第12話 彩香のメール





 一月二十日にスーパーのバイトが終了したので、ぼくは昼間の空き時間にも塾のバイトを入れる事にした。

 中途半端な時期なので、特定のクラスの受け持ちは出来なかったが、大学受験の個別レッスンの依頼が結構あった。


「いやぁ、助かるよ」

 と峰山さんがぼくの肩を軽く二度叩いた。

「大学入試共通テスト後の二次試験を間近に控えているから、数学や理系の需要が半端ないんだよ。オールラウンダーの春木君がいてくれて、本当によかったよ」

「オールラウンダーだなんて、大袈裟おおげさですよ」

 とぼくは頭を掻きながら軽く笑った。

「お陰でぼく自身の勉強時間も半端ないんですけどね」

 と苦笑いを浮かべたぼくだが、時間に忙殺される今を、どこか楽しいと感じていた。

 久しぶりに没頭できるものを得た思いだった。

 

 そして何よりも、

(十五の春を泣かせたくない)

 そんな思いをいだきながら、ぼくは五人の生徒達の望むべく未来に向けて全力で取り組んだ。

 その甲斐あって、第二志望である私立高校の入学テストには、五人とも合格した。

 後は第一志望である公立高校の入試を残すのみだった。


 二月下旬に国公立大学の二次試験が終わると、日中の個人レッスンの依頼は少なくなった。

 それを機に、国立大学近くのワンルームは引き払われ、個別レッスンは雑居ビルの四階に移転した。

 そして、空き部屋になったその部屋は、ついにぼくのものとなった。

 

(ここが、今日からぼくの住まいになるのか)

 引っ越し業者による搬出作業が終わり、峰山さんの好意で残してくれたエアコン以外は何もなくなった部屋を眺めた。

(テレビに冷蔵庫に洗濯機―――いろいろ買いそろえないといけないな。まずは家電量販店だな)


 そんなことを考えていると、

「荷物の運搬は終わったみたいですね」

 と開け放たれていたドアから愛花が顔を覗かせた。

「寒いのにどうして窓もドアも開けっ放しなんですか?」

「たった今搬出作業が終わった所で、部屋の中がほこりっぽいから空気を入れ替えているんだよ」

「それじゃ掃除しましょう。わたしも手伝いますから。お邪魔します」

 と言いながら愛花が入って来た。

「一人でするからいいよ」

「いいから、いいから。わたしは掃除も得意なんですよ」

 愛花は両手にほうきと塵取ちりとりを握っていた。


 相も変わらず愛花はしたたかだった。

 ヒロシと初顔合わせしたあの日、ぼくは愛花に初めて怒鳴り声を上げた。

 流石にその日の愛花はシュンとしていたが、翌日からはいつも通りの彼女に戻っていた。

 ぼくはと言うと、彼女を受け入れたわけではないが、愛花の行動を静観するようにしていた。


『愛花を守ってくれませんか』

『夏まで待ってください』

 そう言ったヒロシの言葉が頭から離れなかった。


 正直なところぼくは、愛花とどう向き合っていいのか分からない。

 かと言って、突き放してしまう事も、今更できなかった。

(だけど、おれと愛花は付き合うことはないだろう)

