第64話 メッセージの真意






「ヒロシ君は最初、園宮さんにダイイングメッセージを残そうと考えたと思うんだ」

 界人は苦悩の表情を浮かべた。

「両翼エンジンがバーストして、旅客機が急降下した時、ヒロシ君ものがれられない死を実感したと思う。考える時間のないそんな中で、大切な何かを、誰かに伝えなくてはいけない、―――そう考え、とっさにスマホを取り出した瞬間は、おそらく園宮さんにメッセージを残そうと思ったはずなんだ」

 ともう一度り返して言った。

「しかし、スマホを取り出し、LINEを開いた時、ヒロシ君は一瞬の判断で、園宮さんではなく、大輔、おまえを選んだんだ」


「どうしてそう思うの?」

 と界人の隣りに座った琴美が聞いた。

「わたしだったら、絶対に界人さんにメッセージを残すよ」


「おれもそう思う」

 ぼくも琴美に同調した。

「確かに、愛花の事を心配して、事後をおれに託したのだろうと思うけど、やっぱり最後の言葉は、恋人に届けたいと思うんだ。それはヒロシ君だって同じだったはずだ。それなのにどうしておれなんだよ」

「ああ、そこが謎なんだよ。しかしさあ、立花のこと思い出してみろよ」

「彩香のこと?」

「そうだ。立花が何故、自分の病気のことを伏せて、自分が悪者になってまで、他の男と関係を持った、なんて嘘を吐いてお前と別れようとしたのか、思い返してくれ」

「それは……」


 ぼくに未練を抱かせないためだ。彩香の命脈が尽きると知ったら、ぼくは就活を諦めてでも、彩香の傍に寄り添っていたはずだ。

 ぼくが今、県職員としていられるのは、彩香がその事を伏せていたからだ。彩香はぼくの未来を残す事を優先し、涙を呑んで苦渋の決断をしたのだった。


言霊ことだまって聞いたことあるよな」

 界人の言葉にぼく頷いた。

「言葉は内に秘める霊力があると言われている。そしてそれは人の心を強力にしばってしまうものなんだ」

 界人はぼくにビールを勧めたが、ぼくは飲む気になれなかった。

「もしヒロシ君が園宮さんにメッセージを送っていたら、どんな文面になっていたと思う?」

「それは……愛花に対する思いとか、おれのことを忘れて新しい幸せを掴んでくれとか……」

「そうなるよな。だけどそれは、園宮さんの心の中で、反作用の言霊として深く根付いてしまうんだよ」

「…………!」

「ヒロシ君のことだから、未練たらしい言葉は書かないはずだ。清々すがすがしく爽やかな文面でつづられていただろうね」


「でも、それって……かえって辛くなるよね」

 と琴美が言った。

「本当は怖いはずなのに、本当は泣きたいはずなのに、笑って死んでいきますみたいなメッセージを残されたら……わたしだったら耐えられないわ。未練タラタラの文面よりも遥かに、心に突き刺さって動けなくなってしまうわ。――― すごいね、ヒロシ君って……そこまで考えられたの? 墜落まで数分しかない、あの状況の中で……。凄すぎて……悲しすぎるわ……」

 琴美は目頭を押さえて嗚咽した。


「ヒロシ君は身体能力だけじゃなく、臨機応変 ――― 一瞬の判断にもけていたんだ。彼は野球人としても人間としても卓越した人材だったんだよ。この断末魔の状況で、園宮さんにメッセージを送ってしまえば、琴美が言うように、それはかえって園宮さんを呪縛する結果を招くんじゃないかと、彼は判断したんだろう。それならば、園宮さんの未来を考えた時、彼女が最も信頼を寄せている大輔に、彼女を託すべきだと考えたんだろう。ヒロシ君は自分が伝えたい思いを噛み殺して、園宮さんの未来を守ろうとしたんだよ」

「それがおれへのダイイングメッセージというわけか……」

「ああ」

 と界人は小さく頷いた。

「本当に、墜落寸前のところだったんだろな。ヒロシ君はいつも『愛花』と漢字に変換しているのに『まなかを』と無変換で送信したのは……変換する時間すらなかったんだろうな……。彼には本当に頭が下がるよ……」

