ





 ピピピ―――ピピピ―――ピピピ――


 アラームが鳴った。

 朝が来た。

(だるい)

 まだ夢の中にいるようだった。

 いい夢ではない。

 悪夢だ。


 時計を見た。

 愛花がロサンゼルスに到着した頃だ。

(無事であってくれ) 

 ぼくは祈るような思いで、テレビのスイッチを入れ、朝のニュースを見た。


 五名の日本人が乗っていた事で、ロサンゼルス沖の飛行機事故は、朝のトップニュースに取り上げられていた。

 事故の原因が徐々に解明され始めていた。

 墜落の原因はバードストライクだった。

 その瞬間を捉えた、空港に設置された防犯カメラが公開されていた。


 飛び立つ旅客機の正面から、鳥の群れが突っ込んで来たその瞬間、両翼のエンジンが同時に火を噴き、そして翼が炎に包まれた。

 推進力を失った旅客機は、そのまま空港近くの海岸に墜落していった……。

 それは数分の出来事だった。

 そんな衝撃的な映像の後で、事故に巻き込まれた乗客リストの中に、近江順平と榊原宇宙ひろしの名前がある事を確認した。

 


 重い足取りで県庁に入りタイムカードを押した。

「おはよう」

 と声を出して総務部総務課に入室した。


「おはよう」

「おはようございます」


 職場の中にはもう、昨日の重い空気はなかった。

 いつもと変わらない日常がそこにあった。

 同僚の弟とは言え、会った事もない他人の不幸なのだ。


 何気なく見た近江誠也のデスクは空席だった。

 彼もまた、弟を心配してロサンゼルスに向かったのだろう。

 だけどぼくは、近江の弟・順平がどうなったのか知らないし、知りたいとも思わなかった。

 今はヒロシの事、愛花の事以外に、ぼくの感情が入り込む余地はなかった。

 そういった意味では、ぼくも職場の仲間と同類だった。

 

 自分のデスクに座った時、ヒロシの姉・榊原亜理紗ありさからのメッセージがあった。


 ――― 愛花ちゃんとは今合流しました これから遺体安置所に連れて行きます せめてもの救いはヒロシの顔に傷ひとつなかったことです 申し訳ありませんが こちらに滞在中の連絡はご遠慮ねがいます ―――


 ぼくは軽い目眩めまいに襲われた。

(最悪だ……)

 愛する人を置いて、突然かなければならなかったヒロシの気持ちを思うと、胸が苦しくなった。

 あまりにも残酷だった。

 理不尽極まりなかった。


(ヒロシ君……)

 いい青年だった。

 おおらかで、優しい心を持った彼の事が、ぼくは大好きだった。

 もし同い年だったら、界人と三人で肩を組んで、一晩中飲み明かしていたはずだ。

 そして誰よりも愛花を理解し、深く愛していた。

 ぼくは、二人のこれからを本当に楽しみにしていたのだ。

 それなのに……。

(なんで……! なんでヒロシ君なんだよ!)

 ぼくは無意識のうちにデスクにこぶしを振り下ろしていた。

 自分でも驚くほど室内に響いた。

 一瞬、職場の同僚たちがぼくを振り返ったが、目が合うと、どちらともなく視線をらせた。

 

 ぼくはスマホを取り出した。

 ヒロシのダイイングメッセージを開いて見た。


 ――― まなかを ―――


 突然の事故発生から数分で墜落したことを考えれば、これがヒロシの最期のメッセージなのは間違いなかった。

(きみはおれに、何を伝えたかったんだ?)

 おそらく、この後に続く言葉は「愛花を頼みます」だと思う。

 だけど……。

(愛花ではなく何故おれに最後のメッセージを残したんだ?)

 ぼくなら絶対に、愛する人 ――― 生きていれば彩香に―――時間の許す限り思いのたけを伝えただろう。

 それなのに……。

(どうしておれだったんだ? 愛花に最後の言葉を伝える以上に必要なことが、おれにあったというのか?)

