第65話 確執





 愛花が榊原一家と一緒に帰国した翌日、ヒロシの通夜がおこなわれた。

 火葬は現地で行われていたのでひつぎはなく、祭壇の中央にお骨箱こつばこが置かれていた。


「ヒロシの肉体があるうちに、簡単な告別式を現地にて済ませました」

 ヒロシの姉・榊原亜理紗ありさは、悔しそうな顔でぼくにそう説明した。

「本当はね……遺体のまま日本に連れ帰り、仲の良かった人たちと一緒に……通夜と告別式をしてから、日本で火葬してあげたかったの。だけど日本側の手続きが上手く行かなくて………。このまま時間だけ過ぎれば、ヒロシの体は……」

 言いながらアリサは両手で顔をおおった。

「アリサちゃん、無理に話さなくていいよ。分かっているから」

「ゴメンね。ヒロシ……」

 そのまま泣き崩れてしまった。


 ヒロシの遺影はいつもの爽やかな笑顔をたたえていた。

(本当に……いなくなってしまったんだな……)

 ぼくは一人っ子なので兄弟というものを知らない。

 だけど、

(弟ってこんな感じなのかな)

 ヒロシの事をそんな風に考える事がたまにあった。

(そして何よりも……)

 ぼくと彩香が成し得なかったバージンロードを、愛花とヒロシが腕を組んで歩く―――そんな日が来るのを楽しみにしていたのだ。


 涙があふれた。

 だけど泣いている場合ではなかった。

 ぼくが今しなければならないのは、ヒロシから託された願い―――愛花を悲しみの牢獄から救い出す事だ。

 時間が掛かるのは身を以て理解している。ぼく自身まだ現在進行形なのだから。


 ヒロシの両親にアリサを託すと、ぼくは中央よりの席にいる愛花に目をやった。

 その周囲には、須浜学園の百名近い同期や後輩たちが静かに座っていた。

 その中には新キャプテンの水沢や、ヒロシに片思いしていた白石花音かのんもいた。

 仲間の声掛けに、青白い顔で、表情のない笑みを浮かべる愛花を見るのは辛かった。

 傍に寄り添っていたかったが、榊原家と愛花の間に変な誤解は招きたくはなかったので、距離を取っていた。

 高校時代の三年間、個別指導していたアリサちゃんとは違って、ヒロシの両親とは数回すうかい顔を合わした程度なので、信頼されるには程遠い関係だった。


 界人や琴美のいる後方の席に、ぼくも腰を落ろした。

「春木君」

 すぐ後ろの席に座る峰山昂輝こうきさんがぼくの肩を静かに叩いた。

「園宮さんに伝えて置いてくれるかな。しばらくは、ぼくが彼女のクラスを担当するから、こっちのことは気にしないようにと」

「はい。そう伝えときます。いろいろと迷惑をかけますね」

「いやいや、春木君が気にすることじゃないよ。園宮さんは今、とても辛い気持ちをかかえているんだ。時間が掛かってもいいよ。アンビシャスはずっと彼女の帰りを待っているから」

「ありがとうございます。峰山さんの伝言、あいつに伝えときます」

「ああ。頼んだよ」


(優しい人だ)

 峰山さんはぼくと同じ苦学生だった。

 でも性格は対照的だった。

 ぼくは少しひねくれていて、彩香とか界人―――あとは前田や大谷くらいとしか付き合いはなかった。他人と距離を置くところがあったが、峰山さんは誰とでも打ち解け、誰に対しても親切だった。


(偽善者だな、この人)

