第7話 恩人との再会





 愛花まなかは、この辺りで有名な生田神社とか湊川神社ではなく、意外にも駅から少し離れた、住宅地の中にある小さな神社を指定した。

 いつもは閑散としているであろう小ぢんまりした境内も、元旦とあって参拝客でそこそこにぎやいでいた。

 振り袖の若い女性達がたむろする御手洗みたらしの前に、学生服の愛花がポツンと立っていた。

 ぼくの顔を見ると愛花が深く頭を下げた。


「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします」

 丁寧に挨拶され、ぼくは出鼻を挫かれた思いだった。

「ああ…こちらこそ、よろしく」

(チッ。なに言ってんだ、おれ)

 社交辞令とはいえ、関わりを切ろうとする相手に「こちらこそよろしく」と挨拶したのは不本意だった。

 そんなぼくの慌てぶりをどう思ったのか知らないが、愛花はクスクスっと笑った。

「新年早々に来ていただいて、本当にありがとうございます」

 そう言いながら愛花はもう一度頭を下げた。


「それで、峰山さんの塾はこの辺りなのか?」

「はい。神社の向かいにあるビルに、塾のテナントがあります」

 と愛花が右手で指し示す五階建ての雑居ビルには、いくつかの看板が並んでいた。

 だけど、一見しただけで、峰山さんが借りているフロアーが、三階にあるのが分かった。


 大学に入学したての頃、峰山さんが起業した家庭教師のオープニングスタッフとして、ぼくは半ば強引に加えられていた。

『家庭教師のアンビシャス』

 それが当時の会社名だった。

 そして雑居ビル三階の窓下に掛けられている『進学塾アンビシャス』の看板を見て、ぼくは思わず苦笑した。

 就活のためぼくが抜けた後、社名を変更したとは聞いていたが、峰山さんはアンビシャスにこだわりがあるようだ。


「えっ? どうかしたんですか?」

 愛花はキョトンとした顔でぼくを見上げた。

「何でもない。思い出し笑いだ」

 ぼくはそう言いながら歩みを進めようとした。

 だが、愛花の足が付いて来なかった。

「園宮?」

「あのぉ」

 愛花は少しためらいを見せた後、

「折角だから、初詣くらいはして行きませんか?」

 と伏目がちにそう言った。

 昨夜さくや駅のホームの別れ際、初詣に行きたいと言っていた愛花の言葉を、ぼくは思い出した。

「そうだな。新年の挨拶くらいはしておくか」

 ぼくと愛花は鳥居をくぐり、神社の拝殿に向かった。




 初詣の後、ぼくは愛花に付いてテナントビルの三階に上がった。

 階段直ぐそばのガラス扉の向こうに峰山さんの姿が見えた。

 ぼくに気付いた峰山さんは、大袈裟に手を振ると、ガラス扉を押して飛び出して来た。


「春木君、久しぶりじゃないか! 元気していたか?」

 満面の笑みを浮かべてぼくの肩をする峰山さんは、相変わらずの陽キャだった。

「就活終わったんだって? 念願の上級公務員になれてよかったじゃないか。おめでとう」

「ありがとうございます。ギリギリでしたけどね」

「それよりなんで早く連絡してくれなかったんだよ。おれも気になっていたけど『就職決まったか?』なんてなかなか聞けないからね。でも、良かった良かった」

 と肩をバンバン叩かれ、ぼくは苦笑いを浮かべた。


「決まったのは一週間ほど前なんです。いろいろバタバタとしていて、連絡遅れて申し訳ありませんでした」

「いいよいいよ。とにかく入ってよ。―――ああ、愛花ちゃん。春木君のこと連れて来てくれてありがとうな」


「いえ、大したことではないです」

 愛花は首を横に振った後、改めてこうべを垂れた。

「ご挨拶が遅れました。―――明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします。―――それより、春木君。早速だけど話に入っていいかな」