 界人も泣いていた。

 ぼくたち三人はしばらくその場で声を殺して泣いていた。


「このメッセージは、やっぱり愛花には見せられないな」

「そうだな。でないと、ヒロシ君が大輔に送った意味がない」

「ありがとな、界人。おまえに相談してよかったよ。このメッセージは愛花に見せてはいけないと、何となくは感じていたんだ。ありがとう」

「何度も言うなよ。おれだって、ヒロシ君の仲間の一人だよ」

「ああ、そうだったな」

 ぼくは大切な仲間を失った事を実感した。


「あのさ、ヒロシ君は春木君のことはとても信頼していたはずよね」

 琴美がふいにそんな事を言った。

「だから、自分に身に何かあった時は、春木君が助けになってくれることくらい分かっていたと思うのよ。それなのにわざわざこんな風にメッセージを送ってくるかしら?」

 琴美がそう言うと、界人はハッとした表情をした。

「いいところに気が付いたね」

 と界人が言った。

「おれは、ヒロシ君が大輔にダイイングメッセージを送った説明づけは、ほぼ出来たつもりでいんだ。―――今、琴美が指摘した部分以外ではね」


「界人、どういうこと?」

「自分が立てた推理、実を言うとスッキリしていなかっんだよ」

 と界人は苦笑いした。

「大輔と園宮さん、そしてヒロシ君の信頼関係は、うらやましいくらい確固たるものだ。琴美の言うように、ダイイングメッセージを送らずとも、大輔が園宮さんに尽力することは、ヒロシ君だって分かっていたはずなんだよ。なのに、あえて大輔にメッセージを送った。そこにもっと深い何かがあるんじゃないかって……そんな思いを捨てきれなくて、モヤっとしていたんだよ。最初は―――」

 と界人は言葉を続けた。

「深読みし過ぎかと思っていた。でも、琴美もそこに気付いていたとなると、その疑念は更に深まってしまったわけたが、現時点では、それがなんなのかは分からない。―――だけどそれは、敢えて言葉で伝えなくちゃいけない、大切な何かだったような気がするんだが、情報量が少なすぎて、おれが推理できるのはここまでなんだよ。すまない」


 界人の言葉はそこで終わった。

 今の段階ではそれ以上の推理は出来なかった。


 その時、

「ても、なんかそれって、近いうちに解明されるような気がするわ」

 琴美がそう言った。

「なんか思い当たることでもあるのか?」

 とぼくは尋ねた。

「う、ううん。そんな気がしただけ。直感と言うか…何となくよ。あまり気にしないでね。わたしって、春木君や界人さんと違って論理派じゃなく、直感派だから、根拠なんてないのよ。ゴメンね、いい加減なこと言って」

「そうでもないよ。案外、琴美の第六感ってヤツの方が、的を射てる可能性だってあるんじゃないかな」


「おれもそう思うよ」

 と界人も言った。

「理論に行き詰まった時の琴美の意見は、時として意外な盲点を教えてくれる時があるからな」


「それよりも、これからの愛花ちゃんのことよ」

「そうだよな」

 とぼくは琴美の言葉に頷いた。

「おれは全力で愛花をサポートして行くつもりだ。今、おれがこうして生きて行けるのはあいつのお陰なんだよ。だから、今度はおれが力になりたい。―――彩香が死んで一年が過ぎているけど、それでも寂しさや悲しみが消えるものではない。だけど、今は一人で立って歩けるようになっている。少しずつスピードを上げて前を歩いて行こうと思えるようになっているんだ」

 でもな、とぼくは言葉を続けた。

「今の心境に至るまでの道のりはそんなに容易たやすくなかった。何度も何度も、彩香のところに行きたい誘惑にかられていたんだ。――― ふとした瞬間、いきなりといった形で、それは訪れるんだ。だから、怖い。誰も気付かない時に、いや、本人だって自覚しないまま、その瞬間がやって来るんだ」

「春木君も、そうだったんだね」

「ああ、だからしばらくは愛花から目が離せない」


「おれたちも協力するよ。て、言ってもおれも仕事があるから、日中にっちゅうは無理だけどな」

 と界人が言うと、琴美が身を乗り出した。

「わたし仕事も辞めて暇だから、日中にっちゅうはわたしの担当よ」

「すまないな。でも無理するなよ。琴美は重みなんだから」

 ぼくが言うと、琴美はニコリとした。

「分かってるって。ボディガードみたいにずっと傍にいるなんてことは出来ないけど、これがあるから、自宅にいながらいつでも愛花ちゃんと連絡取れるわ」

 琴美はスマホをちらつかせた。

「それに、このアパートから大学へは、歩いて行ける距離だし、わたし原付バイク持ってるから、愛花ちゃんの学校とバイトの都合に合わせて、直接会うことも出来るしね」

「ありがとう」

 二人の気遣いが、自分に対する事のように嬉しかった。


 ヒロシのダイイングメッセージには少し不明な部分はあったが、彼がぼくに伝えたかったのは、間違いなく愛花の事だった。

(分かっているよ、ヒロシ君)

 自分が死んだ後の愛花の事が心配で仕方なかったのだ。

 それはまるで、ぼくの事が心配で仕方なかった彩香のようだと思った。


(何があってもおれは愛花の力になってやる)

 ヒロシのダイイングメッセージに目を落としながら、ぼくはそう誓った。

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