第13話 リベンジポルノ





「ついに学生生活ともオサラバだな」

 黒いスーツを着た梶山界人が感慨深そうに言った。

 卒業式の後、数少ない親しい仲間たちで集まり、打ち上げは夕方からと決まった。

 だけどぼくは、教え子たちの最後の追い込みがあったので、打ち上げにはいけないと断った。

 公立高校の受験日まであと半月と迫っていた。


「会うのか? 立花に」

 二人になった時、界人が尋ねた。

 ぼくは無言で頷いた。

 界人は少し眉をひそめたが何も言わなかった。


 ――― 明日 卒業式の後 あの公園でまっています ―――


 彩香は多くを語らなかった。

 でもその情報だけで十分だった。

 あの公園とは、大学近くの路地裏にある、ため池に面した細長い公園の事だ。

 卒業式の後 ――― とあった。時間を有効活用する彩香は、卒業式が終わるとすぐ向かっている筈だ。

 そして彩香がいる場所も分かっている。

 今はまだ早いが、二か月後には紫の花をつける藤棚の下のベンチだろう。


 行きたくない気持ちもあった。

 でもぼくは、話せる事があるなら話したいと思った。


(ヒロシ君にあてられたみたいだな)

 自分を振って他の男に走ろうとする相手など、誰が考えたって、許容できるものではない。

 それでもヒロシは愛花を追うのを止めなかったし、彼女の気持ちに寄り添おうとしていた。

 その上、誰かに託す事になるとしても、愛花には幸せになって欲しいと願ったのだ。

(普通だったら絶対そんな気持ちにはならない)

 怒りや憎しみよりも、愛花を思いやるヒロシの気持ちに驚き、そしてそんな彼の純愛にぼくの心は打たれていた。


 ぼくだって彩香の優しさは知っている。

 本気で好きだったし、二人の未来を信じていた。

 だから、その信頼を裏切った彩香を許せなかった。

(でも彩香にも何か言い分があったのかもしれない)

 他の男に体を開いた事が許せず、ぼくは何も聞かないで彼女に背中を向けてしまった。

 卒業式の今日になって会いたいと言う事は、最後に何か話したかったのだろうか。


(よりを戻したい?)

 いや、今更それはないだろう。

(ベテラン作家の愛人となったわけを話そうと言うのか?)

 愛花の様にみずからの選択ではなく、無理矢理そうさせられたのかもしれない。

(だとしたら、ちゃんと聞いてやりたい……)


 そんな事を考えながら藤棚に近付くと、化粧が濃い黒いスーツの女性がいた。

 それが彩香だと気付くのに少し時間が掛かった。

 付き合っている頃の彩香は、あまり化粧などせず、UVカットローションを塗るくらいだった。

(変わってしまったんだな)

 肩まで伸ばしていた髪も、うなじが見えるほど短くカットしていた。

 彩香はぼくを見つけると少し戸惑いを見せ、その後お辞儀をした。

「お久しぶり」

 他人行儀な彩香の態度に、離れて過ごした一年と数ヶ月の日々を感じさせられた。


「元気…してたか?」

「うん……」

 ぼくの言葉に僅かに白い歯を見せた彩香は、少しやつれた感じがした。

「一年…三か月ぶりね」

 と言った後、彩香は困ったような顔を見せた。

 何から話していいのか分からないのだろう。それはぼくも同じだ。

 ここは彩香に別れを告げられた場所だった。

 心中穏やかでいられるはずもなかった。

 苦い思いを振りほどくように、ぼくは池の対岸に見える国立大学のキャンパスに目を向けた。

 

 今日はいい天気だ。

 水面の反射が眩しかった。

 彩香から視線を外した事で、少しだけ胸の中のモヤモヤが薄らいだ気がした。

 彩香に話し出す気配はなかった。

(時間が掛かるならそれでもいい)