 ぼくにはヒロシの意図が読めなかった。 


(愛花はもう、ヒロシに会えたのだろうか)

 物言わぬヒロシと対面する愛花の事を考えると、ぼくの呼吸は激しく乱れた。

(愛花……)

 泣いているのだろうか。

 心を無くしているのかもしれない。

(やっぱり傍についてあげればよかった……)

 後悔にも似た念が、ぼくの心の奥底から突き上げて来た。



 昼休みが来た。

 いつもの様に橘とランチとを共にしたが、その日はいつもと違っていた。

「珍しいわね、春木君の方から誘ってくれるなんて」

 そう、ぼくは初めて橘をランチに誘ったのだ。

「でも嬉しい」

「橘には大変世話になったな。おれ一人だったら、愛花をロサンゼルスに送り届けることは出来なかった。本当にありがとう。それから……」

 橘には伝えなければならない事があった。

「ヒロシ君のことだけど……」

 言葉にしようとすると声が詰まった。

 ヘタレなぼくは、自分の口から伝えられず、アリサちゃんから送られたLINEメッセージを、直接ちょくせつ橘に見せた。

 橘は何も言わなかった。

 いや、何も言えなかったのだ。

 注文したランチを前に、ぼくと橘はただ、声を殺して嗚咽する事しか出来なかった。



 仕事を終えると、ぼくは界人の家を訪ねた。

「いらっしゃい、春木君。どうぞ上がって。界人さんも帰っているわ」

 琴美が出迎えてくれた。

「ごめんな、具合悪い時にお邪魔して。体の方はだいじょうぶ?}

「春木君ったら、わたし病気じゃないのよ。これは女の宿命よ。―――でも、心配してくれてありがとうね」

 とあんまり目立っていないお腹を撫ぜ、無理に笑って見せた。


 界人と琴美はきっと、明るい、いい家庭を作るに違いない。

 いや、絶対にそうでなくちゃいけない。

 この二人だけは幸せな家庭を築いていって欲しい。

 ぼくは心からそう願った。


「大輔、だいじょうぶか? とにかく座れよ」

 界人がねぎらうようにぼくの肩を叩いてテーブルに招いた。


「愛花ちゃん……だいじょうぶかな……」

 琴美がピールとおつまみをテーブルに置いた。

「なんだか、やりきれないよね。わたしたちが結婚して、愛花ちゃんが作家になって、ヒロシ君が野球選手になって――― 何もかも上手くいって、さあこれからだって時に、こんなことになるなんて。なんでなのよ。この世に神様っていないのかしら……」

 と言って琴美は泣き出した。

 夕刻のニュースくらいから、日本人の乗客五名全員の死亡が確認されたと報じられていたから、皆の知る所となっていた。


「それで、話とは?」

 と界人が聞いた。

 聞いて欲しいことがあると、事前に伝えていた。

「ヒロシ君に関することなんだろ?」

「ああ……実はこれなんだ」

 ぼくは他の誰にも見せていないヒロシのダイイングメッセージを、界人に初めて見せた。


 ――― まなかを ―――


「これが夜中の二時半にぼくのスマホに送られて来たんだ」

「こっちの時間でか?」

「ああ」

「つまり、現地時間では十時半。ヒロシ君の乗った飛行機が墜落する瞬間のメッセージ、ということか」

「そうだ」

「そうか……」

 と界人はヒロシのダイイングメッセージを見た後、虚ろな目を足元に向けた。界人が考え事をまとめている時の仕草だ。


 中学から大学に至るまで、学業の成績でぼくが界人に負けたことはなかった。

 だけど彼は、観察力・洞察力・推理力といった分野に、特出した能力を持っていた。その分野にいて、ぼくは界人の足元にも及ばなかった。

 持って生まれた才能というものだろう。

 だからぼくは界人を頼ったのだ。


 界人は溜息ためいきを深くくと顔を上げた。

 その目には涙がたまっていた。

「すごいな……ヒロシ君は。感心……いや、感動すら覚えるよ」

「分かったのか?」

「憶測だけど……たぶんヒロシ君の想いは、理解できたと思う。おまえが知りたいのは、そう言うことだろ?」

「ああ。頼む、おまえの推理を聞かせてくれ」

「分かった」

 界人はグラスに注がれいるビールを一口飲むと、ぼくに目を向けた。 

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