 最初はそんな思いもあったが、彼の凄いところは自分に関わる人に対して、うわつらではなく、いつも親身に接していた事だ。


 アンビシャスの成功は彼の人徳とカリスマ性によるものなのだ。

 そんな峰山さんに惹かれ、彼について行く優秀な学生は少なくなかったし、ぼくもその一人だ。

 そしてその優秀な人材から成るアンビシャスは、高いポテンシャルと一流大学の講師というブランド力もあって、近隣の受験生を持つ親御おやごさんの評判も良かった。

 何よりも他の進学塾に比べて、月謝を低く抑えている所も、アンビシャスの魅力だった。

 それでも塾に通うことが難しい優秀な学生には、難関大学に合格したあかつきには、アンビシャスで講師や家庭教師のアルバイトをする条件で、破格の値段で入塾を認めていた。


『優秀な学生が、裕福でないから大学に行けない、なんて事があってはいけないんだよ』

 峰山さんの揺るぎない経営理論だ。

 そんな峰山さんだから、愛花の事も親身になって考えてくれていると信用できるのだ。


「ねぇ、なんで愛花ちゃんはあそこの席なの?」

 と琴美が眉をひそめた。

 ぼくはそれに返事しなかった。いや、返事できなかったと言うべきだろう。


 ぼくが彩香の葬儀に参列した時は、親族扱いとして、立花さん夫婦の間近にいさせてもらった。

 だけど、ヒロシの通夜の席で、愛花はそこから少し離れた中段の席にいるのだ。

 その違和感を感じたのは、どうやらぼくだけではなかったようだ。

(愛花……)

 絶望したような彼女の横顔を目の当たりにして、ぼくの心は穏やかではいられなかった。




 通夜が終わった後、ぼくはたまらず、愛花を会場の外に呼び出した。ぼくが直接呼び出すとマズい事もあるだろうと思い、その役目は白石花音かのんに頼んだ。


「愛花、だいじょうぶか…いや、だいじょうなわけないよな、ゴメン」

 ぼくの言葉に、愛花は苦笑しながら首を横に振った。

「大輔さん、色々とご迷惑かけて、申しわけありませんでした。峰山さんへの連絡とか、すべてやっていただいたこと、とても感謝しています」


(そんな悲しそうな顔で、社交辞令はやめろよ)

 ぼくはそう叫びたい気持ちだったが、口には出さなかった。


「榊原さんと……何かあったのか?」

 愛花はそれには答えず、ただ視線を落としただけだった。

「わたしのせいなんです……」

「えっ?」

「ヒロシがマイナーリーグに行って飛行機事故に遭ったのは……わたしの……わたしのせいなんです! ……ウッウッウッ」

 愛花はドッと崩れるよう声を殺して泣き出した。

「愛花、何でそうなる……!」

「わたしが渡米を勧めたから……! わたしがそんなこと言わなきゃ……ヒロシはアメリカに行くこともなかったし……飛行機事故にも会わなかった! 全部……! 全部……! 全部わたしのせいなんです!」

 わたしがヒロシを殺したのよ! と愛花は我慢できずに声を上げて泣きだした。 


「園宮さん……!」

 黙って聞いていた白石が愛花の肩を抱き寄せた。

「あんたのせいじゃないよ。誰のせいでもないから、自分を責めないで」


「もしかして……」

(榊原さんに責められていたのか……?)

 と言い掛けた時、後ろにいた界人がぼくの肩をつかんだ。

 振り返ると、界人と琴美が同時に首を横に振っていた。

『それを聞いちゃけないよ』

 そう言っているのが分かった。


 愛花がアメリカ行きを勧めた事は榊原さん夫婦も、誰かから聞き知っていたのだろう。

 そしてヒロシを亡くした悲しみと怒りの矛先を、愛花に向けたのではないだろうか。

 ヒロシの両親は空港にも見送りに来ない程、渡米を反対していたのだ。


 息子をそそのかした。―――憎しみとも取れるそんな思いを、ずっと愛花にぶつけていたのかも知れない。

 アメリカにいる間、愛花は針のむしろの中で、悲しみの中にいたというのか……。

(深く傷つけられていたのか……)

 そう思うと、胸が張り裂けそうに苦しかった。

 だけどぼくは無力だった。

 恋人の死を経験しているぼくは、今の愛花の気持ちが、本当に痛いほど分かった。


 愛花の心の中が空っぽになっている事は分かっている。

 そんな心にぼくの言葉など届かないのも分かっている。

 だけど……だけど……、無意味と分かっていても、見ているだけなんてしていられなかった。

「愛花……!」

 ぼくは思わず愛花を抱き寄せていた。

「おれはどうしたらいい? おれはおまえのためにどうしたらいい? 何でも言ってくれ。何でも話してくれ。―――頼りないかもしれないけど、おれはおまえの力になりたい。全力でサポートするからおれを頼ってくれ」

 ぼくがかすれた声で訴えると、愛花の両手がぼくの腕を強く握った。

「大輔さん……。あ、ありがとう…ございます。ありがとうございます……!」

 愛花は肩を震わせながら、ぼくの右肩に頬を押し付けて嗚咽おえつした。

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