 彩香のタイミングで切り出せばいい。

 思う所はいろいろあるが、今は彩香の言い分に、耳を傾けてやろう。


「あの…」

 と彩香はか細い声を出した。

 ぼくは彩香に視線を合わせた。

 だけと彩香は中々切り出せないでいた。


「ちゃんと聞くから」

 とぼくは静かに言った。

「切り出しにくいのなら、時間かけてもいい。待つから」

 彩香の表情は相変わらず堅かったが、ぼくの言葉に促されたのか、小さく頷いた。

「うん……じゃあ…話すわ」

 彩香はふいに、視線を斜め下に外した。

「写真のことなの」

「写真?」

 意外な単語が出た。

「初めて泊りで出かけた時に撮った写真……憶えている?」

 大学一年の夏に、彩香と二人きりで信州へ旅行に出かけた時の事を言っているのだろう。

 あの頃ぼくは、スマホデビューの嬉しさに任せて、目に付くもの所構ところかまわずスマホに収めていたものだった。


「消して欲しい…写真があるの」

 彩香の声は小さかった。

 ぼくには彩香の意図する所が見えなかった。

「消すって、なにを?」

「ベッドの上で二人で撮った写真……憶えてない? それを消して欲しいの」

 ベッドの上で撮った写真なんて記憶になかったが、削除して欲しいという彩香の言葉に、穏やかでないものを感じた。

「なんだよ、それ…」

 フーと溜息が出てしまった。

「そんなのおれ」

「ち、違うの」

 彩香は慌てた様子で両手を左右に振った。

「分かってる、大ちゃんが撮ったんじゃないの。わたしが、いたずら心で大ちゃんのスマホを借りて撮ったものなの。憶えてない?」


 思い出そうと首をひねった。

 だけど思い出せない。

(それよりも)

 視点の定まらない彩香の目を見た時、ぼくはようやく、ここに呼び出された理由わけを理解した。

 それはぼくかいだいていた甘ったるい理想ではなく、ひどくリアルな現実だった。


 ぼくは込み上げて来るいろんな感情をおさえ、上着の内ポケットからスマホを取り出して彩香に渡した。

「見ていいの?」

「好きにしろよ」

「あ、ありがとう」


 しばらくぼくのスマホをいじっていた彩香の手が止まった。

「あったわ」

 ぼくは彩香が傾けるスマホの画面に首を伸ばした。

 そこにはベッドの上に座る下着姿のぼくと彩香がいた。

 不意を突かれた様なマヌケ顔のぼくと、いたずらな笑みを浮かべた彩香がそこにいた。

 その画像を見た瞬間、ぼくの記憶は蘇った……。



 二人で迎えた初めての朝だった。

 まどろみの中にいるぼくの頬に、彩香が背後からキスをした。

『ねえ、大ちゃん』

『なに?』

『こっち向いてよ』

 彩香に促されて向き返った瞬間、ぼくのスマホを手にした彩香が、自撮りポーズでカシャっとシャッターを押した。

『えっ? 撮ったの?』

『証拠写真よ』

 驚いたぼくに彩香はクスクスっと笑った。

『わたしの初めてを奪った大ちゃんには、責任取ってもらわないとね』

 そう言って彩香は再び笑った。

『望むところだよ』

 ぼくは彩香にキスすると、そのままベッドに倒れ込んだのだった……。



「裸じゃなかったんだ……。わたし、思い違いしていた…」

 彩香の言葉は核心に触れるものだった。

(リベンジポルノ……!)

 背中から冷水を浴びせられたようなショックを覚えた。

 ぼくは両手をグッと握り締めた。

「全…部…消せよ……」

 自分でも分かるくらい声が震えていた。

「そこに入っているもの、全部消せよ! お前との七年の思い出も、みんなみんな消してくれよ!」

「大ちゃん……」

 彩香はオロオロとした様子でぼくを見た。

「ご、ごめんなさい……。そんなつもりじゃなかったの……」

「どんなつもりだよ! お前にとっておれは、振られた腹いせにリベンジポルノをアップするような男だったんだろ? 早く消せよ! 何もかも全部消せよ!」

「ごめんなさい……」

 彩香は震えながらぼくにスマホを返そうとしたが、ぼくはその手を弾いた。

 彩香の手を離れたスマホは、ベンチ横の雑草の中に消えた。

「ごめんなさい」

 言いながら彩香は、雑草に隠れたスマホを取り出し再び渡そうとしたが、ぼくはそれに手を伸ばさなかった。

「ここに置いとくね」

 彩香はベンチの上にぼくのスマホを置くと、

「本当にごめんなさい」

 そう言うとよろめきながら走り去った。


 無性に悲しかったし、すごく空しかった。

(おれ達の七年って……こんなもんだったのかよ……)

 そう思うと力が抜けた。

 崩れるようにベンチに座り込むと、せきを切ったように涙があふれた。


(カッコ悪っ……)

 目蓋まぶたを拭っても拭っても止まらなかった。

(別れを告げられたあの時でさえ泣かなかったのに…)

 誰もいない公園がせめてもの救いだった。


 しばらくして近くで人の気配を感じたぼくは、両手で荒っぽく顔をこすりながら立ち上がった。

(行かなきゃ……)

 とにかくこの場所を離れたかった。

 ベンチの上のスマホに目がいった。

 手に取ろうとした時、着信があり、画面に下着姿のぼくと彩香の画像が浮かび上がった。

 それを見た瞬間、このスマホにはもう触れたくないと思った。

(どうにでもなれ)

 ぼくはスマホをそのままにしてベンチに背を向けた。


 その時、背後から近づく足音があった。

「待って」

 と声を掛けられた。

 振り返ると、ぼくのスマホを手にした相良琴美さがらことみがそこいた。

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