 少しせっかちな所のある峰山さんは、そう言いながらガラス扉を開けて、おいでおいでと手招きをして見せた。


「事情は愛花ちゃんから聞いているだろ?」

 ぼくと愛花がテーブルに着くと、向かいに座った峰山さんがそう言った。

 ぼくは頷いた。

「でも、ぼくでいいんですか?」

「もちろんだとも。キミほどの適任はいないよ。キミは成績優秀の特待生というだけじゃなく、アンビシャスにおける実績もあるからね」

「そうでしたね」

 とぼくは苦笑いを浮かべた。


 そうなのだ。

 突然の出会いだった。

 大学入学したての頃、面識もなかった峰山さんがいきなりぼくの腕を掴んだ事を思い出した。


「キミ、春木大輔君だね。返済不要の奨学金付きの特待生だよね。少し話を聞いてくれないかな?」

 と満面の笑みとは裏腹に、峰山さんはとても強引だった。

「ちょっと、なんなんですか? あんたは」

「おれは三年の峰山昂輝こうきという者で、この春から起業するんで、キミに手を貸して欲しいんだよ」

 今でこそ彼はこういう性格だと分かるが、初対面でいきなり腕を掴まれ、あまつさえ起業に手を貸せと言われても、頷けるばずもなかった。

「待ってください。そんなのイヤですよ。得体の知らない人からいきなり、起業に手を貸せと言われて、誰が『はいそうですか』と付いて行きますか!」


 ぼくが強い口調で言うと、

「ああ、すまない。いきなりで悪かったよ。でも、ちょっとでいいから話を聞いてもらえないかな」

 馴れ馴れしいこの人の事が、なんか気持ち悪かった。

 ぼくはその手を振り払った。

「とにかくお断りします」

 ぼくはその場を去ろうとした時、

「時給二千円だよ」

 と峰山さんが耳元でそう言った。


(時給二千円……!)


 ぼくの足は自然と止まった。

 明日から始めようとしている夜の居酒屋のバイトは千百円だった。

 ぼくは峰山さんを振り返った。

「怪しい仕事ならお断りですよ」

「当面は家庭教師だけど、ゆくゆくは進学塾を展開して行きたいと思っている。真っ当な仕事だよ。とにかく、落ち着いた場所で話そう」

「何処に連れて行くつもりですか?」

「そこの学食でどうだい?」

 学食と聞いて安心した。キャンパス外の変な場所だったら断るつもりだった。

「話を聞くだけですよ」

「もちろんだよ」

 ぼくの心理を見抜いたように、峰山さんは勝ち誇ったように笑ったのだった……。



「ぼくが辞めた直後、事業を拡張したんですね」

「就活があったから仕方なかったんだけど、正直キミが離れたのは痛かったよ。もしかしたら卒業後も、このまま講師を続けてくれるんじゃないかと期待していたんだけどね」

 四年生進級直前の三月。企業面接解禁となるのを機にぼくはアンビシャスのアルバイトを辞めた。


「すみません。峰山さんが誘ってくれたお陰で、両親への負担が軽減できて経済的には大変助かったというのに……」

「ごめんよ。そんな意味で言ったんじゃないんだよ。それくらいキミはいい人材だったってことだよ」

「それにしても……相変わらずアンビシャスなんですね」

「だろ? こんないいネーミング他にないからな」

「……え…? ええ、そうですね」

 何でも出来る峰山さんだが、ネーミングセンスのなさは相変わらずだ。


 ぼくは事務所の奥に見える六つに区切られたブースに目をやった。

 ぼくの視線の先に気付いた峰山さんは、

「ワンブース三人~六人までの少人数制でこちらのフロアーは高校受験。この部屋を出て、階段を挟んだ向かいのフロアーが大学受験だよ」

 と説明した。


「2フロアーも借りているんですね。経費も半端ないですね」

「大丈夫さ。ちゃんと儲けているからさ。アハハハハ」

 と峰山さんは高らかに笑った後、ぼくを見つめた。

「公立高校の試験まであと二ヶ月なんだよ。二月中旬には私立高校の受験があるけどそっちはメインじゃない。この塾は公立の進学校を目指していて、悪くても準進学校だ」

「大役じゃないですか。ぼくなんかでいいんですか?」

「ぼくなんか、なんて言わないでくれよ。キミだから頼むんだよ。講師としても、人間としても信頼出来るんだよ、キミは」


「そこはわたしも同意します」

 と先程まで黙っていた愛花が口を開いた。

「弟とその友達のこと、よろしくお願いいたします」

 立ち上がった愛花が深々と頭を下げた。


「頼むよ。春木君」

 峰山さんにも頭を下げられた。

 こんな風に二人の旋毛つむじを見せられては、他の答えは出せなかった。

 峰山さんが視線を上げた時、ぼくは頷いて見せた。

「分かりました。こちらこそよろしくお願いいたします」

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