 結論は出ている。

 愛花がぼくに見ているのは父・雅人さんの面影なのだから。


「すぐ目の前に見えるんですね」

 ベランダの窓ガラス越しに外の景色を見ていた愛花が言った。

 愛花が見ているのはぼくが通っている国立大学のキャンパスだ。アパートを出で徒歩三分の距離にある。


 と、その時、

「よお、何か手伝おうか?」

 峰山さんの同期の久保川宗也が、開けっ放しの玄関から姿を見せた。

 久保川さんはアンビシャス創設メンバーの一人で、ぼくと同じくアンビシャスから部屋の権利を譲ってもらった先輩だ。


「お気遣いありがとうございます。ぼくの方はまだ荷物が届いてないんです。それより久保川さんの方を手伝いましょうか?」

「こっちは大丈夫だよ。引っ越したのは一昨日おとといだし、荷物もあんまりなかったからな。―――おっ、愛花ちゃん手伝いに来てたのか?」

 と好奇の目を向けた。

「こんにちは、久保川さん。今日はいい天気ですね」

 愛花は笑顔を向けた。


「えっ? 愛花ちゃん?」

 久保川さんの背後から女の人が顔を覗かせた。

 それは相良琴美だった。

 ぼくが愛花に顔を向けると、

「わたしは呼んでませんよ」

 愛花は間髪入れずに否定した。


「愛花ちゃん達と知り合いなのか?」

 と久保川が相良に聞いた。

 相良は大きく頷いた。

「スーパーのバイトが同じだったのよ。それにしても驚いたわね。ほんと世間って狭いわ。ところで久保川さんと春木君達ってどういう関係なの?」

「ああ、春木は大学の時の二つ後輩で、愛花ちゃんはおれが働いている塾で、事務のアルバイトをしているんだ。春木は講師だけどね」

「ああ、そういうことね」

 と相良は何度も頷いた。

「スーパーのバイトを辞めて、割のいい塾のバイト始めたって聞いてたけど、久保川さんところだったんだ。アハハハハ」

(そこ、笑い入れるところか?)

 と思ったが、相良のいつものペースなので、ぼくも苦笑いで返した。


「今日ね、久保川さんの引越しの手伝いしようと来たんだけど、この人の部屋って、笑っちゃうくらいほんと何もないんだよ。アハハハハ」

「まあ、そう言うなって。おれはあまりものを置かない主義なの」

「それってミニマリストってやつ?」

「おっ、よく知ってるね」

「それくらいわたしだって知ってるわよ。バカにしてるぅ。アハハハハ」


 そんな二人のやり取りを見て、愛花が意味ありげな笑みをぼくに見せた。

(この人たち、付き合っているみたいですね)

 と言っているのが分かった。

「…だな」

 とぼくが囁くと、愛花はクスクスと笑った。


「あれぇ? 愛花ちゃんと春木君、なんかいい感じ」

 と相良はからかうようにぼく達を見比べた。

「えっ? もしかしてそうなの? やっぱり? わたしは前からそうじゃないかと思っていたんだ。アハハハハ」


「こら、相良」

 と久保川さんが軽く相良の頭を小突いた。

「失礼だぞ。それにそんな言い方大人げない。ガキじゃないんだから」

 久保川さんにさとされ相良は肩をすくめた。

「そうだね ――― ごめんね。ちょっとからかっただけ」

 とぼくと愛花に手を合わせた。

「それじゃまた会いましょうね。バイバイ」

 と相良はきびすを返した。

 が、一度立ち止まり振り返った。

「誤解のないように言っとくけど、久保川さんとは付き合っていないよ。フレンドだから。特別な、フレンドよ」

 と意味深な言葉を残して再び背中を向けた。


「まあ、これからもよろしく。それじゃな、春木」

 と少しバツの悪そうな顔をした久保川さんは、玄関のドアを閉めて行った。

「相良さんがからむとにぎやかになりますね」

「確かにな」

「それじゃわたしは、キッチン周りから始めますね」

 言いながら愛花は、キッチンまわり専用のウエットタオルを取り出したので、ぼくはベランダのガラス戸に雑巾を押し付けた。

 と……その時…。


   メールです  メールです


 ぼくのスマホが鳴った。

(誰だろう?)

 上着の内ポケットからスマホを取り出した。

 着信画面を見た瞬間、ぼくの体が震えた。

 『さやか』の文字が表示されていた。

 恐る恐る画面をタップした。


 ――― 明日 卒業式の後 あの公園でまっています ―――


 一年以上音信はなかった。

(なのに今更なんのようだ)

 ベランダのガラス戸に雑巾を押し付けたまま、ぼくはかたまっていた。

「春木さん? どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」

 振り返ると、心配そうにぼくを見つめる愛花がいた。

「何でもない。考えごとしていただけだよ」

 ぼくは上着のポケットにスマホを押し込んだ。


「それならいいんですけど……そう言えば明日、大学の卒業式でしたよね。これから春木さんは社会人になられるから大変でしょうけど、わたしいろいろと協力させてもらいますよ。部屋の掃除とか食事とか―――」

 と愛花はいろいろと話し掛けて来たが、ぼくの心には届かなかった。

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